子ども扱いするということは、「神様扱いする」ということ

先日、新潟で行われた神社保育の研修大会で、私の講演の前に、「日々の誓い」が読まれました。
それが、とっても良くて、感動しました。
そう、保育は、子育てです。そして人類は、「子育て」を中心に、日々、生きる誓いを立ててきた。

「日々の誓い」

私たちは次の三ヶ条を誓い、
日々その実践に努めます。

一、  私たちは、
授かった子どもを神さまといつくしみ、
ともに和み(なごみ)つつ
保育にいそしみます。

一、  私たちは、
鎮守の森のすばらしさにふれ、
生命(いのち)の尊さとつながりに
気づかせるようにつとめます。

一、  私たちは、
日本の歴史や伝統を大切にし、
誇りと思いやりをもって
子どもたちに接します。

(ここから私)
「授かった子どもを神さまといつくしみ、ともに和み(なごみ)つつ」、と誓っている。そうだ、保育は、神様たちと「和む」ことなんだ。
もちろん、親もそうでなくては、いけません。

新しく教わったのは、幼稚園、保育園は、「鎮守の森」だということ。人間たちの、魂を鎮め、守るところ。「生命(いのち)の尊さとつながりに、気づかせる」ところ。

そして、保育者たちが「日本の歴史や伝統を大切にする」と誓う。
これは、子ども中心に、子どもを可愛がるこの国の文化、習慣、子どもたちを優先する、利他の伝統を大切にする、ということ。保育指針にも、書いてある。

その「歴史や伝統」を政治家たちが忘れているから、母子分離策が、政府の方針として広がって、いよいよおかしなことになっている。子どもたちと「和む」伝統を、「誰でも通園制度」などと言って、無理に壊そうとする。
そこに、愛国心がない。

その晩の懇親会で、園ごとの「出し物」がありました。
保育団体の懇親会における保育者たちの出し物は、いいんです。気持ちがこもっているんです。真剣で、楽しそう。いつも、園児たちに教えているから、本気で踊ることが習慣になっている。
来賓や、他園の理事長や、神社庁の長官を「踊り」に誘い出す。それが、上手い。私も、講演で使い果たしたエネルギーを搾り出して、一つ、踊りました。
そして、気付いたのです。

人間を、子ども扱いするということは、「神様扱いする」ということらしい……。