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(FB、お友達申請から)
はじめまして。
4歳の娘の母ですが、仙台市で保育士をしています。
ママがいい!
凄く心に刺さりました。
まさに私が娘から泣き叫ばれて言われていた言葉でした。
泣き叫ぶ娘を置いて、職場で他のお子さんを抱きしめる毎日に、娘に対し、罪悪感がいっぱいの日々でした。
心臓がえぐられるようで、泣きながら運転して出勤したこともありました。
色々な気付きと確信をありがとうございます!
ぜひ、お友達申請させて下さいませ。
(ありがとうございます。本当に、ありがとう。)
つい十年ほど前まで、0歳児を預けに来た親に、「いま預けると、歳とって預けられちゃうよぉ」と、冗談交じりに苦言を呈していた園長が、いつの間にか、黙り込んでしまって、保育園がサービス産業になっていく。国の思惑通りに。
そして、学校教育が成り立たなくなってくる。
子育ては、人間たちが、大切な何かを確認し合うこと。
「ママがいい!」、これほどいい響きを持った言葉はない。音で奏でる、勲章です。
お互いに、生きている、という実感が湧く。
この言葉が発せられた時、それを喜んで感謝しなければ、自分自身が見つからない。
この言葉を軽んじると、様々なことがうまくいかなくなる。
そう思っています。
もう一つ、小野省子さんの詩です。
小野さんの好意で、この詩集を講演で配り始めて十年になるのかな。何万部も配りました。国会でも朗読しました。板橋区が、八千部ほしいと言った時は、ちょっと驚きましたが、園で配ってくれるなら、と差し上げました。
省子さんが、三歳のヒカリちゃんとした会話は、ヒカリちゃんが中学生になったいまも、ずっと生き続けています。
お母さん、どこ (詩・小野省子)
「ヒカリちゃんのお母さん、どこかしら」
「ここにいるじゃない」
「それはコウちゃんのお母さんでしょ」
弟を抱いた私に、娘は言った
長いまつげの小さな目は
悲しげにも見えたし、
何かをためしているようにも見えた
「じゃあ、ヒカリちゃんのお母さんはどこにいると思うの」
「病院に寝ているんだと思う。バアバが言ってたよ。
ヒカリちゃんのお母さんは、病院に行ったよって」
娘は、私が弟を出産した日のことを言っているのだ
「お母さんをむかえに行かなくちゃ」
玄関でくつをはこうとする娘の
小さな背中を見ていたら
私は
夕闇の中で
大切な人に置き去りにされたように
心細くてたまらなくなった
同時になぜか
動揺している自分が
くやしくもあるのだった
娘はふり返って
私が泣いているのを見て
「あっ、ヒカリちゃんのお母さん、
やっぱりここにいた」と
無邪気な風に言うのだった
(ここから私。)
三歳の娘に、「おかあさんどこ?」と面と向かって言われたら、母親は、立ちつくすしかない。一人、置き去りにされたように。
幼児の真剣さ、その一途さにオロオロし、寄り添おうとすることで、母親は、自分の場所を確認しようとする。
どんな説明も、理屈も通らない。
そう教えてくれたのは、ヒカリちゃん。
言葉での会話の、なんと虚しいことでしょう。
でも、母親は、泣くというコミュニケーション手段を知っていた。これを知っていれば人類はだいしょうぶ、それを教えてくれたのも、ヒカリちゃんです。
いい親でいたい、そう思った瞬間、その親はいい親です。心もちの問題です。立ち尽くし、泣くしかない時もあるのです。
インドの田舎に何回か、都合1年くらい、住んだことがあるのです。気づくこと、学ぶことがたくさんありました。
ドキュメンタリー映画を一人で作って、いくつかのシーンがYouTubeに載っています。
「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」といいます。女性の人権の為に闘う修道女の話です。
美しいです。
ぜひ、風景に触れてみてください。
貧しき者は幸いなれ、という感じがします。私たちに必要な、不思議なメッセージが伝わってきます。ちなみに、シスターと私は同い年、です。
これがリンクです。
http://kazumatsui.com/sakthi.html
こちらで受賞歴などが見れます。 http://kazu-matsui.jp/sakthi/2008.html
上映会してくださる方がいらしたら、ご連絡ください。時間の許す限り、私の解説と、演奏付きです。人を集めていただければ、基本無料です。シスターの活動(ミッション)への献金を募ってくだされば、シスターに送ります。