政府がつくり出す非人間的な光景と、園長先生からの三通の手紙/集団の中での幼児の発達/追悼ジェームス・ホーナー

 小規模保育や企業型保育所が国の新制度で奨励され、「子ども優先」という保育の原則を知らない人たちが利益を目的に参入してくる。そして、保育界の常識が変わり始めています。親たちの子育てに対する常識も、「政府がやっているサービスをなんで利用しちゃいけないの?」という言葉と共に、ここ数年で急速に変わりつつあります。

 利潤追求型の保育が、定期的な立入り調査もなく安易に容認され、サービスの手法として、英語や音楽、リトミック教室、体操、お絵描きといったお稽古事を保育と平行してやる保育所や学童が増えてきました。以前からもあったのですが、もう少し子どもに対する配慮、保育の常識をわきまえていたように思うのです。

 追加料金を払って、子育てをしている気でいたい親。保育所で何が起こっているか確認しようとしない親たちはよほど注意しないと、最近の保育室では常識を越えたことが起こっています。保育や子育てに関する意識が変化する中、その内容は規制もなく様々で、中には、お金を払っている子だけにとびとびで英語で話しかけたり、お遊戯させたり、というとんでもない業者さえいる。一部屋に複数の幼児を生活させて、お金を出している子にだけ、みたいなことを保育士が出来ること自体が根本的におかしいのですが、業務命令でやってしまう。そして、それに慣れてゆく。これでは幼児を集団にしている意味はないし、社会性という観点からすれば逆効果でしかない。

 0才児を預かる24時間型の保育サービスもそうですが、普通人間はそういうことをやらない、という光景が政府の「保育は成長産業」という閣議決定のもとにあちこちに現れているのです。子供の気持ち、子供の育ちより、親相手の金儲けが優先する。こういう保育はいずれ淘汰されると思います。そうであってほしい。しかし、それに気づくまでに子どもの人生において取り返しのつかない出来事があちこちで起こっていて、それは社会全体にこの先長く影響するのです。取り返しのつかない日、本という不思議な国の文化や伝統が、自らの手で失われようとしている。

 保育の意味さえ知らない会社の方針に従い、お金を払っていない親の子どもの気持ちを平気で、一部屋の中で一年中無視できるようになる。子どもの気持ちを優先しない国策に影響され、こういう保育士が増えてくる。そして、こういう大人たちに囲まれ、育てられ、国の未来はますます殺伐としてくるのです。

 他人のことなどどうでもいい、自分のことしか考えない、そんな社会の空気に幼児期から囲まれた子どもたちに「道徳教育」やカウンセラーで対処しようとしているのだから、馬鹿馬鹿しくなる。経済よりも国のあり方、美しさを優先する政治であってほしい。そんな願いも虚しく、一年が暮れてゆく。

 こんなことをしていては、結局、心ない「子育て」を押し付けられた保育者や学校の先生が疲弊してくるだけです。それは、義務教育によって、すべての子どもたちの将来に影響する「環境」です。

 

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 手紙1

松居先生

 

 ご無沙汰しています。 お変わりなくご活躍のことと存じます。

 先週公私立の主任会の席上1日保育士体験の報告があったそうでお知らせいたします。 

 K市も9月からやっと全園で取り組み初め、いろいろ議論があったようですが、「案ずるより産むが易し」でそれぞれ好感の報告だったそうです。

 ある園では、転勤で埼玉県から引っ越してこられた方があり、向こうですでにお父さんが体験されて K市でも希望されたケースもあり今のところ順調に過ぎております。

 これからいかに継続、発展させていくかが又問題となってくると思いますが、全園児保護者体験を目指して努力してまいりたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ささやかなご報告で申し訳ございませんが引き続きご指導よろしくお願いいたします。                                             K市 A.J.

 返信:1

  ありがとうございます。嬉しい限りです。

 いま、保育界が追い込まれている、人材不足、財源不足、親の意識の変化、規制緩和や水増しによって広がっている質の低下を考えると、一日保育士体験で象徴的に保育の存在意義と子ども優先の姿勢を社会に対して明確にしてゆくことが一番大切だと思います。それにより若い保育士に、保育は親に対するサービスではなく、子どもを優先に、子育てをしている、それには親との協調、信頼関係が必要なのだという意識を持ってもらわないと、このままずるずる国のいう「サービス産業化」に進んだら、いい保育士は集まらなくなってしまうと思います。

  どうぞよろしくお願いします。

松居

手紙2

  拝啓 暑さ厳しい毎日ですが、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

  この度は、ご多忙中にもかかわらず、S市立保育園園長会研修の講師をお引き受け頂きまして誠にありがとうございます。

 S市立保育園で「保護者による一日保育士体験」を取り入れて6年経ちます。軌道に乗るまでには時間がかかりましたが、最近では保護者の方からまた今年もやりたいと言ってくるまでになり、子どもと過ごす楽しさや可愛さが伝わり、参加して良かった、やはり半日の保育参観とは全く違う、行事で素晴らしい成果を発表できるのは日々の保育の積み重ねがあってこそ、などの感想が寄せられています。紙芝居を必ず読んでいただいていることについても、これだけが心配だったと話す父親もいますが、思っていたよりも子どもたちが良く見てくれて自信が持てたと感想に書いてくれています。一日、子どもと過ごし、職員の気遣いや配慮、生き生きと遊ぶ姿に共感し、保護者と園との関係も理解しやすい関係になってきています。

