幼児の成長に必要なはずの静寂/保育園の巡回視察。/そして電波組inc.

  家庭を離れ、親たちの目の届かない場所で集団で過ごす子どもたちの一日の質とは、「松居さんは何が一番大切だと思いますか?」と講演後の質疑応答で聴かれたことがあります。

 子どもが育つ状況や環境がますます多様化し、求める側の視点も様々ですが、私のイメージの中で、特に三歳未満児にとっての保育の質は、保育士の優しい目線に囲まれること。そして可愛がられること、だと思います。保育士の人間性が常に問われていなければ、保育ではありません。しかし、最近はもう、

 「無視されない。叩かれない、怒鳴られない、叱られない」

 それだけ一律一日中確保出来ればまあ良いかな、と思うことさえあるのです。

 確かに世界中で、子どもは厳しく辛い環境の中でも、けっこうしっかり生きてゆきます。小さな幸せを確実に見つけ出し、それを悲しいほど体一杯に感じながら。すごい人たちです。だからこそ、大人たちには責任がある。

 いま日本で、保育という特殊な環境の中で、同年齢の子どもを一緒に育てれば、まず事故は避けられません。しかし、信頼関係が希薄になってきたいま、保育士も保護者も疑心暗鬼になっています。噛み付き痕を消す方法が伝授されたり、活き活きしない,話しかけない保育が現れたり、事故から始まる大人たちの人間関係のトラブルを避けることが保育の最大関心事になってきました。

しかし、事故を避けて子どもたちに元気のない活力のない日々を強いるのはやはりおかしい。そこが保育という仕組みの難しいところです。大人たちの利便性のための保育なのか、子どもたちの日々の生活が保育なのか、国や社会が再度自覚しなければいけません。

 子どもたちの将来を国の将来と重ね合わせると、人材不足のうえ、園庭もない園で、元気のない日々を強いられている子どもたちが、将来どうなってゆくのか、とても心配です。現在の少子化の一番の原因でもある「結婚しない男たち」の増加などは、このあたりに根深い原因があるような気がしてなりません。

 

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 もう一つ、音楽もやっている私が、もし自分の子どもを毎日十時間どこかに預けざるを得ないとしたら、どうしても欲しいものが「静寂」です。子どもたちを、これほど頻繁に集団にすることは人類の歴史上かつて無かったこと。昔は、幼児期の子どもの成長を常に囲んでいた静寂が、いま仕組みの中で、忘れられている気がしてなりません。「静寂」を忘れることは,心を忘れること。背後に静寂がなければ、言葉さえも騒音になっていきます。

 静寂と、肌の温もりに抱かれて、熟成して行くのが「人間性」だと思うのです。二つを重ね合わせて毎日身近に感じること、それが昔ながらの子育てだったと思うのです。しかし、今、そこまで望むには仕組みが追いついていない。感性のいい、子どもを可愛がる保育士を揃えるのが、以前に比べとても難しくなっている。なぜそうなのか、を考えずにこれ以上進んではいけないのです。

 保育士の優しい目線を日々そろえるために大切な、親たちの子どもに向かう姿勢が整わなくなってきている。親の保育士を見る目に感謝の気持ちがなければ、子どもが安心して育つ環境は絶対に整いません。

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 最近の保育園での親の笑えない要求。担当保育士の笑顔が足りないから替えて欲しいと園長に言ったそうです。園長は、子どもにはいい保育士なんですと私に言います。その親は、いったい誰に対する笑顔を要求しているのでしょう。この疑問が保育士の顔を険しくし、精神を疲れさせるのです。

 厚労省の言う「福祉はサービス」のサービスという言葉が、こういう感謝しない親を創り出す。ある保育サービスの会社では、職員研修で保育士に「朝と夕方、五分でいいから親に笑顔を見せろ」と言うのだそうです。

 

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 「小規模保育事業への新規参入時業者に対し、各市町村において公立保育所のOB等を活用した巡回支援を行うための経費を助成する」という施策があります。小規模保育の質を保つために、巡回して見張る、というのですが、こういう巡回は今までも名前を変えて様々にありました。

 監査や査察が入った時だけちゃんとやっているように見せる園が現れます。しかも、既存の認可外保育施設の規則違反を見つけても、罰則もなく、役人がほどんど取り締まれないのです。「役人の見回りの度に靴箱のシールを剥がします、それでもいいですか?」と親に訊いて定員を超えて幼児を預かる園が昔からありました。

