親心を育む会/覚悟の伝承

2012年6月

月に一度、もう四年熊谷市のなでしこ保育園で集まっている「親心を育む会」で、ときどき若手保育士お悩み相談会をやります。若手保育士が班ごとに分かれて他園の園長先生主任さんに保育の悩みを相談します。他の園ではどうやっているか、おたがいにお知恵を拝借するのです。私はその日、会の重鎮門倉先生の班に入ろうか、若手論客で恐れ知らずの高木先生のところにしようか、北の魔女の園部先生にしようか迷ったあげく、保育界のチャネラー大島先生の班に加わりました。(大島先生は園長で、実はまったくチャネラーではないのですが、なんとなくそんな感じがするので私が勝手にそう呼んでいるのです。衆議院の委員会で発言した時も後ろに座ってもらいました。)

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 噛みつく子が増えているという話題になりました。先日、テレビ報道の中でインタビューされた園長が「一歳は噛みつくころだから」とポロッと言っていたのを思いだし、
 「一歳は噛みつきませんよね、普通」と私が確認するつもりで質問すると、
 「でも一部屋に20人も入れたら噛みつきますよ」と一人の園長先生がいいました。「どんなに仕切りで分けて、コーナー保育をしても同じ空間に20人もいるとストレスがたまります。それが一日10時間、年に260日ですからねぇ」
 こんな状態は、乳幼児とはいえ、人間が生きてゆく姿としてはかなり不自然です。居場所に静まるときがないのです。魂が鎮まらない毎日を、本当はぴったり母親にくっついていたい乳児に保育という仕組みが強いている。それが、ますます規制緩和され、保育士の願いに逆行するように、親と政治家の都合で環境が悪くなっていきます。
 (小一プロブレム、いじめや不登校。学級崩壊。教師は様々な問題を抱え、東京都で休職している先生の7割が精神的病で休職しているといわれます。児童養護施設が虐待された子どもたちでいっぱいになり、職員がその対応に以前よりもはるかに身の危険を感じている。働く意欲のない若者たちが増え続け、新卒で採用されても簡単に職を去るケースが急増している。一生に一度も結婚しない男が二割を超え、10年後には三割になるという。ひきこもりの平均年齢が34歳。男たちから生きる力を失われてゆく。そして、孤立する老人たち。
 自らをうまく主張出来ない0歳、1歳、2歳児の願いを想像し優先しないから、人間たちから本来の人間性と生きる力が欠けてゆくのだと思います。この国もぎりぎりのところに来ています。このままいったら戻れない。)
 いくら保育士が悩んでも、制度上解決出来ない環境に多くの保育園が置かれています。だから、「一歳は噛みつく頃」という発言が当たり前のように保育界からも生まれてくるのです。
 「過密は噛みつきにつながる」共励保育園の長田先生の口癖です。
 集団保育の不自然さは、インドの田舎の風景を知っている私にはわかります。
 同年代の子どもが乳幼児期に5人以上集められて一人の他人に世話されて一緒に過ごす、しかも毎日。これはその遺伝子がつくられた長い人類の歴史の中でほとんどあり得ない風景だった。長い目で見れば必ず無理が生じて来ます。親が育たない、子どもたちが噛みつくようになる。結婚しなくなる。子育てを共に体験しないことによって男女間の信頼関係が崩れてゆく。日本という先進国の中では奇跡的に男女が(経済競争以外のところで)共同参画していた社会が、「待機児童をなくせ」というかけ声の元に崩れてゆく。これも人類の運命なのか、一度は通らなければならない道なのか、とも思いますが、やはり子どもたちが可哀想です。

