思い出すこと。日本の記憶

 思い出すこと

 

希枝ちゃんのお通夜には数百人の人たちが集まってきたのです。家族が知り得なかった、希枝ちゃんの人生がそこに現れた。

希枝ちゃんは私の教え子で、授業の後、暗くなるまで残って食い下がってくる学生の一人でした。卒業してからも時々会いました。保育士を辞めて病気になってしまって、私は、山から汲んできた力のあると言わる水を届けました。でも、彼女は逝ってしまった。

家族に頼まれ、告別式で一曲手向けました。彼女は、私の演奏が好きだったから。

いつまでも続く、葬儀屋さんが慌てるほどの長い静かな行列になりました。仕事から駆けつけた人、子どもの手をひく母親。子どもたちの中には、制服姿の子もいました。

あの、優しいけど、頼りになる笑顔で、希枝ちゃんはすごいことをしたんだな、と思いました。

子育ては、オロオロしながらやるもの。みんなでオロオロすれば、社会が出来上がる。そんな流れの中で、希枝ちゃんは、いつも変わらず、みんなを園に迎え入れていたにちがいない。

自然な、静かだけど強い、その姿が、みんなを安心させたのでしょう。この人は、いつでも親身になってくれる。

あの人が、あそこに、ああして立っているんだから、私たちは、だいじょうぶ。

私も、時々、思い出して、会いたいなぁ、と思うのです。

 

日本の記憶

日本の保育は、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=1047 に描かれる、子どもを泣かせないこの国の伝統と土壌から生まれた、世界で唯一無二のもの。

この国の良心、文化や伝統に根付いた「生きる動機」が、最もいい形で発揮された領域。そこに私の教え子が一人立っています。

欧米先進国とは「子育て」に対する視点が元々違うのです。

百五十年前に日本に来た欧米人が書き残した文章を、「逝きし世の面影」を介して読むと、欧米は、子育てを、かなりな部分、教育と重ね合わせ、将来の「戦力」を育てる意識で見ているような気がする。それに対し、日本人は、子どもを崇拝する、歓ぶ。インドや中国をすでに見た欧米人が、そのやり方、子どもの「扱い方」に衝撃を受け、「パラダイス」と呼ぶのです。

第十章だけでも読んでほしい。そして、欧米的な教育論、学問によって私たちが何を失おうとしているか、考えてほしいのです。

「逝きし世の面影」:第十章「子どもの楽園」から」

 

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838~1925)』

 

『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている…(バード)』

 

『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』

 

『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』

『私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない(ムンツィンガー)』

『「日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである。(チェンバレン)』

『日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ』。

『日本人が子どもを叱ったり罰したりしないというのは実は、少なくとも十六世紀以来のことであったらしい。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、主として長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンはこう述べている。「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。』

『ワーグナー著の「日本のユーモア」でも「子供たちの主たる運動場は街上である。・・・子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。彼らは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担った運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根突き遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、少しのまわり路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や駆者を絶望させうるような落ち着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する。」ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧を揚げており、馬がそれを怖がるので馬の乗り手には大変迷惑である。親たちは子供が自由に飛び回るのにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が乳母の足下で子供を両腕で抱き上げ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」こういう情景は明治二十年代になっても普通であったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ。』

(ここから私です。)

子どもの扱い方で、その国の性質、本当の姿が見えてくるのだと思います。ここに挙げた「記録」は、私たちの中に文化的「記憶」として残っている。それゆえに価値がある。これだけ一律に欧米人が驚きを持って、それを(私たちに)伝えようとしています。

日本人の子どもの可愛がり方は、尋常ではない、それが「事実」であり、ある国で、人類がたどり着いた極上の「調和」だった。

その伝統が、まだ残っているから、私は、人類の宝ともいえる「そのやり方」を、政府が母子分離施策で根こそぎ刈り取っていくのを見ているのに耐えられないのです。一言でも「愛国心」を言う政治家は、まずこの国の本質と役割を愛することから始めてほしい。

「逝きし世の面影」の中に、日本人の男、夏と冬という絵があって、夏の男はふんどし姿で子どもを抱き、冬の男は着物姿で子どもを抱いている。政治家たちも、頻繁に子どもを抱っこしてほしい。そうすることで、本当の日本の男になってほしい。

それからでしょう、「愛国心」について語るのは。

 

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。よろしくお願いいたします。子どもたちは、可愛がってもらいたいのに、繰り返し裏切られて、大人を信じなくなっている。児童養護施設の荒れ方を知ると、最後の堰が切れようとしているのがわかる。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみてください。)