動機と目的の次元が違う

本に、「抱っこ」について書きました。https://good-books.co.jp/books/2590/

0歳児、1歳児は抱っこするな、話しかけるな。子どもが活き活きとしたら、事故が起きる確率が高くなる、と若い保育士に言う園長がいる。人類が初めて耳にする(口にする)言葉でしょう。

この異常な正論がなぜ現れたか。そこに行き着く保育施策の道筋、経緯と幸福論を置き去りにした損得勘定、そして子育ての絶対的条件である信頼関係が「社会で(仕組みで)子育て」と言う言葉によってどう失われていったかについて書きました。

待機児童が二万人なのに「あと四十万人保育園で預かれば女性が輝く」と言った首相の発言と、「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」という保育を成長産業とみなす閣議決定。(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)

生まれながらの保育士たちが、政治家や学者の短絡的な経済論と保育の市場化に惑わされ、自分自身の子ども優先の人生に自信を失い辞めていく。そうした実話を本の中に書きました。いまこの人たちを守らないと、保育における「人柄」の伝承は永遠に消えてしまう。人類における人間性が消えてしまう、と言えば大袈裟に聞こえるかもしれません。しかし、流れとしてはそうなのです。ほとんどの人間が3歳までの子どもを可愛がる(生かす)体験をすることが人間性維持の絶対条件だった。遺伝子がそのように組まれている。それは教育や福祉で代替できることではない。動機と目的の次元が違う。

政府が言うように、保育園を多く作ることが「安心して子育てができる」ことでは絶対にない、「子どもに優しい街」でもない。それを市長や市会議員、保育課長たちが理解して政府の目指す意識改革を止めないと、学校も巻き込んで「子育ての常識」が崩れていく。そうかもしれないと思われたら、市長や市議に薦めてください。わかりやすく書いてあります。

2014/ 8/12 15:09