日本は遅れている?

日本は遅れている?

 

「男女平等、日本125位=順位落とす、先進国最下位―国際調査」~政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった~」https://sp.m.jiji.com/article/show/2966296?free=1 という報道がありました。

政治や経済の分野に参加する女性が少ないことを、「遅れ」とし、疑問を抱かせないように報道する。

順位を落としている事実から、日本の女性たちの意志、選択の自由を読み取ろうとはしない。

この手の報道を目にする度に、マスコミや経済学者は、意図的に、「女性らしさ」という個性を、経済競争の活性化・「一億総活躍」のために見下し、失わせようとしているように思えてならないのです。

それに気づき、本当に、それでいいのか、という素朴な疑問が、「順位を落とす」という現象に現れているのではないか。

日本の女性たちは、政府が主導する無謀とも思える保育の量的拡大から、その真意に気づき始めている。「ママがいい!」という言葉を覆い隠すための規制緩和を容認、追認してきた学者や専門家たちの不誠実さを見抜き、不信感を持ち始めているのではないか。

そうであってほしい。

立ち止まる、としたら、今しかない。

 

近頃、欧米を覆う、異常とも云える家庭崩壊と、それに伴う児童虐待、簡単に火がつき暴動にまで発展する「犯罪率」、格差の拡大を考えれば、「遅れていること」は良いこと、と思っていい。 子どもを守るとしたら、自分しかいない、という気構えが、日本の母親たちに戻ってきているのだとしたら、この国は、独特に踏みとどまるかもしれない。

そもそも論ですが、「男女平等、125位」の国が、世界第3位の経済大国なら、それが良かったのでは、と分析する学者や、エビデンスに基づきその視点を報道をする記者が、一人、二人は、いてもいい。

性的役割分担が、この国を経済大国に押し上げたと理解している学者は、たぶんいるはず。しかし、「報道されるか、されないか」で思考の価値、社会の流れが決まってくる時代がしばらく続いたのです。

それが最近、ネット上の新たなコミュニケーション手段によって、変化し始めている。

私の本、「ママがいい!」は、SNS、口コミなど、自発的な情報拡散に支えられています。

タイトルのせいか、マスコミは一切、書評も載せないし、報道もしない。しかし、園長先生たちから、「タイトルを見て涙が出ました」と感謝され、「やっぱり自分の決断は間違っていなかった」と心が揺れていた母親からメールをいただき、一年間で、5刷りまで来ました。図書館で順番待ちになっている、と聞きます。

幼児たちとの時間は、駆け引きのない輝かしい時間で、それに応えることは、人生を形づくる「活躍」なのだ、と、この国は気づき始めている。

 

話を戻します。

世界第3位の経済大国である上に、日本の女性の平均寿命は世界一です。

「夢を持ちましょう(欲を持ちましょう)」という言葉に騙されず、人間が一番幸せになりやすい方法を見極め、「子どもを可愛がる」、「子どもを優先する」という「利他の本筋」を選ぶ女性が先進国の中では奇跡的に多い、それが、精神的にも良かった、と考える文化人類学者がいていい。

この国には、世阿弥や芭蕉が種を蒔き、宮沢賢治や手塚治虫が耕し、宮崎アニメまでつながった「欲に、静かに背を向ける」文化と土壌が確かにまだある。最近、アニメなどを通して、世界の若者たちの憧れにもなって、惹きつけている。

そこまで考えると、「男女平等、125位」、しかも「順位を落としている」という日本の女性の意志と選択が、人類の持続性の鍵を握っているようにさえ思えてくる。

 

政府の、こども未来戦略会議の「こども未来戦略方針」https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001112705.pdf の冒頭に、基本的考え方として、

「急速な少子化・人口減少に歯止めをかけなければ、世界第3位の経済大国という、我が国の立ち位置にも大きな影響を及ぼす」と書いてあるのですが、母性はこういう考え方をしない。「我が国の立ち位置」より、我が子の「はじめの一歩」に驚きと、喜びを見出す。そこに宇宙の動機を感じる。

しかも、この「急速な少子化・人口減少」は、今まで政府がやってきた、現場の保育士たちの人間性さえ追い詰める、利他の幸福論を無視した、母子分離策(少子化対策)が原因なのです。

乳幼児を抱っこする時間の価値が貶められていった結果です。

アインシュタインが、美しさ、と評したこの国の性的役割分担に基づいた「調和」が、実は経済面でも「平等」に勝る道筋だったと主張する経済学者は、いつになったら現れるのか。「こども未来戦略」の中には、その兆候さえ見えません。

学者たちの「欧米コンプレックス」が根本にあるのでしょう。「平等」という言葉に縛られ、思考停止になっているのかもしれない。

ネグレクトの勧めとも言える(慣らし保育なしの)「子どものショートステイ」を、「圧倒的に整備が遅れている」と言う人たちです。保育士が足りなければパートで繋げばいい、と規制緩和をする人たちが、「戦略」(策略)を練っている。

経済競争から「作法」が消えれば、ただの「喧嘩」です。その風景が、世界中に広がっている。

そのことに気づいてほしい。

(「ママがいい!」、それは、子どもたちだけではなく、現場からのメッセージでもあります。その言葉に救われ、人生を見る視点が変わった親たちのことを、本に書きました。ぜひ、友だちに薦めてください。子どもたちの願いを拡散してください。)