相互作用

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子どもが一歳前後のとき、よく物を散らかして喜びます。

嬉しそうに、上にある物は落とし、片づけてある物を引っ張りだし、閉まっている物は開けようとします。

言葉もわからないし、言って聞かせられる時期ではありません。しかも嬉しそうにしているのです。この時期、親は子どもの嬉しそうな顔を見るのが好きなのです。それが第一。

叱ってはいけません。この時期の子どもを叱ると、安心感のある人間社会はできません。散らかしたら、親は片づける。ただ黙々と片づけます。理屈や理論で考えても仕方ない。宇宙の平和を願って、親は何度でも片づける。この時間は長くはつづきません。もうすぐ言葉がわかるようになります。違った段階の関係が始まるのです。

それまでは数カ月、繰り返し、ただ片づける。静かに、落ち着いて、これは私の責任だ、と独りでつぶやくといいのです。そして、ある日、これは散らかさないでね、とお願いすると、子どもはちゃんと親の願いを聞き入れてくれるのです。

そうした独り言とつぶやきに、夫婦がお互いに耳をそばだてます。そのために、子どもは散らかすのだと思います。

様ざまなことに、子ども中心に自然に反応する姿を眺めあうことで、家族や社会が一つになっていきます。

人間社会が一つになるためには、理屈を越えた、本来持っているいい人間性の確認が必要なのでしょう。「これは私の責任」と言いながら。

(「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)より。)

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これを書いた時、子どもはまだ1歳半くらいで、近所の児童館の乳幼児室に二人でよく遊びに行きました。その時、黙々と、散らかった玩具を片付けるお母さんたちの笑顔を見ながら、ああ、そういうことだったのだ、と思って書いてみた文章です。