こども未来戦略

発表された、政府のこども未来戦略会議の「こども未来戦略方針」(令和5年6月13日閣議決定)、https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001112705.pdf  に、こんな文章がありました。

 「今後、インド、インドネシア、ブラジルといった国の経済発展が続き、これらの国に追い抜かれ続ければ、我が国は国際社会における存在感を失うおそれがある」。

そんなことどうでもいい。こういう「動機」を保育施策の冒頭に書く、この会議の無神経さ、馬脚を表すとはこのことです。

「国際社会における存在感」など「架空」の現実。この国の保育、教育の混乱を考えれば戯言(たわごと)に過ぎない。

「それどころではない!」。

幼児たちが、その存在感を失おうとしているのです。

人類規模で見れば、この西洋的な「競争意識」が原因で、家庭に対する弾圧、迫害、人類史上最悪と言われる「一億人を超える難民」の問題が生じているのです。子ども中心のミクロの現実が肌触りを失い、経済や情報中心のマクロの欲と利権に押し潰されようとしている。

「利他」の幸福論が希薄になっていく。

「国際社会における存在感」のために、「ママがいい!」という子どもたちの願いが存在感を失い始めている。

「こども未来戦略」には、子どもたちが可哀想、という人間的な意識がまるでないのです。「可哀想」という言葉が、保育界で禁句になっていったように、経済主導で、社会から「人間性」が失われていく。

母子分離が原因と思わざるを得ない「学級崩壊」で教師たちが病み、職場から去っていく。そんな中、「二人目は無償、そうすれば子どもが輝く」という、意味不明な発言が、都知事の口から飛び出した。母子分離で「子どもが輝く」それが「チルドレンファースト」なのだという。この荒唐無稽な論理の飛躍を、マスコミがそのまま報道する。

「急速な少子化・人口減少に歯止めをかけなければ、世界第3位の経済大国という、我が国の立ち位置にも大きな影響を及ぼす」。(こども未来戦略方針)

経済財政諮問会議がこれを言うのはいい。言わせておけばいい。赤ん坊を抱き、じっとその顔を見つめる時間の価値、深さなど、わからない人たちなのだから。

しかし、現場で最前線に立つ保育士たちに読ませる「こどものための、国の未来戦略」に、これを書けば、何を言ってるんだ、あんたたちの「子育て放棄」につながる「少子化対策」が急速な少子化を生んだのでしょう、あんたたちがこの国の立ち位置を崩したんです、自業自得でしょう、と園長たちは思う。

(「ママがいい!」を読んでみてください。現場と政府との「子どもたちの扱いを巡る」闘いは、30年前から始まっている。政府の子育て支援は、「子育て放棄支援」だと、園長たちは言い続けてきたのです。)

いい保育をしても、週末二日間家庭に返すと、月曜日、また噛みつくようになって戻ってくる。やっとお尻が綺麗になったのに、真っ赤になって戻ってくる。48時間、オムツを一度も替えないような親たちを作り出しているのは、自分たちなのではないか、そのジレンマの中で保育士たちは、30年やってきました。現場の気持ちに対する無知さが、仕組み上の「空白」と「軋轢」を生み出し、巡り巡って、保育士や教師たちのやる気を削いでいったのです。

この「こども未来戦略方針」の中に、「ショートステイは年間約 0.05 日、圧倒的に 整備が遅れている」という文章を見るとき、その「非認知能力の欠如」に愕然とするのです。

厚労省が10年以上広めようとしている、「子どもショートステイ」。慣らし保育もせずに、子どもを養護施設などで預かる宿泊保育制度は、最長七日間、冠婚葬祭、出張、育児疲れでもOKだという。

人間は普通、そういうことをしない。色々事情はあっても、国が、こういうことをしていいんだ、と言うべきではない。私はそこに「一億総活躍」の残像を見るのです。ネグレクトの入り口になりかねない、まるで罠のような仕組みです。〇歳児保育の推進、「生産性革命と人づくり革命」の核心がそこに現れる。彼らにとって保育、「人づくり」は、「労働力人口」づくりに過ぎない。

子育ては、可愛がること、大事にすること、その幸せが社会に根付くこと、という本質が微塵も感じられない。

対象は生後60日~18歳未満、一泊三千円~五千円。「年間約 0.05 日しか利用していない」という日本人の良識にホッとしますが、それを「圧倒的に 整備が遅れている」と結論づけた戦略会議の思惑が、あまりに露骨で、稚拙です。

いま、起こっている、それを受ける側の人材の質の低下を考えれば、子どもたちが未来の時限爆弾になるかもしれない体験、出来事、扱いが、この「仕組み」の中で起こる可能性は十分にある。現場の整備、人材の質の向上など不可能な状況で、「思いつき」を既存の施設に丸投げする。その手口を習慣化したのは、政府の「母子分離に基づく、一億総活躍」政策です。

政府のこういう扱いが、体験として乳幼児の脳にどう刻まれるか、まるで考慮していない。閣議決定した政治家も含め、この「会議」の見識の無さに驚きます。「圧倒的に 整備が遅れている」のは、「圧倒的に現場を知らない」、「ママがいい!」という言葉に耳を貸さない政策集団の質と、感性でしょう。