 ほぼ一日中暴れる、言うことを聞かない、ひっくり返る、泣き叫ぶ、それも毎日、という子を担当している若手保育士が、もう、どうしていいかわかりません、と言いました。親のこと、祖父母のこと、いろいろ聞いてみましたが、特に明らかな問題があるとも思えませんでした。軽度の発達障害児、なんて決めてしまってはそれ以上何も進みません。人間は全員軽度または軽軽度の発達障害者です。それを個性というのです。命、というくくりでは平等です。その子の命には必ず居場所があり意味があります。
 班に分かれていた話し合いが全体会に戻って、司会の高木先生がこの悩みを聞き、「だれかこういう子の担当をしたことある人、いますか〜?」と聞いたのです。
 するとなでしこ保育園の主任の(なでしこ四天王と私が敬意を込めて呼んでいる一人の)渡辺先生が、はーい、と手を挙げました。
 「対応は、どうしました?」と高木先生。
 「保育士が一人ついて、徹底的にわがままにつきあうんです。抱っこしたりおんぶしたり、外に行きたいと言えば行く、何でも言うこときくんです。おさまりますよ」
 「どのくらいやるんですか?」
 「二年くらい」
 あっけらかんと言う渡辺先生の微笑みに、私は口を開けてしまいました。凄いなー、と鳥肌がたちました。思わず、(冗談で)「保育料、同じですよね」と訊いてしまいました。
 すると、部屋中から「同じ、同じ」の大合唱。なぜか、みんなが嬉しくなりました。
 その若手保育士が、
 「本当は、くたびれちゃって保育士辞めようかなと、ちょっと思って、揺れていたのですが頑張ります」と笑顔で言いました。みんなで大拍手です。
 子育ては、知識の伝承ではなく、覚悟の伝承です。
 保育士たちの心意気に、子育ての原点を感じます。
 一人の保育士が一人の子どもに徹底的についたら、他の保育士の負担が増えます。変な話、国基準が崩れる。認定された障害児加配がついたって三人に対し保育士一人です。それでも、やはり保育士は明るく、「二年くらい」と言うしかない。それが保育なのです。
 保育士のなり手がいなくて、公立の正規採用でもないかぎり、求人しても応募が一人来るか来ないかという状況が続いています。かなり厳しい基準で保育士を選んできた園長でも、危ないかな、という保育士を雇わざるを得ない状況に追い込まれている。履歴書だけではわからない、試験期間を設けても簡単には見抜けない。そんな現状のまっただ中で、軽々しく幼保一体化を言ったり、無責任に待機児童解消を叫ぶ連中に、見せたい風景でした。あなたたちの無責任な提案を現場がどういう思いで受け入れているか。待機児童解消は、親の子育てに対する「覚悟」を育てることで解消してゆくのが本来の姿であるはず。
 8時間保育が11時間開所になった時、シフトを組むため勤務時間がずれ、全員が集まってお茶を飲む時間が保育界から失われた。育ち合い励まし合う覚悟の伝承の風景が消えていった。こういう保育の本質を支える肝心なところに政治家も行政も気づいてない。子育ては、サービスやシステムが代われるものではない。人間社会において当たり前のように行われてきた「覚悟」の伝承だったのです。
 親の働き方によって、当然子育てに差は出る。それを他人に預けて、その預けたシステムを(幼稚園と保育園を)一体化して、同じだ、平等だと考えることの無責任さ。地球を見渡せば、子育てにおける格差や不平等はいくらでも存在します。私がドキュメンタリー映画をつくったインドのシャクティセンターの近隣で、貧しい村々の子育てを見ていると、119番を回せば救急車が飛んで来る環境だったら親はそれだけで感謝しなければいけない、と思います。あとは、親の「覚悟」が同じならば、それでいいのです。
 いま、覚悟の伝承という、人間たちに真の絆を意識させる幸福感が保育の現場から薄れています。
 保育科の学生たちが実習に行った先の職場の雰囲気に何か違和感を感じ、そこで働くことを躊躇しはじめている。ある専門学校の保育科で卒業生が一人も保育者にならなかったらしい、なんていう冗談みたいな話が伝わってきます。全国で大学や専門学校の保育科が定員割れを起こし、危ないかな、という保育士を雇って事故が起こった時に、本当に苦しみ、一生の悲しみとして生きてゆかなくてはならないのは、「親心を育む会」に来ているような、親子思いの園長たちなのです。
 育む会に出ていると、集めることではなく、集まることの大切さ、わかちあうことの意味を思います。それはきっと子育てと永遠につながる人間たちに与えられた幸せと美しさなのだと思います。シスターが以前、教えてくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=uoQXhyz0rOg (集まること)
http://www.youtube.com/watch?v=SUaQXFUp1_M&feature=youtu.be (わかちあうこと)
 先週、福井市で保育士に講演をしたとき控え室で県知事に会いました。20分くらいあったので陳情しました。すると、私の講演を聴くために部長さんを一人残して行ってくれました。次の日、岡山県の玉野市で保育士会主催の勉強会があり、そこには市長さん福祉部長さん子育て支援課長さんが来て私の講演を聴いてくれました。園長先生たちが頼んだのでしょう。この役の三人が揃うと話が早い。次の日、大阪の前市長が私の本を読んで、会いたいと言ってくれたので会いました。なかなか楽しいお昼ご飯でした。そのまま夕方京都に行って、久しぶりに陰山先生に会いました。いま、大阪府の教育委員長をしていて、あの橋下市長とガチンコ勝負をしているのです。私が先週国会でしゃべった話をすると、お互いに不思議な人生だよねー、ということになりました。橋下さんとガチンコ出来るのは百マスの明るさしかない、という深い話と激励をしました。

http://www.youtube.com/watch?v=uiTxamfg6iM (衆議院の委員会で)

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Dear Kazu San

How are you? How is Yoko San and our Maharaja Ryo .

Convey our regards to them. We can understand your busy schedule and

your inability to come to India. Thank you very much for the photo.

We are doing well. We had our summer camp with 250 children.

Also this year we had arranged three days seminar for the youth.

During this summer we happened to be very busy with our camp, seminar,

As usual Folk arts training took place for a week and 16 performances we had.

This summer was very hot. But we some how managed the whole thing.

Looking back we feel very happy about the way we each one worked hard.

Our girl Uthirai selvi’s wedding today. Please do remember her in your prayers.

She is from a very poor family. No father. She has only her mother and grand mother

with her. She asked me to inform you. She needs your prayers and blessings.

With much love

Sr.Chandra

 

Sister Chandra のコピー.jpg

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