タミルナード州の、ここDindigulのホテルではBBCとCNNのニュースが入るのですが、どちらも報道がセンセーショナルで、日本にいる家族のことがとても心配になります。
松居和ブログ
インドにいます。
インドに来ています。久しぶりに、一年半ぶりにシャクティーセンターを訪れています。
空港に降りた時から、「変わらないインド」がそこにあります。生きている感じがします。貧しくて、働けなくなったり怪我をしたら怖い、諦めるしかない世界。じっとりと人間が生きています。人類が集団である感じがします。アメーバーような人類です。理屈や理想論とは別の次元で、お互いがパズルのように組み合わさって、だから存在する「生きる力」です。この力は、強い。
シスターチャンドラもシスターフェルシーも元気そう。空港に迎えに来てくれた二人の姿を見てホッとしました。シスターは少し体重を減らし、フェルシーは少し増えて、ちょうどいい感じです。マドライ空港は、典型的な田舎の空港だったのが、ずいぶん立派に巨大になっていました。インドの南部はハイテク産業の拠点になるはず。その玄関口として立て直されたのです。
センターに着くと、歓迎の詩と踊りをみんなからプレゼントされました。新しい娘たちがたくさんいます。みんなで祈りました。
インドの景気はどうですか、とシスターに聴いたら、「お金持ちはますます金持ちになるけど、貧乏人はますます貧乏になってきました」
ダリットに対する差別の問題も、なかなか簡単に改善というわけには行かないようです。宗教や職業の世襲制がからんだ複雑な常識の中にカーストは存在しています。二千年の呪縛です。アメーバーの解体は、思うようには進まないようです。
ダリットの少女たちも8年生までは学校へ行けるようになって来ました。行政や政治家の意識も変わって、選挙があるたびに、教育の権利が少しずつ守られるようにはなってきました。ダリットの人口はインドの人口の20%ですから、大票田ではあるのです。民主主義というパワーゲームも、試みとして一部機能しつつあるのです。
しかし、新たな問題として、ダリットは学歴社会での差別と闘わなければならなくなってきているそうです。村で暮らしている時には体験することのなかった差別の現実を、教育と交通の発達のおかげで、体験出来るようになってきたのです。差別のフィールドが、個人の人生体験の次元で広がって来ている、ということです。ドキュメンタリーで語られたようなあからさまな差別の状況は、いつかは改善されるのでしょうけれど、まだまだ遠い遠い道のりです。
まだ現時点では、差別の現実を体験する権利を勝ち取ることが出来た、という段階です。
私もアメリカで人種差別を幾度も体験しました。多くの黒人の子どもたちが中学生くらいで崩れるように暗い顔になっていくのを見て来ました。知る、ということは、実は、覚悟のいることなのです。
それでも、センターに来ている子どもたちの表情は明るく元気で、私をずいぶん勇気づけてくれます。
美しさで量れるものがそこにはあります。美しさ、は「絆」の目に見える形だと思います。
そこへ共励保育園の長田先生がから、この映像を見よ、というメールが入って来ました。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/1efa580162d941628d5d95393ebad583
保育所の国基準を緩和せよ、という全国知事会の要望のニュースでした。大阪の橋本知事がテレビに出て来て、0才児一人当たりの面積を緩和しろというのです。簡単に言えばもっと詰め込めるようにしろ、ということです。
インドにいると、なぜかこうした子育てに関する問題が、より一層くっきりと異常に見えて来ます。
貧しい村で育ち、いまも貧しい暮らしをしているシャクティの卒業メンバーが、日曜日に子連れで集まってくれることになりました。結婚、子育てが人生そのものとして受け入れられている国の風景です。みんな子どもを私に見せたいのです。
「シスター?チャンドラとシャクティの踊り手たち」から、映像のメッセージ
オープニング http://youtu.be/YXk7xexQR8I
セルバの結婚観 http://youtu.be/h3OpPP_JY_g
カール・アンダーソン
今日はカール・アンダーソンの命日だった。唐突に、メールで知人から知らされたのだ。
7年前にカールは逝った。知らせてもらわなければもちろん覚えていなかった命日。こういう時は、意識の中で、、ちゃんどリアクションした方がいい。久しぶり、カール。
カールは、私の最初のアルバム「Time No Longer」で歌っている黒人の歌手。ミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」で主役のユダ役を演じ、映画「ディープパープル」にも出ている。
私にとっては、アメリカという国の扉をあけてくれた案内人だった。今でも初めてスタジオで会った日のことを思い出す。温かい飲み物の入ったポットを片手に、「Voice from the Dark」を一気に歌い上げていった。https://www.youtube.com/watch?v=KwYERT0zE-Q
地球が終わりに近づいている時に、危機を告げる吟遊詩人に暗闇から語りかける、というかなり奇想天外な私の舞台設定を見事に歌いきってしまった。あんな体験は人生でもそうそうない。ジェニファー・ウォーンズが「Direction West」を二枚目のアルバムで歌ってくれた時も素晴らしかった。カールの時は、私にとって本物の歌い手を初めて録音した体験でもあったので、印象が特に強い。いまだに昨日のことのように思い出す。モントレースタジオだった。ちなみにこの曲のドラムは、亡くなったジェフ・ポルカロ、ギターはスティーブ・ルカサーとロビン・フォードだ。
カールとは、人種差別の問題を軸に、アメリカや人間についてずいぶん話し合った。いつも言葉に力がある、ストリート系のインテリだった。
私はいつも講演でアメリカのことを数字を上げてとてつもなく批判するのだが、カールが「Say it, Kazu, Say it!」と言っているような気がする。
珍しい種類の白血病になった時、「Kazu, I ‘ve got bad deal, men」と言っていたのを、その声の哲学的な調子まで思い出す。妹の骨髄を移植したが駄目だった。なぜかいまでも私の携帯電話にはカールの携帯電話の番号が入っている。病院にかけていたのをそのままにしている。いつか電話をしなければ、と思っているのかもしれない。こういうときに、「携帯」電話はいい。
葬式には、スティービー・ワンダーやナンシー・ウィルソンが来て、本気で歌った。霊歌を歌った。
息子のカリルはいくつになっただろう。
私が会った頃、カールは時々アブカリルを名乗っていた。回教名でカリルの父という意味だった。ブラックムスリムの運動に少し関わっていたのではないかと思う。カールがアメリカという国を見るとき、そっち系の厳しさが常にあった。ロジックが信心と螺旋状に絡み合っている。そう言えば、カールを看取った二番目の奥さんベロニカは、以前モハメド・アリの奥さんだった。私も、一度パモナ大学での集会に出て、アリからサインをもらったことがあった。
www.dongarlock.com/carl
大道あやさん
あやおばさんが亡くなった。もう去年の秋に亡くなっていた。今になって報道されたのだった。100歳越えていたから仕方ないけれど、新聞の記事とラジオのニュースを聞いた時は、けっこう悲しかった。
江ノ島アジア映画祭、ありがとうございました。
実行委員会の方たちのご努力のおかげて、たくさんの人にシャクティの風景を見ていただくことが出来ました。
『がっかりしないで』
お姉ちゃんの授業参観日に
弟が熱を出した
お姉ちゃんはまだ一年生だから
お母さんを探してふり返るお友達の中で
きっと
淋しい思いをするだろう
熱で赤くなった弟の寝顔をみつめながら
何て言おうか考えていたら
娘は私の顔をのぞきこみ
そっと言った
「授業参観に来られないからって
そんなにがっかりしないで
お母さん」
http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm (省子さんのホームページ)