「戦略」に

「どのような状況でもこどもが健やかに育つという安心感を持てる」ようにする、と書いてある、その手段の一つがこのショートステイなのです。

「どのような状況でもこどもが健やかに育つ仕組みなどあり得ない」、そういう基本的なことを言っても理解しない人たちです。

初めて笑って、初めて歩いて、その姿を周りの人たちが眺めて、一生の絆が生まれていかなければ、健やかに育ったことにはならない。安心感という言葉の意味をわかっていない人たちが、「戦略」を立てている。

国連の子どもの権利条約には、「親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さ」が、「権利」として書かれます。ユニセフの『白書』には、三歳までの、親や家族との経験や対話が、のちの学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、とあります。WHO(世界保健機関)は、「人生最初の千日間」がその時期に最も発達する人間の脳にとっていかに大切かを言い続けている。

人権侵害とも思える子どものショートステイを、「圧倒的に整備が遅れている」と言う人たちが、「子どもの育ち」と「親の利便性」をすり替え、「こども誰でも通園制度」を進めているのです。現場が引き受けられないことを政府が約束し、親の責任回避を煽り、子育ての第一義的責任をますます曖昧にする施策を作っている。国中で、そのことに気づいてほしい。(マスコミがやらないので、シェア、リツイート、コピーペースト、お願いします。もう時間がない。)

こういう政府の姿勢、経済主体の「一億総活躍」の流れが、保育現場における虐待、教師による生徒いじめ、介護施設や精神病院による非人間的行いを生んでいる。

「ママがいい!」という言葉を直接受け止め、心を痛めている保育士たちは、「無理なものは無理!」と決起してほしい。11時間、子どもを母親から引き離すのは、可哀想だ、と、もう一度強く思ってほしいのです。保育者たちが人間性を取り戻せるか、そこが、子どもたちの最後の砦となっている。

配置基準を(75年ぶりに)、1歳児は6対1から5対1へ、4・5歳児は 30 対1から 25 対 1 にしても、親たちの意識の変化を考えれば30年遅い、まったく手遅れ。乳児からの母子分離推奨によって、愛着障害と思われる子どもが増えすぎているのです。

もちろん、やった方がいい。でも、その分、保育士が必要になる。少子化で相殺されても、0、1歳の園児数を減らさない限り、実質効果はない。親の責任、という意識が復活してこない限り、保育士たちは納得しないし、健全な保育環境は還ってこない。11時間保育=「標準」に始まり、保育はパートで繋いでもいいなど、ここ数年間に行われた、国の規制緩和は、「子どもの最善の利益を優先する」という保育指針を読んだ保育士たちに対して、全く説得力がないのです。

保育の質を軽んじる「規制緩和」と、弱者に「ママがいい!」と言う機会さえ与えない異常な母子分離施策、そして保育のサービス産業化が、

「新任教諭の退職、公立校で相次ぐ。精神的な不調、東京では理由の4割」https://www.asahi.com/articles/ASR6N4TFKR5YUTIL00R.html

という現状を生んでいるのです。

経済財政諮問会議の元座長が、「〇歳児は寝たきりなんだから」と私と園長たちの前で、言ったことがあります。この人たちは、保育を飼育くらいにしか考えていない。

「子どもたちの気持ち」を考慮しない「戦略」で、これ以上、学校を追い込むのはやめた方がいい。

 

世界第3位の経済大国だったら、もうそれでいいでしょう。インド、インドネシア、ブラジルが私たちを抜いていったら、良かったね、うまくやるんだよ、と祝ってあげればいい。

上にいるのはアメリカと中国という、絶対に真似してはいけない二つの国。何度も数字をあげてブログに書きましたが、日本は、子どもを大切にする、安心して育つ環境という点では、悪くなってきたとはいえ、先進国の中で一番いい国です。

今年になって、世界第1位の経済大国アメリカで、四人以上が撃たれる乱射事件が、毎日二件以上起こっている。毎年養子となった子どものうちの2万5千人が捨てられている。「捨てられる養子たち」NHK BSドキュメンタリー:https://www.facebook.com/watch/?v=1820006938239263 をぜひ、見てください。人間社会は、ここまで行く可能性を持っている。

一位になどならなくていい。

「戦略」を読むとわかりますが、政府は、子どもたちが可哀想、と思う気持ちを社会から消したいのです。

学者や政治家は、母子分離が経済発展に必要だ、と、頑なに思っている。それを「平等」という言葉で覆い隠し、「利権と欲」が操る「一億総活躍」という戦略に、母親を引き込もうとしている。

彼らにとって、子育てをしている母親は、「活躍」していないのです。「労働力人口」の定義にさえ入っていない。(祖父母の気持ちも、「子どもの未来戦略」からは見事に消えている。)

母親たちが、人間社会のバランスを保ち、人生の価値を浮き彫りにしてきたことがわかっていない。慣らし保育で、なぜ、ほぼ全ての子どもが、「ママがいい!」と言うのか、母親を選択するのか、子ども未来戦略会議は理解すべきです。慣らし保育の現場に足を運び、そこで子どもたちの叫びを聴き、自分の人生と、この国が失った幼児との時間を体験的に、感じるべきです。

経済重視に偏りすぎた、子育ての仕組みを、作り直す時です。

 

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。シェア、リツイート、コピー、拡散、よろしくお願いします。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。推薦してください。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。政府や行政が、身勝手な「戦略」を立てても、現場の保育者一人ひとりの決心で出来ることがたくさんあります。子どもにとって、守ってくれる人は、目の前の人。よろしくお願いいたします。)