アフリカ経由、縄文時代から日本へ

「この動画、見て下さい。

日本人がいかに素晴らしかったのか。取り戻していきたい事、保育に繋がる事がみえてきます。 https://youtu.be/k1zx_VpUfcQ縄文時代の日本の文化がアフリカの奥地に伝わっていた!

というメールをフェイスブックにいただきました。保育関係者は、乳幼児と関わっている人が多いので、この種類の伝言、伝承に敏感です。

真実のメッセージに溢れている。お薦めです。

日本の青年がアフリカに行って、ブンジュ村で部族のシャーマンから「日本はすごい国だ。たくさんのことを学んだ」と感謝される話なのですが、シャーマンが言う日本が、縄文時代の日本なんですね。こういう時空を越えた人間のコミュニケーション能力って、すごいですね。感動します。ほとんど、「だいくとおにろく」とか「わにわに」、「モモ」の世界です。

文化人類学者なら、たぶん驚かない。(原ひろこさんなら驚かない。)普通の学者だったら、エビデンスがあるのか、とか、絶対馬鹿げたことを言って反論すると思いますね。学問、学者、大学、資格、というものは、ブンジュ村の真実から遠ざかっていくようで、本当に厄介です。

このアフリカに行った、ペンキで絵を描く青年は、大学の保育科で教えることはないはず。しかし、アインシュタインは、情報は知識ではない、体験が知識だ、と言ったんです。こういう人ほど、全国すべての保育科で教えてほしいと思います。

有名大学で保育科の教授が、「なるべく母親が育てたほうがいい」と答案に書いた学生に、勉強不足と言い、不合格にする時代になっている。この国が立ち直るきっかけを、学者が潰している。

なんで、こんなことになってしまったのか。大学という仕組みが市場原理に取り込まれたためか、利害関係が複雑なのか、様々な次元の損得勘定が働いて、本当のことが見えなくなっているのです。「ママがいい!」と言う幼児の願いが、動機としては一番純粋で、利他の心で社会を満たすもの、と気づけばいいだけのこと、なのですが。

動画は、アフリカのブンジュ村のシャーマン、そこへ出掛けて行ったペンキで絵を描く日本の青年、この動画のことを私に教えてくれた保育者経由で伝わってきた、縄文時代の日本人からの「伝言」です。

 

「諦める、ということは、いまから真の休息が来るということ」

「日没になって、真っ暗になったら、全ての仕事を諦めなければならないから」

「この世には、諦める時間が来ることの幸せがある」

「諦めることを知らない親に育てられた子どもは、諦められなくなる」

 

いいなあ、こういう伝言。

村長、すごい。縄文時代の日本人に習った、と言って感謝しているところが、真実味があっていい。

虫と会話ができる民族は、日本人とポリネシア人だけだそうです。この辺りの話も、尺八奏者でもある私にはとてもよくわかるんですね。

(十一月十日、渋谷のライブハウスJzBratで、塩入さん、ノブくん、菅原さんと、また演奏します。ぜひ、予定帖に書き込んでおいてください。大田区私立幼稚園連合会の皆様、保護者の皆様、ご心配なさらずに、演奏の方は、夜です。)

早速、いく人かの友人に知らせたら、子育て関係者、絶賛です。幼児たちと毎日会話を重ねている人たち、幼児の時間を大切にしている人たちは、こういう真実を、直感的に理解するんですね。「エビデンス」なんて言葉に縛りつけられて、身動きができなくなっていない。(「自然治癒力」は、あちこちに形を変えて存在している http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=4381 )

児童養護施設で、最前線で頑張っている友人から、こんなメッセージがきました。

ありがとうございます。

日々の忙しさのなかで、見失いかけていたものに気付きました。

笑顔を忘れた職員と

笑顔が消えた子どもたち

魂がすり減っていく音が聞こえてきます。

でも、明日も歩き続けます。

そこに子どもたちがいる限り。

タンザニアの村のお話しを寝る前にしてあげようと思います。