人間は、弱者の願いを尊重し寄り添う

 

最近、保育関係者から講演依頼を受けると、不適切保育を無くすにはどうしたらいいですか、と前もって質問されることがよくあります。他人の子ども、しかも0、1、2歳をいじめる、人間として許せない保育士は雇わない、不適切とわかった時点ですぐに解雇する、それだけのことなのです。母子分離の目標数値を「子育て安心プラン」で掲げ、それができない状況を作り出しているのは、政府なのです。そこに気づかない限り、すでに学校教育まで達している不信感の連鎖は止まらない。

 

最近の記事です。

大手の福祉系株式会社が経営する保育園に、不適切保育士が四人常駐していた、という。

(思考を情報レベルで止めないで、この「市が虐待と認める」風景を、毎日毎日、たくさんの子どもたちが見ていた。そのことを忘れないでほしい。その出来事は、子どもたちの記憶の中に、原風景、PTSDとして残り続ける、そこまで想像して読んでほしいのです。)

 『吐き出すまで嫌いな給食たべさせる…ニチイ学館運営の保育所で園児に虐待行為』 https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20231023_30806 

 ニチイ学館が運営する名古屋市中川区の保育所で、虐待行為が発覚し、市が改善勧告をしました。名古屋市によりますと、中川区の認可保育所「ニチイキッズ長須賀保育園」で2023年4月から9月にかけて、保育士4人が3歳や5歳の園児に対して、食べたものを吐き出すまで嫌いな給食を食べさせるなどの不適切な保育を続けていました。(中略)この園では2015年にも、園児に食事を無理やり食べさせる虐待行為が発覚していて、ニチイ学館は取材に「2回目が起きてしまったことは深刻な問題と捉えている」などとコメントしています。

 名古屋市 虐待行為で2つの保育施設に改善勧告 https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20231023/3000032389.html
(前略)ルナ4新栄では、9月、園児が吐き出して机の上や床に落ちた食べ物を再び園児に食べさせたほか、食べ物が床に落ちたことに対し「ごめんなさいは」と謝罪を要求するなどの行為があったということです。
市は、いずれの行為も虐待と認定した上で、園児の生命や身体に危害を及ぼすおそれがあるとしてそれぞれの施設に対し、児童福祉法に基づく改善勧告を行いました。
市は、施設に対し、職員を対象とした研修や、利用者の信頼を回復するための取り組みを定めた再発防止策を策定し、11月22日までに提出するよう求めています。
「ニチイキッズ長須賀保育園」を運営するニチイホールディングスは、「園児、保護者の皆さま、関係者の皆さまに多大なるご迷惑とご心配をおかけし、深くおわび申し上げます。改善勧告を重く受け止め、名古屋市の指導をあおぎながら再発防止を徹底するとともに、適切な保育園運営に努めてまいります」とコメントしています。
また、「ルナ4新栄」を運営する社会福祉法人「中日会」は「保護者に多大なるご不安やご不信をいだかせて誠に申し訳ありません。園児の発達を考慮した保育を実践し、不適切な保育を徹底して排除します」などとコメントしています

 

(ここから私です。)

「改善勧告を重く受け止め」る、のではなく、その前に、人間として受け入れてはいけないこと、なのです。なぜ、その時止められなかったのか、仕組みに子育てを任せ、それに慣れるということの恐ろしさがそこにはある。なぜ、そんな仕組みになってしまったのか、保育現場が人間性を失っていく現実を、他人事ではなく、社会全体の問題として「重く受け止め」なければいけない。

「親に見せられないこと」をする保育士を複数人雇い続けたということは、組織ぐるみの「確信犯」なのです。今更、「2回目が起きてしまったことは深刻な問題と捉えている」では話にならない。こんなコメントが成り立つこと自体がおかしい。こんなコメントやニュースに慣れてはいけないのです。

