0歳児を眺めることの「平等」性について:松居和チャンネル 第7回

松居和チャンネル、更新しました。(毎週、火曜日に更新します。今回は第7回です。)

「利権争いと分断」

0歳児を眺めることの「平等」性について

https://www.youtube.com/watch?v=qq2axI9i24Y&t=246s

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(内容は、)

人間は、幼児たちと過ごすことで、自分のいい人間性を体験する権利を「平等」に与えられている。

アメリカのように、小学校で、子どもたちが「今度のお父さんは、今度のお母さんは」という話を、大人が聴こえていないところで始めてしまうと、(家庭崩壊の流れは)止まらない。学校が、世代を跨ぐ「言い伝え」を阻止することによって、新たな家庭観の「伝承」が始まる。

義務教育が普及して、5、60年すると、だいたい家庭が崩壊し始める。家庭が崩壊し始めると、義務教育が成り立たなくなる。しかし、欲とか、教育で壊れていく「家庭崩壊」より、「福祉」で壊れていく家庭崩壊の方が激しい。(市場原理と直結しやすい。)

日本は、欧米に比べ家庭崩壊が奇跡的に進んでいないにもかかわらず、政府は、0、1、2歳児を預けて働く親を、欧米並みに80%にしようという数値目標を立て、「子育て安心プラン」と名づけた。いつでも長時間預けることが出来れば、それが「安心」なのだ、という、とんでもない洗脳が始まっている。

「『M字カーブ』を解消するため、平成30年度から平成34年度末までの5年間で、女性就業率80%に対応できる約32万人分の受け皿整備。(参考)スウェーデンの女性就業率:82.5%(2013)」(首相官邸ホームページ)

「子ども誰でも通園制度」を掲げる、政府の「こども未来戦略方針」は、

「児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない」とある「国連の子どもの権利宣言」に違反している。

慣らし保育なしに、いつでも、知らない人に預けるのは、「子どもが可哀想」という発想がない。

慣らし保育なしで最長7日間まで預けられる「子どものショートステイ」(生後60日から十八歳未満対象。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK。一泊二千円から五千円)を、「圧倒的に整備が遅れている」と「戦略」の中で言う。

「両立」という、子どもの側からは成立しない言葉を使って、「人間性」を忘れさせることが「少子化対策」の本質。だから、政府の少子化対策で、一層、少子化が加速し、結婚しない「男たち」が増え、児童虐待過去最多、という結果になっている。同時に、不登校やいじめが増え、小学校の教師不足は危機的状況になっている。

「幼児が可哀想」という感覚を、「教育」やマスコミを使って捨てさせようという動きは、エンゼルプランあたりから、子育て安心プランに至るまで、ずっと繋がってきた市場優先の流れですが、これでは、子育てをさせられている「保育士」たちが納得しない。

親子を長時間引き離すのは「可哀想」という思いがなければ、「子育て」も「保育」も成り立たない。

繰り返しますが、保育が子育てである限り、そして、いまの経済施策が0、1、2歳児を長時間預かることを「目標」に設定している限り、一番求められるのは、専門性ではなく、人間性なのです。それが保てなくなってきている。

それを周知していかないと、義務教育と、その周辺の仕組みを立て直すことはできない。

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