体験が知識です

(「ママがいい!」に、中学生の保育者体験について書いた文章です。)

長野県茅野市で家庭科の授業の一環として保育者体験に行く中学二年生に、幼児たちがあなたたちを育ててくれます、という授業をして、保育園に私も一緒について行った。
生徒たちは、図書館で選んだり自宅から持って来た幼児に呼んであげる絵本を一冊ずつ手にしている。
昔、運動会の前日てるてる坊主に祈ったように、絵本を選ぶ時から園児との出会いはもう始まっている。
男子生徒女子生徒が二人ずつ四人一組で四歳児を二人ずつ受け持つ。四対二、これがなかなかいい組み合わせなのだ。幼児の倍の数世話する人がいる、両親と子どものような関係となる。一人が座って絵本を読み、二人が園児を一人ずつ膝に乗せる。もう一人は自分も耳を傾けたり、園児を眺めたりウロウロできる。このウロウロが子育てには意外と大切なのだ。
園児に馴染んできたところで、牛乳パックと輪ゴムを利用してぴょんぴょんカエルをみんなで作って、最後に一緒に遊ぶ。
見ていてふと気づいたのは、十四歳の男子生徒は生き生きと子どもに還り、女子は生き生きと母の顔、お姉さんの顔になる。慈愛に満ちて新鮮で、キラキラ輝きはじめる。保育士にしたら最高の、みんなが幼児に好かれる人になる。中学生たちが、幼児に混ざって「いい人間」になっている自分に気づく。女子と男子が、お互いを、チラチラと盗み見る。お互いに根っこのところではいい人なんだ、ということに気づけば、そこに本当の意味での男女共同参画社会が生まれる。

帰り際、園児たちが「行かないでー!」と声を上げる。それを聞いて、泣き出しそうになる中学生。一時間の触れ合いで、世話してくれる人四人に幼児二人の本来の倍数の中で、普段は保育士一人対三十人で過ごしている園児たちが、離れたくない、と叫ぶ。その声に、日本中で叫んでいる幼児たちを聴いた気がした。涙ぐんで立ち去れない幾人かの友だちを、同級生が囲んでいる。それを保育士さんと先生たちが感動しながら泣きそうな顔で見ていた。(ここまで抜粋。)

園児たちが、中学生に「行かないでー!」と叫ぶ。
そして、中学生は、自分のいい人間性を体験し、感動したがっているのです。

その向こうで、自分たちの進める「仕組みの危うい可能性」を理解していない政治家や学者たちが、新たな市場を作るために、「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)を立てる。

「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と国が閣議決定で宣言する。
「子ども未来戦略」という名前がついているのです。それを家庭科の時間に教えようとする教師がいるかもしれない。
一方で、中学生を園児たちに出会わせることで、何かを見極めようとする教師たちもいるのです。私たちは、分岐点に立っている。

政府の言う(偽)「子育て安心」と、家庭科の授業の狭間に、大人たちの思惑に振り回される「子どもたちの人生」があります。
この「罠」に、親たち、そして教師たちが気づいてほしい。親や教師がする「選択」が子どもの人生を左右する時代なのです。「子ども真ん中」の背後に、子どもを可愛がる、という「古(いにしえ)のルール」から人々を遠ざける「意図」が潜んでいることに気づいてほしい。(「ママがいい!」、ぜひ読んでみて下さい。罠が仕掛けられた経緯、抜け出す方法が書いてあります。)

アインシュタインは、情報は知識ではない、体験が知識なのだ、と言いました。
「教育で専門家は育つが、人は育たない」と内村鑑三も言いました。

法律で国を治めることはできない。本来、人間性で「鎮める」もの。
乳幼児と、全員が付き合って、社会に「人間性」がみちるのです。