 認可外で、規則違反があっても、何度回っても是正しようとしない確信犯が増えてきました。待機児童ゼロが第一目標ですから、足元を見られているのです。役人が取り締まれない状況で、保育所OBの巡回支援で何ができると言うのでしょうか。保育施策における最近の政治家たちの対応は、後手後手どころが認識が二十年遅れています。「実現する政治、行動力、改革します」などと政治家のポスターに書いてあると、嫌な感じがします。

 

 巡回した元保育士が「ここには静寂が必要です」と言っても、たぶんそれはほどんど意味を持たないでしょう。そんな社会になってきたのです。

 

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 「管理者向けの人材マネジメントセミナーの開催で潜在保育士の再就職を支援」という施策がありました。保育士の子どもに対する気持ちという「質」を「管理者向けの人材マネジメントセミナー」でマネージまたは確保できると思っているのだとしたら、甘過ぎる。

 共励保育園の長田安司先生のツイートに:東京都の奥村朝子保育人材担当係長も「事業者が選ばれる時代。柔軟な働き方を用意するなど事業者の意識改革も重要」と言う。一日11時間の保育で8時間労働。パート保育士で埋めると、子供の生活と発達の連続性が損なわれる。コンビニのパートと同じ発想で保育士を確保しようというのか?:というのがありました。役人にも政治家にも、現場の空気や気の動き、心のやりとり、成長、というものがまるで理解されていない。視野にも入らない。こういうビジネスコンサルタントが言いそうな、聴こえの良い施策のほとんどが、行政の「やった振り」に過ぎない。事業者が誰に選ばれるのか。誰が当事者で誰が評価するのか。潜在保育士が、なぜ現場に出なかったかわかっていない。資格さえ持っていれば保育が出来ると思ったら大間違い。その認識こそが致命的なのです。

 

 

 派遣事業が、保育界にもうすでにかなり根深く入りこんでしまっている。多くの現場で、派遣会社がなければ、保育が成り立たない状況にまできています。

 保育士が1人欠けたら国基準を下回る可能性の中で運営されている保育園が多い。次の保育士を募集し、吟味し、選んでいる時間も余裕もありません。保育士不足のいま、営利を目的とした派遣会社の意図の不自然さが、保育界に良くない影響を及ぼしています。園の弱みにつけこみ、派遣保育士1人につき契約金五十万円を要求する会社があります。同時に、養成校へ行き、青田買いの対象の学生たちには、「毎年色々な園が体験出来ますよ。海外旅行もつけますよ」とまるで勘違いなことを言って勧誘する。一年ごとに勤め先を変える前提がすでにあるのです。

 その度に派遣料をつり上げ市場原理が動くのに合わせるのかもしれません。または、保育士としては良くないか、手伝いとして使い物にならなくて、園から一年で交代を求められる。それもまた現実なのですが、毎年色々な園が体験出来ることを売り文句にして学生を集めようとするような派遣会社は、一年ごとに先生が居なくなる園に通う子どもたちへの影響など、始めからまったく視野にない、考えていないのです。子どもの過ごす時間より、お金を儲けることに興味がある人たちが、保育界に入ってきている。それを政府が奨励している。

 

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 2、3年の間になんで親たちはこんなに変わったんでしょう」どこへ行っても園長が言う。保育は当然の権利、受けるべきサービスだという態度。たとえそうだとしても、保育士たちは日々「子育て」をしている。親の感謝がなかったらどうなるか。保育は子どもにとって一対一の人生体験。仕組みではない。

 

 ある県の保育施策に書いてあった言葉、「家庭のニーズに合った保育サービス」と「増大する保育ニーズ」この二点が問題です。

 いままで週に16時間働けば40時間子どもを預けることが出来る、というのが国の基準でしたが、それを今回政府は新制度で週12時間にします。県も予算獲得のために対応しようとする。これをニーズと言えるのか。幼稚園でも十分に対応出来るはず。しかも、12時間働いて40時間預ける親に全国で対応していたら、ただでさえ足りない保育士がもっと足りなくなる。それがわかっていて進めるのは、国が短期的な経済を優先性、保育の子どもたちに与える影響を理解していないということです。

 施策に「潜在保育士の再就職を支援する」というのがありました。これも厚労省が進めている施策ですが、現在時間1800円になろうとしている派遣保育士の相場に対応してゆけるのか。何人分対応するのか、将来の相場をいくらに設定しているのか、未定のまま、今あるお金、国が用意している、何年続くかわからない予算(安心子ども基金)を頼りに進めようとしているのです。

