いじめをなくすために。(大人たちが絆と信頼関係をつくる)

 子どもたちと親たち、そして教師たち(保育者たち)と親たち、ともに育てあい育ちあう関係にあるひとたちが今の仕組みの中で、三すくみの状況になっていることを前回のブログに書きました。どのように不安を表現していいかわからない子どもたちが、警告として発信しているのが「いじめ」という現象のように思います。
 いじめる側の心の問題、じめられる側を支えなければならないひとたちの絆の問題、様々に存在して一概にこれが原因と断ずることの出来ない、人間たちのあまり良くない人間関係の複雑な状況と社会を覆う空気が、「いじめ」という形になって出て来ているでしょう。
 「いじめ」をなくすにはどうしたらいいのですか、という質問をされ私も考え込んでしまうのですが、私が知っている今の「問題のある仕組み」の中で、こういう方向へ進んで行けばなくなっていくのではないか、ということを今日、いま三つ書くと、
 子どもたちが、その子の小さい頃を知っているひとたちの目線に見守られて育ってゆくこと。(本質は善ですから、良い自分を知っているひとたちの前では、そうであろうとする。)

 父親たちが、自分の子だけではなく、ほかの子たちにも責任があると感じる。(これは、部族の男たちの「生き甲斐」でもありますから、遺伝子のなかに組み込まれていることで、オンにしてやればいいだけのこと。父親の一日保育者体験をすべての園でやれば出来ます。)
 母親たちが、我が子の命に感謝するひとたちを意識的に増やしてゆく。(身近な、一番自然なスタートは、子どもが幼児期に祖父母心を育てることができる機会をなるべくつくる。意外と、こういうことが人間社会の魂のインフラになっているようです。母親の心の中で繰り返される「この子をよろしくお願いします」という言葉が共鳴しあって、宇宙の一部としての人間社会があるようです。)
 

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