2回目が起こるまでの間、その風景に慣れようとした保育士たちがいた。その保育士たちの感性、人生が壊れていった。それを見ていた子どもたちの一生に、大人たちのその姿が焼きつき、その時の不安感が、将来パニック障害や統合失調症のような形で現れる可能性がますます高くなっている。

先進国社会に共通した精神疾患の異常な増加は、幼児期における安心感の欠如がその原因にある。幼児期の不安定な人間関係とそれを目にした恐怖がある。

 

次の週、こんな報道がありました。

保育士5人が計30件の虐待・不適切保育 徳島の村立保育所

 徳島県佐那河内(さなごうち)村の村立佐那河内保育所で不適切な保育が行われていた問題で、同村は1日夜、弁護士ら外部の専門家2人による調査結果を公表した。女性保育士5人が少なくとも9人の園児に対し、2021年度以降に計30件の虐待や不適切保育などを行っていたことが明らかになった。当初、同村の調査では虐待はなかったとされていたが、今回の調査では虐待15件を認定。保育士5人のうち2人は既に退職しており、同村は他3人について処分する方針。また、5人について刑事告発も検討する。

 報告書では、園児が口から吐き出した食べ物を食べさせた▽園児が机の上にこぼした牛乳を紙片でかき集めてコップに入れて飲ませた▽冬に園児の下半身の衣服がぬれた状態のまま散策させた――など計15件を虐待と認定。また、複数の園児に対し「アホ」「バカ」と言うなど、心身に有害な影響を与える行為が3件、園児の排便が床に落ちた際にティッシュでふくだけで消毒をしなかった▽絵本を読んでほしいと求める園児に対し「うるさい」と言うなど、身体的、精神的苦痛を与える「不適切保育」事案12件を認定した。

 岩城福治(よしじ)村長は記者会見で「園児とその保護者に心からおわびする。職員一丸となって、園児の心のケアと信頼回復に努めていく」と陳謝した。

 保護者の1人は毎日新聞の取材に対し、「これまで何度も保育所長を通じて村に虐待を通報していたのに相手にされなかった。保育所が一つしかないため保育士の人事異動もなく、状況を改善できない体質が問題だ」と憤った。

 

(ここから私です。

村に一つしかない公立保育園で、乳幼児に対する虐待が、数年に渡り複数の保育士(地方公務員、準公務員?)によって続いていた。親が役場に通報しても相手にされなかった。

これはもう過失ではない。国が責任を持つべき「仕組み」が破綻している中で起こる、組織的「行い」です。親たちに「子育ては人生の幅を狭くする」(子ども未来戦略)などと言って、母子分離を勧め、世論を損得勘定に誘導し、「子育て」を保育士に押し付けても、その歪みの中で保育の質は落ち、その影響は、子どもたちの人生を左右する。

仕組みから「心」が消えていくことが問題なのです。「弁護士ら外部の専門家2人による調査」が必要なことでは全くない。人間として、駄目なことはダメ、なのです。役場を含む現場で、いつの間にかそう言えなくなり、それに「慣れた」ことが問題なのです。

(経済財政諮問会議の元座長が、「0歳児は寝たきりなんだから」と言うのです。乳幼児たちの日常の大切さを、全く理解しない村長や政治家が居ても不思議ではない。)

「研修」や「対策」、改善勧告で対処する範疇を超えている。子どもたちは、安心できる環境を求めているのに、それに応えようとしない大人たちがいたということ。それまで見ぬふりをしていた村長が「信頼回復に努めて」いける問題ではない。子どもを可愛がる、から始まって、子どもに寄り添う、そして、「ママがいい!」と言っている子どもを母親から長時間引き離すのは、「可哀想」と思う心を社会全体に取り戻していくしかない。