 施策には、「安心して、子育てを行う」と書いてあるのですが、「安心して、子育てを他人に任せる」が実態。それは、正直に書くべき。しかも、これだけ保育士がいない状況で、「安心して預けられるだけ保育士を確保出来ない」ことは明らかです。

 「誰もが子どもを生み育てることに喜びを感じられる社会づくり」とあるのです。保育所で平均十時間以上子どもを預かることで、喜びが感じられるようになるとしたら、それはどんな喜びなのか。そういうことが議会で議論されなくなって久しい。

 小規模保育、保育ママの資格基準はどうなるのか。子どもの安全に責任が持てる人材を揃えられると本気で思っているのか。行政がこれを進めようとしている限り、事故が起った場合、賠償責任はどうなるのか。日本も確実に訴訟社会になってゆくでしょう。保険会社でさえ、すでに逃げ腰です。

 「家チカ保育所」「認可保育所並みに質を確保した保育施設」とあるのですが、毎年3、4割の保育士が代わるような派遣保育士頼りの保育チェーン店に任せるような保育は認可保育所並みとは言えない。しかも、認可保育所並みのチェック機能はどう確保するのか、子どもを守る手立ては約束されていないのです。

 「児童虐待防止、児童養護施設の充実」。言葉では並びますが、すべて、後手後手の対策になっていて、子育ての社会化を進めたらどんなに予算をつぎ込んでも歯止めがかからないことは、ここ十年の経緯を見れば明らかなはず。子育てを一緒にすることが夫婦の絆を深め、信頼関係を築く、その信頼関係がモラル・秩序を生みだす、となぜ考えられないのか。0、1、2歳児を積極的に預かること自体に問題があるとなぜ考えられないのか。三歳未満児の保育にかかっている税金の1/3でも親に直接渡し、子育て支援センターを充実させ、父親の子育て体験を条例化することによって、児童虐待の増加や待機児童対策の流れを変えることは出来るはず。

 

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保育士たちの声

 

 保育士の勉強会、研修会で講演する事が多いのですが、研修依頼の文章の書き出しにこう書いてあります。

「保育現場も保護者のニーズが多様化する中、個別の援助が必要な子どもさんの支援、愛着関係が築けない親子の支援、精神的な病を抱える保護者の支援、まは保育士自身が人間関係を築くことが難しくなっている現状で、日々抱えるものは山積みです。保育会でも、健やかな子どもたちの成長を支援できるよう、また保護者の方々の子育てに少しでもお役に立てるよう、皆で職員研修を行っていこうと考えています」

 

 山間部の町でさえ、とても保育士たちの力だけでは対応しきれない状況になっているのです。待機児童などいない市でさえ、親たちのニーズに応えよ、という中央政府からの指示と市長の選挙公約で、実際に子育てをしなければならない保育士たちが追い詰められている。三才児、一対二十で全ての子どもを可愛がることなどできません。子どもたちも少しずつ精神的拠り所を失いはじめ、個別の援助が必要な子どもが増えている。子育ての主体が家庭を離れ社会化することによって愛着関係の築き方がわからない親が増えている。周りに相談相手がいない、夫婦の絆も希薄で、精神的な病を抱える保護者たちが増え始めている。それを一緒に子育てをする者として支えなければならない。そんな毎日の中で、保育士たち自身が精神的にも人間関係の限界を感じ始めているのです。それでも、まだ、「健やかな子どもたちの成長を支援できるよう、また保護者の方々の子育てに少しでもお役に立てるよう」と書いてきてくれる保育士たちに感謝です。元気になるように、と祈り、行って励ますしかありません。政府や行政、マスコミが早く視点を変えてくれたら、と願います。このままでは無理です。いずれ変えざるを得ないのなら、立ち直りが困難になる前に、早く、と思います。

 

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 パシィフィコ横浜で、「東アジア文化都市2014横浜」のオープニングイベントで一緒に演奏したメンバーたちです。私の頭のところでマーシャルのアンプががんがん鳴っていましたが、ストリングスも入り、ガッツのある不思議な音でした。一緒に出た電波組incも、なかなか不思議でした。さながら時空を越えた、踊り念仏のようでもありました。ステージから見た客席の男たちの踊りはちょっと不気味な感じもしましたが、その圧倒的なエネルギーに日本の伝統の深さを感じました。

 

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