 ますます、保護者の親力を向上させるためにも、保育園が子どもたちの健全な成長発達を促し、いつ誰に見られても胸を張って保育を展開していくことができるようになるために、松居先生にご講演をお願いしたいと考えました。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

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不自然な環境の中での発達

 最近の子育てに関する議論、児童虐待の増加やイジメ・不登校、噛みつきや反抗期などの問題に関してもそうなのですが、学問が専門分野化し、学者や専門家たちが、集団教育、集団保育を前提として発達を考えている。それを是とした上で考えているから場当たり的な対策しか思いつかない。子どもをこれだけ長時間集団にすること自体がかなり不自然で、現状は、その不自然な環境の中での発達だということを忘れてはならないと思う。

 そこを理解しないと、保育で何が出来るか、学校教育で何が出来るか、という議論になってしまう。

 保育で何が出来ていないか、ということを第一に考えなければ、保育は成り立たない。

 何が出来ていないか、の第一は、親が子どもと一緒に過ごせていない、ということ。それが、未体験の「親の無関心」「家庭崩壊」を招くことは欧米の極端な数字を見ても、日本の最近の保育崩壊を見ても明らかだと思います。

 

 

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 北海道の田舎で講演後、校長先生三人、教頭先生三人、PTA会長三人と飲みながら大いに語り合いました。この組み合わせで頻繁に話し合い、子どもの成長を祝うチームワークがあれば、日本の学校はまだまだ大丈夫。幼稚園や保育園で親心を育てることが学校を支え得る、と思う。まだ間に合うと思う。

 そこから30分の札幌のような大都市では、誰かを育てる役割りを持っている子どもたちが、障害児学童と重ねて利益を追求する人達に利用され、集められ、時にそこは犬の訓練所のようだと言われることもあるような部屋に囲われ、孤立し、人間の相互不信の原風景になってゆく。

 

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手紙:3

松居先生

 お忙しい中わざわざご丁寧な返信を頂き恐縮するとともに大変感動しております。有難うございました。今回は、我が園の新しい試みに少しお耳をお貸し頂きたくメールさせて頂きます。

 私どもK保育園は、創立者が寺の住職で、第2次世界大戦の折、1944年召集され、終戦後3年間捕虜としてシベリアで重労働に従事し、お仲間がどんどん亡くなる中、命永らえて帰還してまいりました。捕虜時代、現地の人が自分たちに言うことと隣りの人に言うことと180度違うことを言っていてもまるで良心の呵責を感じない場面に度々出合い、日本も敗戦国だけれどあのような国民には、なってほしくないとの思いで、幼い時からしっかり仏の教えを幼い人に伝えたいとの願いから、帰還後5年に定員40名の小さな保育園を創立しました。しかし、個人立ではにっちもさっちもならず、社会福祉法人格を取りましたが、保育の理念はあくまでも仏教によっております。そんな関係で、障碍を持つお子さんも皆とともに育ち合ってほしいと統合保育を学級編成は、縦割りを特徴としております。

 子どもの行事に関しましては、保育園は、保護者の就労を支える場所ではありますが、常に幼い人の代弁者でありたいとの思いから、日頃大人のスケジュールに合せられている子どもに対し、行事の際だけは大人が、子どものスケジュールに合わせて頂きたいと4月の時点で、年間計画を保護者に示し、休暇の取得を予めお願いしています。

 このあたりのことは常々保護者に理解を求めてはいますが、毎回行事の度に出てくるアンケートは土日に行事を開いてほしいというものが多くあります。行事の一つ、毎年、12月8日は釈迦の悟りを開かれた成道会(じょうどうえ)という仏忌に当たりますので、前半セレモニー、後半子供たちの生活発表会の2部仕立てで開催しています。今年も次のようなアンケートがまいりました。

 「昨年までは乳児組だったので、あっという間に出番が終わってしまう感じがして、他の学年も見なかったのですが、今年は、見ごたえがあるなと思いました。まずは、物語劇、あれだけの長い科白を全員がよく覚えたなと感心しました。又、毎年違う物語なのでい衣装も小道具も後ろの背景も全部作るのが大変だったろうなと思いました。先生方のご苦労を思うと有難いです。来年象バッジ(年長組)として、あれだけの大役をこなせるのか、正直心配ですが、たのしみでもあるなと思いました。やはり仏教の教えが根底にあるので、どの出し物も心に響くものがありました。その点で、K保育園はかけがいの無いものであると思います。ただ、1点だけすみません。

 職場では平日に行事が行われることに理解が得られないようで、、保育園なのに、何故休日に行事をしないのかと言われるたびに心が折れそうになります。職場のあるK市ではそれが普通だとか。もう少し休日の行事が増えると有難いと思っています」

