ツイッター@kazu_matsuiからの発展型/徒然なるままに

 子を授かり、男らしさ女らしさ(遺伝子的には、進化に不可欠の相対的発達障害?)が適度に中和され、自然界の落とし所「親らしさ」に移行する。そのための「子育て」なのかもしれません。


(差異を「選択肢のない絆」で中和し、お互いに必要であることを確認するために個人差=不完全さがある)

 以前、上野動物園の中川園長が教えてくれた,人間は八人育てて一人前説も、人間を動物の一種と見た時に成立する現代社会に対する警告的仮説だと思う。

(哺乳類には、平均生涯出産匹数があって、人間は八匹。八匹育てて一人前です、と中川さんは言っていた。親子という絶対的に必要としあう個体の差異が種の保存に決定的、という意味かもしれない。)

 八匹は無理としても、産むことは育てること、人間のような高等動物は育てることで一人前になってゆくと言いたかったのだと思う。「一人前」という言葉が中々意味深い。たぶん種の保存に必要な程度に成熟することなのだろう。遺伝子学者は「遺伝子がオンになってくる」という言い方をしていた。

 筑波大名誉教授の分子生物学者、村上和雄氏の「生命の暗号」という本に、遺伝子がオンになるほど良い研究が出来る、感性が磨かれる。遺伝子をなるべくオンにするには感謝すること、Give&Giveで生きること、その典型が乳児を育てる母親、と書いてあるのを読んだ時、その直感に感動したことがあります。

 男が授乳できれば結構遺伝子がオンになるはずなのでしょうが、宿命的に無理。今の世の中、父親が乳幼児を抱いて遺伝子をオンにする時間さえ極端に少ない。父親を人間らしくする一日保育士体験を薦めています。「親心を育む会」のホームページに父親たちの感想が数百載ってます。絶対、効き目あります。

 経済競争というパワーゲーム(マネーゲーム)に組込まれた子育ての社会化が、親らしさで心を一つにする(男女の差異を中和する・調和する)部族の定義を揺るがしている。

 人類は、赤ん坊の生まれて初めての笑顔を一緒に眺めて、部族の善性を確認し安心する。
 「逝きし世の面影」渡辺京二著の第十章、(子どもの楽園)を読むと、幼児を崇拝して生きていた人間たちの安心感と笑顔が、それを書いた欧米人の魂を揺さぶったのが見えてくる。インドや中国をすでに見た欧米人が、なぜこの国を「パラダイス」と呼んだか。貧しきものは幸いなれ、と言った聖書の言葉が、幼児を中心に生きることで具現化されることに、気づいたからだと思う。


 子育てに幸せを感じ、心を一つにし、人々が安心すると、競争が止まり経済は減速するのかもしれない。
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 国境を越えた経済のグローバリズムは、幸福論と無関係に、勝者敗者を残酷なまでに露にすることで成り立っている。資本主義のエネルギーは社会に不満と不安を増やすこと、と書いたのはアダム・スミス(国富論)。グローバル化した経済はまさにその通りに動いている。
 親らしさは損得勘定を捨て、利他の幸せを感じること。本来、経済の土台を支えるものではあるが、価値観の多様化により経済成長の対極に位置するようになる。(差異を中和するために補いあうという動きの対極にあるのが現在の経済活動。)

 百五十年前、欧米人はこの国の調和を見て「パラダイス」と言った。
 それでは困る、と今,日本の経済学者たちが言う。

 実は、「パラダイス」に競争は馴染まない。「逝きし世の面影」第十章に、日本の男、夏、冬という欧米人が百五十年前に描いた絵がある。それは、フンドシ姿で幼児を抱く男と、着物姿で幼児を抱く男。日本の子どもは父親の肩車で育つ、そこから降りるとすぐ赤ん坊をおんぶする。
 時空を越えて、欧米人が私たちにメッセージを伝える。

 男女という差異が子育てで適度に中和され、「親心」という調和を生む。差異を、経済競争における「機会の平等」で埋めようとすると、それはお互いの不完全さを尊重した上での調和ではないため、差異が競争のエネルギー源になり絆を傷つけはじめる。

 「待機児童をなくせ、子育ての社会化」:哺乳類2億年の歴史に対抗する親子を引き離す運動は、幼児の存在を軽んじることでのみ可能になる。その兆候は教師と保育士の待遇の差にも現れるし、親が育つ「幼児期の子育て」を仕事化、システム化しようとする施策でもわかる。
 以前、経済財政諮問会議の座長が「0才児は寝たきり」と言った。経済学者にとって、「寝たきり」の人は社会に貢献していない。学問の恐ろしさは、こいうところに現れる。数値で表れないことにはほとんど関心を示さない。
 0才児に一年間話しかけ、寝たきりの老人にも役割があることに人間は気づく。1才児2才児に信じてもらい許されて、認知症の老人にも障害を持っている人にも役割があることを知る。システムに過ぎない福祉には限界がある。予算が無くなるかもしれない。
 しかし何より、選択肢が出来ることで、心の育ちあいが消えることが恐ろしい。

 (子育ての責任が社会に移ると、モラル・秩序が崩壊していく。人間性は教育や法整備で強制できない。犯罪率(例えば傷害事件)を比べれば、家庭崩壊が激しいアメリカは日本の25倍、フィンランドは18倍、フランスは6倍、これが現実。宗教や哲学が数千年繰り返し言ってきた幸福論が、歴史の浅い経済論で壊される。)

 (個の差異=不完全さ、をまず親子という絆で中和する。絆をつくることに幸せを感じることによって、互いに必要とするために個人差があることに気づく。大自然の中で、個としての弱さを補うために、人間は絆を必要とする。発達、知的、年齢、体力、親子、男女、全ての個人差が絆を使って人類が輝くために存在する。子育ての社会化で選択肢のない不完全さの中和・調和ができなくなってくると、不完全さが家庭を崩壊させ社会を崩壊させる。子どものいじめはその兆候。パワー・ハラスメント。)

「逝きし世の面影」より

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金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。……ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである(チェンバレン)』




 保育士養成学校の先生が言う。「昔、学生たちの多くが、子どもを幸せにしたくてここに来た。今、学生が子どもに幸せにしてもらいたくて来る。愛に飢えていると、裏切りが許せない。子育てや保育は、裏切られることの連続なんです」
 わかるなあ。裏切られ,許され、愛され、そして人は子どもに救われる。

 (共励保育園の保育展で元品川区の子ども未来部長さん、川口の若手園長、長田先生と私で話していると、自民党副幹事長の萩生田さんがやって来ていい感じの核心に迫る討論会になりました。萩生田さんは共励の卒園児で元保護者。党派を超えて子ども優先に考えてくれる人が増えてほしいとみんなで期待。

 ある派遣保育士で回し始めた園、毎年4割の保育士が換わる。最短3時間。それでいい保育などできない。その派遣会社でさえ、保育ママ制度に派遣を渋っている。事故と訴訟が恐いのだ。米国で産婦人科医が掛け捨ての保険料高騰で消えていった時と似ている。そんなリスクを政府が一般の母親に押し付けようとしている。日本も訴訟社会に近づいているのに。

 園長が怒る。「株式会社でも何でもやらせりゃいい。派遣で回すのは保育じゃない。子どもをしつけてくれなんて言っても無理だからね。規制緩和して無資格増やしても虐待が増えるだけ。保育ママ?家庭的環境などと学者の言うことを真に受けたら大変なことになる。他人様の子なんだ。密室は絶対駄目!」

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