村役場の職員が一丸となって、「園児の心のケア」など出来るはずがないのです。「村人が一丸になって」なら、まだわかる。しかし、役場が専門家を雇って、子ども一人一人に対応したとしても、そこに「心」と継続的な「絆」がなければ、できることではない。乳幼児期の発達に影響するこうした出来事は、原因と結果の境界線がわからない。はっきり言ってしまえば、心の専門家、みたいな人が増えるほど、社会全体の心の病は増えていく。カウンセラーや心療内科が「薬物依存」や「アルコール中毒」の入り口になっていく。(仕組みと薬物の関係について欧米社会で何が起こったか、「ママがいい!」に書きました。学問と仕組みに人間性の代わりはできないのです。)

「専門家を雇って」というのは、いつもの言い訳、「ケア」という横文字を混ぜるのは学者の誤魔化し。「ママがいい!」という言葉にみんなで真剣に向き合って、親身な絆を立て直すこと、耕し直すことしかない。

NPOでも、保育ママさんやファミサポを中心にした集まりでもいい。母親たちの心から生まれる「子育て支援センター」が、雨後のたけのこのように増えていけばいい。それは、今、増え続けている。

一昔前にそれが当たり前だったように、「お互いの子どもの小さい頃を知っている」という関係から、信頼関係を作り直すことしかない。だからこそ、幼稚園、保育園の役割り、サービス産業化せずに、親心のビオトープになっていくことが鍵になってきているのです。

人間は、弱者の願いを尊重し、寄り添うのです。

「ママがいい!」という言葉をありがたい、と思い、みんなが、心を一つにする。良くないことがあれば、「可哀想だった」と、みんなで心を痛め、一緒に悲しむ、良いことがあれば、みんなで祝う。そういうことが大切なのです。

政府や仕組みに、その責任を委ねてはいけない。政府は、子どもたちが「可哀想」だ、という次元では、もう考えていない。

地方公務員として保育士を募集し倍率が出ない地域がある。保育士不足はそこまで進んでいます。「処遇改善」はしてほしいですが、すでに人材不足は「待遇」では修復不可能ということ。それを理解せず、いまだに、より多く預かることが「子育てしやすい」自治体、と宣伝し、当選しようとする、議員、首長たちがいる。

心ある保育士たちから支持されていた「育休退園」を廃止し、それが子どもに優しい市だと言う市長が当選したりする。生まれたばかりの弟や妹と過ごす「権利」、二度とできない「体験」を、お兄ちゃんやお姉ちゃんから奪ったことなどこの市長の思考経路には入っていない。自ら選択できない幼児たちの人生を慮る「責任」が政治家にはあるはず。現場の保育士たちが、どう感じるかも含め、「想像力」「理解力」が無さすぎる。これでは、現場が施策に背をむけ、壊れていく。育休退園に反発していた母親が、仕方なく家で二人の子どもを育てているうちに、三歳に満たない上の子が赤ん坊を可愛がる姿に感動し、やって良かったです、と役場まで言いに来たことなど、マスコミは報道しない。

子育ては、双方向への「体験」で、代替できるものではない。親がそれに早く気づくことが、崩れ掛かっている義務教育を支える唯一の方法です。

今日、ここに挙げた園児虐待の記事は、国を挙げての確信犯的なネグレクトの結果です。

幼児と関わらせてはいけない人は雇わない、雇ってしまったら解雇する、ブラックリストに載せる、そうした幼児を守る姿勢を国が前面に示すだけでも、その多くを未然に防ぐことができる。

(一日保育士体験を進めて、いつでも親に見せられる保育をする、そう決意するのが一番自然で効果的です。)

なぜ、それが出来ないか。と言うより、しないのか。

不適切者の存在を許したのは、0、1、2歳児と対話して自分自身の人間性を学ぶことを避けようとしている、親たちなのかもしれない。

1997年に、『保母の子ども虐待:虐待保母が子どもの心的外傷を生む』中村 季代 (著)という本が出版され話題になっています。

保育学者たちは、保育所における良くない風景が連鎖することを知っている。実習に行った学生に聴けばわかる。「あの園に実習に行くと、保育士になる気なくなるよ」と、先輩から申し送りになっている園がある。そこに子どもたちの日々が存在するのに、その実態を、実習園を確保するために、学者たちは放置する。

