保育の専門書に囲まれた「ママがいい!」を見つけました

 

 

神田神保町の三省堂本店で、保育の専門書に囲まれた「ママがいい!」を見つけました。象徴的で、健気な感じがします。こんな風に置いてくれた店員さん、ありがとうございます。読んでくれたのでしょうか。「ママがいい!」という言葉に惹かれて、ソッとこの場所に置いてくれたのでしょうか。

中学生の頃、慣らし保育で、「ママがいいー、ママがいいー」と泣き叫ぶ子どもたちを毎年見ていて、こんなことを人間がしてよいはずがない。自分は絶対に保育の仕事には就くまいと思った、と語った二代目若手男性園長がいました。

慣らし保育は、

「ママがいい」という叫びに慣れるのか、

慣れて、子どもがそう言わなくなることに慣れるのか。

〇歳から預ければ「ママがいいー」という言葉さえ存在しなくなる。そうやって大切なもの、人間が生きるきっかけのようなものが順番に消えてゆく。

そういうことに平気になって、慣れようとしている社会に私たちは住んでいる。それに慣れた世代が、いつか気づいて、道端に座り込んで、「家族がいいー」と呟く日が来るのだろうか。

慣らし保育で「ママがいいー」と叫ばれた母親は、自分がいい親だったから叫ばれたことを憶えていてほしい。それは勲章だった。長い間人類の営みを持続可能にしてきた言葉。聖母子像や、観音像を見上げ、その姿に憧れ、繰り返し込められてきた喜びと、指針だった。

この言葉に真剣に向き合う時が来ていると思うのです。

(書店の書棚から「「ママがいい!」が消えてしまわないように、拡散、推薦、よろしくお願いいたします。https://good-books.co.jp/books/2590/