いい幼稚園保育園で、人生が変わる

 

(こんなメールをいただきました。一つずつ、の積み重ねですね。)

 

☆☆☆

遅ればせながら、「ママがいい!」読ませていただきました。

電車の中で読みながら、昨年結婚した長男、今年成人式を迎えた次男の子育てを思い返し、涙が込み上げてくるのを堪えてました。

息子たちを通わせた保育園、学童保育はバザーやキャンプなど、親の出番が多くそれまで子育てに関わろうとしなかった夫が、子どもを中心とした場所に自分の居場所を見つけ役割を見つけ、我が子だけでなくみんなで子どもたちの成長を喜ぶようになっていった姿を思い出しました。

あの場所が私たちを親に育ててくれたのだと、今になって思います。

4月から、就職し三重に向かう次男が、家庭に事情を抱える友だちのことを案じ、

「〇〇ちゃんち、毒親で大変だから、時々呼んで一緒にごはん食べてあげて」と言うのです。

昔から、我が家は自然と人が集まる家でした。

息子にとっても、息子の友だちにとっても、安心できる場所だったんだ、と、子育てがひと段落する時にこの言葉がもらえたことは、最高のご褒美になりました。

 

しかし今、子育てを取り巻く環境は本当に厳しさを増す一方のように思えてなりません。

児童相談所に勤務する友人からは、本当に悲惨な状況を聞きます。

子どもが減っているのに保護される子どもは増える一方で、定員を超える子どもが昼夜問わず保護されるので、施設に来たとしても安心して暮らせる状況にはないと。

親は、我が子のことを生活保護費がもらえる金蔓としか考えていないとも聞きました。

和先生のおっしゃるように、子どもの存在が親を育てる仕組み作りが必要だと感じます。

子育てはお荷物じゃない。

うまく表現できず、すみません。

生まれてくる子どもたちがみんな、守られて愛されて生きられる世の中になりますように。

 

ーーー(ここから私です。)ーーー

避難所であるはずの施設が、安全な場所ではない。養護施設も「養護」できる状況にない。まるで、収容所のようになっていて、しかも、十八歳になれば出ていかなければならない。

養護施設に勤める友人が、最近の悲惨な状況を話してくれる。よほどの真剣さと、親身さがないと子どもたちを鎮めることさえできない。体を張って、負った心の傷に付き合うだけの気力と意識、そして覚悟を持った人でないと、精神的に生き残れなくなっている、と言う。

多くの人たちが「情報」として知っているはず。だからこそ、行き場のない絶望感が、日々あきらめに変わっていく。

(「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言った厚労大臣がいた。「0歳児は寝たきりなんだから」と言った経済学者がいた。経済財政諮問会議の座長をやった人だった。

その結果、養護施設だけでなく、保育園でも同じことが起こっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/245724 東京新聞:保育士の七割が出勤せず。市の担当者は、「公立園には今回のような緊急時の受け皿の役割が期待されていますが、各園の人員不足も深刻で…」と言葉を詰まらせた。)

「ママがいい!」という子どもたちの叫びに、最初から耳を傾け、その願いを尊重する仕組みを作っていれば、こんなことにはならなかった。

まだこの国なら間に合うかもしれないのに、この惨憺たる光景は何なのだ!、と選挙カーのスピーカーから流れる、政治家たちの、ありきたりで、無責任と言ってもいい、見せかけだけの決意を聴くたびに、暗澹たる思いになる。発言する機会を与えられてきただけに、憤りさえ感じる。

衆議院の税と社会保障一体化特別委員会で口述人をし、人間性を失っては社会保障は維持できないと話した。衆議院のホームページに映像が残っている。保育の無償化について参考人として呼ばれたときは、すでに人材不足と質の低下は限界を超えている、無償化でますます責任の所在が曖昧になっていけば現場は受け切れない、と話した。しかし、与党も野党も、「子どもの気持ち優先」の方向には動かなかった。その結果、前述した小金井市のようなことが起こる。