「教育」は、その本質と魂を失い、資格ビジネスになった時に、時間を換金する手法でしか無くなり、市場原理と結びついて負の連鎖を始める。他の学問なら気にもしないけれど、「保育」でそれをやられると人間社会のモラル・秩序が壊れていく。

子どもを育てるということは、人間が生きる動機と重なっているのです。

保育科で教えるなら、まず、11時間保育を国が「標準」とすることは、子どもの権利条約違反だと宣言すべきです。それ以前に、0、1、2歳児を母親から長時間引き離すのは可哀想、という気持ちを忘れてはいけない、と、学生たちに念を押すべきでしょう。

すでに義務教育の「家庭科」の時間において、それができない。人間性の根幹について教えることができない。そこに、「欲の資本主義」が学問を取り込んでいる現実が見えます。強者の利権争い、損得勘定が「子育て」において一回りして、「教育」を形骸化させ、学級崩壊やいじめ、不登校に連鎖している。

いま、保育界が感じている「あきらめ」にも似た苦しみは、

幼児たちの信頼の視線を毎日浴びながら、保育士が「良い心」を抑えて仕組みに合わせるために、見て見ぬ振りをせざるを得ない状況になっていることに原因があるのです。

(ブログ「シャクティ日記」:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、書いたものをまとめています。タイトルも付いています。ぜひ、参考にしてください。重複する内容が多いのですが、初めて文章を読んだ人にも、何が起こっているか、全体像を理解してもらいたいので、そうなっています。コピー、ペースト、リンク、なんでも結構です、拡散していただけると助かります。

「ママがいい!」、読んでみて、良ければ、ぜひ、薦めて下さい。早く、多くの人が、経済学者や政治家が作った、子どもの日常を軽視した競争の仕掛けに気づかないと、すでに、学校教育が限界にきています。

教員不足対応への費用 今年度の補正予算案に盛り込む 文科省

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231103/k10014246021000.html 

2023年11月3日 4時10分 文部科学省

深刻化する教員不足への対応を急ぐため、文部科学省は、教員として働くことを希望する社会人を対象に行う研修、いわゆる「ペーパーティーチャー研修」の実施に必要な費用を今年度の補正予算案に盛り込むことになりました。

学校現場の教員不足が深刻な問題となる中、文部科学省は教員の確保に向けた一部の施策を前倒しして実施するため、今年度の補正予算案に必要な費用を盛り込むことを決めました。
このうち、各都道府県の教育委員会が教員として学校現場で働くことを希望する社会人を対象に行う研修、いわゆる「ペーパーティーチャー研修」の実施に必要な費用として、1つの都道府県当たり最大で570万円を補助することにしています。
研修は数週間程度で、不登校やいじめなど最近の教育現場の課題を学ぶことや、タブレット端末を使った授業の実習などが想定されています。
教員免許を持っていない人も研修を受けることが可能で、研修後、非常勤のスタッフとして学校で指導に携わり、適性を見極めたうえで「特別免許状」や「臨時免許状」が付与されます。
文部科学省では必要な予算として補正予算案に5億円を盛り込むことにしています。

(ここから私です)

五億円でどうなることではない。保育界で失敗した、有資格者の「掘り起こし」を義務教育でもやろうとしていますが、これは問題の先送り、やったフリに過ぎない。彼らの言う「資格」は人間性とは無関係で、そういう問題ではすでにない。人間性について真面目に話し合う、という土壌から耕し直さないと、発達障害x愛着障害xPTSDと思われる人たちが、教師や保育士になっている時代なのです。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。

「ママがいい!」のおかげかもしれません。最近は、園長先生の呼びかけで、単体の園での講演会に行政や議員、市長、近隣の校長先生も来てくれます。)

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