一杯のお茶

一杯のお茶

ずっと以前、8時間保育が11時間開所になった頃、保育士たちがみんなで一緒にお茶を飲む時間がなくなったことを嘆いた園長先生がいました。長野県の公立園で親たちに講演し、職員室に座って、先生が漬けた野沢菜をつついていた私に、空になった園庭を眺めながら、園長先生が呟いたのです。

「保育が終わって、みんなで静かにお茶を飲む時間がなくなったんですよ」と。

一瞬、時間が止まったように感じました。

「Feel it!」と、誰かが私に囁きました。

公立園は職員の異動があり、園長先生には定年がある。六十歳は、本当に早すぎますね。

私立園とは、ずいぶん違った仕組みです。それでも、保育は子育て、大人たちが日々、心を一つにしなければやっていけない。情報を交換し、ときに愚痴をこぼし、慰めあう。ホッとして、感謝し、静けさを分かち合う。そういう時間が、とても大切なのです。家庭から伝わってくる喜びや悲しみを話し合い、噛み締めて、子どもたちの毎日を、できるかぎり笑顔で満ちたものにしていく。

繰り返し、繰り返し、「その日のうちに」みんなで祝わなければ、保育は、その形(かたち)を失ってしまう。

私に、そう教えてくれたのは、祖母のような園長先生たちでした。全員、女性でした。

(先日、高野山保育連盟の集まりで南紀白浜で講演した時、藤岡佐規子先生が亡くなられたことを聞きました。保育士会の会長もされ、国と渡り合うことができる、すごい方でした。二十年以上前に、「話したいだけ、話してください」と、講演時間を4時間用意してくださったことがありました。

先生の記事があります。

 「無償の愛が必要なときに愛されないと、人は育たない」https://www.asubaru.or.jp/92288.html 

ぜひ、読んでみてください。

横浜の瀬谷愛児園の九十歳で現役だった尾崎千代先生もそうでした。私のことをあちこちで推薦して下さり、「いいのがいる」。「どんな先生ですか?」という質問に、「先生じゃないんだよ。いいのがいるんだよ」と言ってくれました。

この世代の女性園長たちは戦争を体験し、戦後すぐ、女性解放を目指して、働く女性のために立ち上がった人たちです。女性の教員の産休が三ヶ月で、それでは辞めざるを得ない、という仕組みに決起した人生です。その人たちが、一つの苦言に行き着くのです。

「もしも、保育園や保育士が親の代行業になってしまえば、子どもにとってこれほど不幸なことはない。子どもがいちばん求めているのは親であり、親の無条件の愛、無償の愛が必要な乳幼児期に愛されないと、人は育たないんです」(藤岡佐規子先生)

国の母子分離政策に引き込まれた親たちの意識の変化が、これほど子どもたちに寂しい思いをさせ、急速に保育界を疲弊させるとは、戦後の民主主義に女性の自立、地位向上を重ね、夢見た人たちには驚きだったのでしょう。

前回のブログに書きました

 「働く女性を助けようとする人たちと、働く女性を増やそうとする人たちとでは、その動機があまりにも違う」

藤岡先生や尾崎先生の晩年の葛藤を思い出して書いたのです。自分たちは利用されたのではないか、という忸怩たる思いがあった。この人たちの精神が、おひとり様の女性学や、保育をビジネスチャンスと宣伝する連中に汚されるのは耐えられない。

私は、矛盾と葛藤を背負った女性園長たちの、厳しい目を常に意識し、そのエネルギーとその視点に仕込まれ、守られているつもりです。

「藤岡先生、『ママがいい!』という本を出しました。7冊目になります。大変です!」と心の中で報告しました。)

(福島の上石先生、新潟の長尾先生、島根の三加茂先生、奈良の竹村先生、はとり幼稚園の石川先生、千葉の御園先生ほか、道祖神園長の皆様。まだ、諦めませんから。😀)

 

保育施策を経済のために考え、操作している人たちは、保育園という仕組みが、どうやって整っていくか知らない。幼児を育てることは、同じ「福祉」でも介護とは違う。人数や予算、学問や手法で子どもたちの信頼を勝ち取ることはできない。「11時間保育を標準とする」など、あまりにも馬鹿げている。それを、政府や行政は、ただ、

「シフトを組めばいい」と言った。

その瞬間に、この国の大切な心臓部に近いところに亀裂が入ったことを、彼らは知らない。

 

