「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

少子化対策で加速したさらなる少子化で待機児童がいなくなり、都市部では作り過ぎた保育園の存続が危うい。「成長産業」と名付けて民間参入を促してきた政府の施策に便乗し、「制度でも子育てができる」「親の代わりができる」と言い続けてきた業者が、今度は、働いていなくても預けられるようにするべきと言いだしている。

先日、「保育園等を利用していない未就園児(無園児)家庭の方が子育てで孤独を感じている」という民間会社のアンケート調査を紹介し、「保育園は働いてなければ入れない、と言う制限があるのがおかしい」と学者が発言している記事が、それに首を傾げる別の学者から送られてきました。少子化は分母になる親たちの減少と、結婚しない男たちの増加がベースにあるので、産む子ども数が突然奇跡的に増えても止まらない。それはもうみんな知っているのです。無償化や制限の撤廃は、短期的な業者の生き残り策、または次の選挙のことしか考えない政治家の集票作戦でしかない。でも、その集票作戦で、投票できな子どもたちの意見が無視されることが当たり前になり、保育の仕組みが歪められてきたのですから、選挙というのは馬鹿にできない。

どの地域の何人くらいを調べたのかは知りませんが、もし「子育てをしていると孤独感を感じるような社会になってしまった」のなら、それは子育てが問題なのではなく、子育ては損な役割と思い込まされ始めた社会が問題なのです。

少子化で廃園を迫られた園を、子育て支援センターに切り替え、親たちが「子育てをしていても」孤独感を感じないようにしていく、親子を切り離さない(特に乳児期は)仕組みにしていけば良いだけのこと。直接給付と組み合わせたとしても、いま以上に財政に負担になることではない。

それを、いきなり子育てに不安を感じたら、保育園がありますよ、預ければ孤独を感じなくて済みますよ、では、短絡的に過ぎる。

 

人間が悩むのは悪いことではないのです。真剣に生きている証拠かもしれない。加えて、孤独感というのは、意味のある感覚で、宮沢賢治の童話を読めばそれがよくわかります。そこに「子どもの幸せを願う」という意識があれば、むしろ大切な道しるべなのです。

 

突然、「こんとあき」という私が大好きな絵本を思い出しました。林明子さんの本です。

あきは、ぬいぐるみの狐のこんとおばあちゃんの家に行くのですが、途中で、色々出来事が起こります。その度に、こんが「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とあきに囁く。その感じが、0歳児が母親に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言葉ではない言葉で言い続けるのに似ている。

0歳児のその言葉が聴こえるようになるために、母親の孤独はあったのかもしれない。この子が大丈夫だったら、自分はだいじょうぶ、という心境に進むために、そして自分はすでに一生孤独ではないことに気づくために、二人きりの時間があるのかもしれない。

 

「誰でも望めば預けることができるようにするべき」。そこまで言うなら、無資格者でも、パートで繋いでもいいと規制緩和した「保育の質」がその前にまず問われるべきでしょう。0歳から入園制限なし、とした時に、いまの保育界はそれを受けきれるのでしょうか。十一時間保育を標準と名付けて、子どもたちに「自分は愛されている」という気持ち、人を信じる力を持たせることが本当にできると思っているのでしょうか。この最後の規制緩和は、子どもの気持ちを犠牲にした、短期的な利権の確保でしょう。

子どもの願いが聴こえていない。

「子どもの願いに耳を傾ける」(子どもの意見を尊重する)ことは、子どもの権利条約で「権利」として保証されています。批准している日本はそれを守らなければいけない。それ以前に、人間が人間であるための条件のはず。しゃべれない0歳児も、この権利を持っている。だから多くの人にその声が聞こえるようにすること、利他の気持ちを弱者の存在から学ぶことが大切なのです。

 

尊重すべき子どもたちの「意見」の始まりにあるのが、「ママがいい!」です。

保育界は毎年、慣らし保育の時期に、悲鳴にも似たその声を聴いてきたはず。その叫びを真摯に受け止め、その願いに沿って制度を改めていけば、まだなんとかなるかもしれない。保育の現場に優しさや調和が戻ってきて、小学校も、少し落ち着くかもしれない。

 

「ママがいい!」という言葉を喜びとするか、それから目を背けるか、で社会の空気が変わってくるのです。

 

以前書いた「トルコからの手紙」の風景を思い出してほしいのです。平均収入が日本の10分の1という国で、人々は助け合い、分かち合い、子どもを囲んで嬉しそうに生きている。http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=4319

全員が一生「未就園児」で終わる社会で、人間たちが過ごす時間を、私の教え子はこんな風に伝えてきました。

 

『トルコで菜々を抱えていると、1メートルもまっすぐ歩けない位、沢山の人に声をかけられます。皆、菜々に話しかけて触って、キスをしてくれます。トルコの人たちは、赤ん坊がもたらす「いいこと」をめいっぱい受け取っていると思います。菜々のお陰で、私は沢山の人の笑顔に触れられて、沢山の人から親切にされて、幸せです。日本に帰るのが少し怖いです。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

新刊「ママがいい!」

Amazonのジャンル1位になりました! 先週ですが……。

シェア、拡散、どうかよろしくお願いいたします。0歳児の言葉が誰にでも聞こえてくる社会にするために。