松居和チャンネル、アップしました。第25回のテーマは、『子育ての「魂」を守らなければ』です。 副題は、『人類は、子どもの最善の利益を優先する』。
「毎日、八時間も、赤ちゃんを母親から引き離したら、可哀想でしょう」、その気持ちが「保育」の現場から消えていったら、この国を支えてきた「利他」の魂、生きる動機が崩れていく。
その結果、保育だけでなく、就学前後の「子育てに関わる」さまざまな仕組みが一斉に「輝き」を失い、学校教育に確実に連鎖していく。「教師不足」「人材不足」という形で、すでに起こり始めている。
「子育て」を「仕組み」で出来ると思うことが、「親を育てる、育てる側の心を一つにする」、という子どもたちの本来の役割を奪っていく。
それを進めているのが、保育科で教える「教授」たちだとしたら、この歯車は、すでに巧妙に出来上がっている。
どこで、それを断ち切ればいいのか。
そんな話をしました。
十一時間保育=標準と決めた国の仕組みを、受け入れ、子育てを「学問」にして道筋を誤魔化そうとしたあたりから、教授たちは、資格ビジネスに取り込まれ「感性」を失っていった。
当然のように、大学や専門学校の保育科が定員割れを起こしている。
保育を、一生の仕事、「働き」とは、もう思わない若者が増えている。子育ての価値を理解せず、安易に母子分離を進めた政府の愚策が、一度も結婚しない男が三割という現象にまで行き着いている。それを「子育て安心プラン」とか「チルドレンファースト」と呼ぶのだから、話にならない。
だから、保育士不足は、ある意味、「自浄作用」かもしれない。
本能的に、幼児たちに寄り添っているのだと思える。
幼児の気持ちを忘れ、学問を「権威」として振り回す学者の多くが、保育現場をまったく体験していない。
再選された都知事の「二人目の保育料を無償化すれば、子どもが輝く。チルドレンファースト」は、意味不明の極致。人類として見過ごせない「記者会見」だったが、マスコミは疑問を持たず、異を唱えない。
講演先で中学生に話しながら、私は、その子たちの「真剣な眼差し」に救いを求める。
ここにいる生徒たちと、幼児たちを出会わせればいい。それで、利他の歯車は回り始める。
人間関係の「仲介役」として、幼児たちは、そこにいる。
人間が、いい人間になる「先導者」として、生まれてくる。
一般向けの講演会の告知です。よろしくお願いいたします。