千利休は、一杯のお茶で、人間社会(宇宙)がどう整っていくか理解し、人生を作法に昇華して権力にさえ立ち向かいました。

損得から離れることで権力と対峙する、日本の文化の象徴的存在でしょう。

その人からつながってきた「作法」が、保育園の職員室で受け継がれ、確かに生きていた。その伝統が、経済界の都合、政治家の選挙対策によって壊されていった。

「この人に預ける」が、「この場所に預ける」になり、「共に育てる」という保育の本質が失われ、仕組みが形骸化していった。

親子の双方向への体験が土台となって、人生が支えられるように、幼稚園や保育園は、本来、卒園児と卒園児の親たちの思い出の中に永遠に建ち続けるものでした。それが、「保育は成長産業」という「閣議決定」の中に消えていったのです。

日本の保育は、「逝きし世の面影」http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=1047 に描かれる、子どもを泣かせないこの国の伝統と土壌から生まれた、世界で唯一無二のもの。この国の良心が、最もいい形で発揮された領域。子どもの存在を賛美する。「女性らしさ」が領域を支配し、年配への敬意が家長制度のように機能していた。そこに行けば、いい「日本」が見えた。男たちも、行事や儀式をきっかけに引き入れられ、自分の「優しさ」を取り戻すことができた。

保育は、心でするもの。

その教えを、利他の心と、幼児に向き合い心を一つにする「作法」が支えてきた。私が招き入れられた、多くの園ではそうでした。給食のおばさんたちにまで、その姿勢が行き届いていました。

乳児への声かけ一つに親身さが欠けていれば、保育室は突然その色彩を失います。人間社会のモラルや秩序の土台となる動機の伝承が、保育園の職員室で行われないと、保育はその心、「母性」をつないではいけない。この伝承に、みんなで静かに飲む「一杯のお茶」が、大切な役割を果たしていたのです。

 

「幼稚園、保育園を、親心(利他の心)のビオトープに」と、私は講演して歩きます。

それが出来ている園が残っているうちに、親たちが、そういう幼稚園、保育園を選び、大切にしてほしいと思います。祖母の心で親たちを見張っている園長先生たち、その遺志を受け継いでいる保育者たちに感謝し、その人たちを守って、次の世代に渡してほしい。

卒園してからも園児たちとの縁を大切にし、園が一家の故郷(ふるさと)になっている園があります。成人式の日には、晴れ着姿の卒園児たちが、親たちと嬉しそうに集まってくる。その子たちを世話したベテラン保育士たちがまだ残っていて、またはその日園長に呼び出されて、涙を流す。そんな故郷(ふるさと)を手に入れた家族の人生は、彩り豊かで、確かなものになるのです。

日本の保育の伝統を守るのは「親たち」なのです。よろしくお願いします。

保育がその魂を取り戻せば、この国はまだまだ輝き続けるはず。

一杯のお茶、が大事な役割を果たしていた、という園長先生の教えが、蘇えってくることを祈ります。

(コロナが明け、幼稚園、保育園での講演が増えました。二年以上中止になっていたので、親たちを巻き込む「行事」、親たち自身の伝承でビオトープのように回っていた催しを復活させるのは、なかなか大変です。講演をきっかけに、もう一度エンジンをかけ直そう、と呼ばれる。十五年ぶり、二十年ぶりの「師匠」「同志」との懐かしい「再会」があります。

保育の草創期に、「祖母の心」が保育界を支配していた頃の「言い伝え」「教え」をつないでいかなければならない。

録画してもらい、来なかった人たちに回覧してもらい、園のホームページに上げてもらいます。

園長先生たちの尽力で、近隣園の保育者や役場の人、助産師さん、校長先生、理事長の説得で、市長や教育長が来てくれたりする。先日は、知事も大会に来てくれました。控え室で話をし、本を渡します。読みます、と言ってくれました。

「ママがいい!」という、子どもの気持ちを優先すれば、様々な仕組みが再び整ってくる。

幼稚園、保育園が主導する、親心のビオトープは一度回り出せば大丈夫。人間が幸せに成りたい、と思う気持ちが原動力になって、年長さんの親から、年中さん、年少さんの親へと伝承され、回り続けるのです。その作り方、を実例を挙げて「ママがいい!」に書きました。子育て支援センターや、学童、放課後子ども教室や学習塾でも、ビオトープは作れます。親たちがそこで一生の相談相手を見つければ、それが社会の土台となっていきます。

お互いの子どもの小さい頃を知っている、それが「安心の最小単位」なのです。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。小学校のPTAからも依頼が入りますが、感想文に、十年前にこの話を聴いていたら、とよく書かれます。)

 

俊先生に描いてもらった「とら」。

第十章「子どもの楽園」だけでも、読んでほしい。本当の日本が見えてくる。