 最近は子供に対する大人の許容量が狭くなり、世田谷の保育園新設に対し、近隣住民から反対運動が出たニュース等寒々とした報道が次々出ています。保育関係者が、必死に子どもの立場を訴えても、なかなか時代は変わってこないことに気付かされ、行事に参加を可能にしてくれた職場の仲間に園としてもお礼を伝えることで、子どもの立場をアピールできるのではと考え、今回初の試みとしてお礼状を職場に届けて頂くようお知らせを出しました。先のアンケートの方は勿論ですが、他にも希望者が出るのではと思いましたが、一向になしのつぶて、いささか落胆していましたら数日後、隣の市の役所に勤務のお父さんから、職場のみんなに伝えたいからと礼状を求められ、思わず、やったー!とガッツポーズでした。

 K市は、「子育てはK市」を合言葉に市長さんは住みやすい市を強調されますが、いつも申し上げているのは、卒園後、15年すれば、立派な市民、その時、本当に立派な市民であるかどうかこの乳幼児期のありかたにかかっていることです。1日保育士で、親を巻き込み、お礼状で、一般市民の理解を深めてもらうということにならないかなと考えています。甘いかもしれませんが・・・・とりあえず、気付いたところから小さな一歩をと思っています。

 来る年もどうぞよろしくお願いします。 

 

追伸:松居様

実は、スリランカに創立11年になる姉妹園を持っていますが、そちらで、毎年11月末に「TALENT CONCERT」として、いわゆるお遊戯会を開いております。、  毎年それに参加する度に感じさせられることがあります。  園児数160名前後ですが、園にホールがありませんので、毎年、コロンボのホールを借りて開催しております。今年度も800人の収容能力のある貸しホールが、ほぼ満席の状況でした。園はコロンボから1時間半ほど南のピリヤンダーラにありますが、内戦続きでなかなか幼児教育まで行政も手が届かなかった中で、内戦も終わり、子どもの教育に先行投資をする考え方が増えてきたせいでしょう24名でスタートした園でしたが、少子化の日本に比して、入園希望者が増え、数の上では姉園を上回っております。  そんな中、このお遊戯会に、一族郎党、ご近所さんに至るまで、園児数の3倍以上もの観客が、ホールを埋め、会終了後は、親子で帰宅するという日本では考えられない場面を目の当たりにし、いつもその落差に胸を痛めております。といいますのも、向こうが終わって帰国し、我が園の行事に参加すると、保護者は、プログラムで我が子の出番の間だけ、時間休を取り、参加出来ない家族のためにビデオを撮り、そそくさと職場に戻り、さらには、居残り保育を申請される場合もあります。  幸い、我が園では、この日は一日子供のために、舞台が終わっても、その余韻に親子で浸ってほしいということを何かにつけお願いしていますので、居残りはありませんが、公立さんは、行事が終わって半数以上は居残り保育と言われます。  休日に行事を開催すると園の立場上代休を取るわけにはいかず、そうなると職員の休暇のやりくりがとても大変になります。職場によっては、行事のプログラム等を職場に事前に出せばすんなり休めるという方もありますが、そうした職場は希少で、アンケートにもありましたように肩身の狭い思いをして行事に参加されている方も少なくありません。そんなこんなで今回の礼状作戦になった次第です。

返信

 

 スリランカの風景、とてもよくわかります。

 私も何度かインドへ行き、貧しくとも落ち着いている村人の生活などを眺めていて、子育てが「生きる」中心といいますか、人々が心を合わせるために存在する風景に繰り返し出会いました。それを思う度に、今の日本政府が薦めようとしている「保育改革」が、子育ての本質を人間社会から奪ってゆくように思えてなりません。それが保育園における親たちの意識の変化に一番表れている。だからこそ、いま動いている保育施策のゆくえが、日本の将来を決定づけることになると思うのです。

 まず現場が、保育の本質と子育ての意味を忘れてはならないのだと思います。

 

松居

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年末、フィギアスケートの放送を見ていたら、1人の選手が映画「マスクオブゾロ」のサウンドトラックを使っていました。私が吹いている部分は使われていませんでしたが、ジェームス・ホーナーの作曲でロンドンのAir Studioで、一ヶ月滞在して作った音楽です。

今年、ジェームスが亡くなりました。同じ歳の彼とは20本くらい一緒に仕事をしました。ブラッド・ピットが主演した「レジエンドオブフォール」、これもスケートでよく使われるのですがジェームスの作曲、指揮で、メインテーマをロンドンシンフォニーをバックに尺八で吹いています。

足し算してみると一年以上の日々を一緒に過ごしたことになります。

 

永遠に少年のような人でした。心からご冥福をお祈りします。

 

今年も色々ありましたが、私には、ジェームス・ホーナーが逝った年、ということになるのです。音楽を一緒に作る、という行いは、それほど特別な体験なのだと思います。魂と魂をつなぐ、言葉とは違う次元の、人間が人間であるための不思議な、それゆえに絶対的なコミュニケーション手段。沈黙という宇宙が常に介在する、大切な心を合わせる手段なのだと思います。

彼が逝ってしまったことを思う度に、胸がひりひりします。

 

Thank you, James. I will keep playing for you.

 
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