無償化や三歳未満児保育の推進で既存の保育園の仕組みが壊れていった。一方で財政削減のために、セーフティーネットとなるはずの公立園を民営化していく。

記事には「一方、市内に本部がある別の保育園運営会社『コスモズ』の補助金不正受給問題や、前市長の置き土産である市立園の廃園手続きなど、保育園を巡る問題が多く」とある。簡単に言えば、「保育は成長産業」という閣議決定で「業者」のモラルが低下、前市長には、政府の経済優先の子育て支援が乗り憑っていた、ということ。その呪縛から離れないと、市長が変わっても意味はない。

子どもたちが毎日通ってくる園で、七割の保育士が、突然出勤しない。

職場における信頼関係が完全に崩れていて、その原因を市が放置していたということ。緊急対応するはずの公立園も「人員不足が深刻で」、と市の担当者が言葉を詰まらせる。もっと呆れるのは、そんな現状なのに、そこに乳児を預けることを都知事が「第二子は無償」と言って勧め、「子どもが輝く、チルドレンファースト」と記者会見で言ったこと。それも含めて、国の保育施策がいかに矛盾を抱えたいい加減な施策で、破綻しているか、茶番か、ということ。それが最近、学校に連鎖していく。

自民党の少子化対策委員会で講演したのが十五年前。当時の委員長が、感動しましたと握手を求めてきて、その人の地元でも講演した。厚労部会や女性局でも講演し、17の県連で呼ばれた。その時は、理解してくれた、と感じたのです。しかし、状況は変わらないどころか、悪くなる一方で、現場はさらに追い詰められていく。

ここまでくると、一斉に職場に来ないことが、子どもたちのため、と決意する保育士や指導員、養護施設の職員が現れても不思議ではない。これが、政府の言う「子育て支援」の結末です。

この破綻寸前の仕組みを、「異次元の少子化対策」で就労条件を取払い、誰でも預けられるように、さらにもう一歩進めると言う。

これから進めざるを得ない「痛みを伴う改革」の「痛み」が、子どもたちに直接及ぶだろうこと、人生を左右する傷、後遺症となって残るかも知れないことを考えると、忸怩たる思いがする。

私たちを信頼するしか生きる術を持たない人たちが、そこにいることに感謝し、その人たちによって救われることに幸せを感じる親たちが、この国にはまだたくさんいる。講演に行くとわかります。

冒頭のメールをくださった方のように、子育てに生きがいを見出し、子どもたちのために祈っている人がたくさんいる。

「バザーやキャンプなど、親の出番が多い」保育園と学童保育に、偶然かも知れませんが巡り合い、「それまで子育てに関わろうとしなかった夫が、子どもを中心とした場所に自分の居場所を見つけ役割を見つけ、我が子だけでなくみんなで子どもたちの成長を喜ぶようになっていった」、この人たちが作った家族が、一つ一つ重なり、この国を守っている。

 

いい保育園、幼稚園に出会うことで、人生はこうも変わる。

だからこそ、崩してはいけないのに、親を育てる「いい園」が次々と廃園になっていく。

私が住んでいる杉並区でも、七十年続いた私の好きな、「子ども園になることを断った」幼稚園が、隣に突然保育園を建てられ廃園に追い込まれている。政府は一体何をやっているんだ、この国をどうするつもりだ、と悔しくなります。

 

(泥棒に入られる確率Burglary rateが、ニュージーランドが日本の25倍、デンマーク20倍、スェーデン15倍。家庭に代わる役割を担うために作られた仕組みが破綻すると、犯罪率が一気に上がっていく。その経緯を「ママがいい!」に書きました。モラル・秩序の崩壊が始まる寸前に、私たちは立っている。)

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(ブログ:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッター:@kazu_matsui 講演依頼はmatsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。保育士や幼稚園教諭の研修会、保護者の大会、自治体主催のイベント、単体の園での勉強会など、コロナも明けて、講演の依頼が次々に入ってきます。現場で保育の心を立て直しましょう。親たちは絶対についてくる、そう信じて、子どもたちのために頑張りましょう。どこへでも、行きます。)