良い仕掛け

最近、気になるのは、子育ての現場で保育士同士の信頼関係が揺らいでいること。辞めていく理由にもなっている。あえて「子育ての現場」と言ったのは、「仕事」と見なすことが、不信を生む原因の一つだからです。

考えてみれば、「資格」という言葉もまさにもろ刃の剣です。

 

子どもたちの視線を正面から受ける、子育ての最前線にいる人たちの生き方が揺らいでいる。

心が一つにならない。

子育ての存在理由、人間性の基本を鍛え、支えるはずの「信頼」が、子育ての社会化(仕組みで子育て)によって壊されようとしている。

 

 

同じ部屋で保育をしていても、他の保育士の保育には口を挟まないことが不文律になっている園があります。それが、「保育」を持続可能にするための「知恵」、手段なのです。

0、1、2歳児を挟んでの「見て見ぬ振り」、主任や保護者に対する「沈黙」、保育室で始まるこの断絶がどれほど危ないものなのか、気づいて欲しい。

 

同類の「心の動き」が、いま世界中に広がっています。様々な「分断」の根っこに、それがあるのがわかる。赤ん坊を育てる、という体験が、共通項として消え始めているからです。

この分断は、子どもたちにとって、異常な環境の変化です。

人間が、「社会」を形成する「動機」を自ら壊し始める。子育ては、絶対にお金では買えないし、買おうとしてはいけない。

 

マザー・テレサは、愛の反対側にあるのは憎しみではなく、無関心です、と言いました。そこには無関心を装うことも含まれます。

「親身な」絆を手に入れ、人間同士が信じて、守り合うためにあった「子育て」が、仕組みの手に移り、それを維持することで、存在意義を捨てていく。

(結果としての家庭崩壊と人生の孤立化が、地球温暖化にまで連鎖している。)

 

子育ては一人ではできない。性的役割分担がなければ始まりもしない。

これは良い仕掛けです。

 

その「良い仕掛け」を、イライラの原因、負担だ、不公平だ、と言って、政府が「福祉」の名で、(本質は「労働力確保」なのですが)肩代わりしようとした。三年離れると職場復帰が難しい、と言って、0歳から預けることを奨励した。

専門家や学者たちも、幼児を集団にする「この非常に新しい仕組み」を、それが進歩であって、いいもののようにいう。保育の質の低下を知っていながら、「ママがいい!」という言葉に耳を貸さない。

最初の三年間を大切にしないと、生きること、その後の人間関係を作ることさえ難しくなる、と国連もWHOも言っているのに、「エビデンスは?」とか、「神話に過ぎない」と言って「利他への道筋」を閉ざそうとする。

それなら最初から、子どもの権利条約など批准しなければいいのです。

 

最近の教師不足や、児童養護施設における子どもたちの荒れ方、苦境に立たされる保育士や指導員たち、政府の施策に憤る園長先生たちの姿を見ていると、学問が「子育て」に関わることの危うさを感じます。

自主性とか、自己肯定感などと、わけのわからないことを言っていてもいい時期は、とっくに終わっている。

こういう言葉は、親がそこそこ親らしかったから使えた言葉。個々の保育士の資質と、無資格やパートでもいいとした政府の規制緩和を考えれば、ほぼ机上の空論でしょう。むしろ、仕組みとしては言ってはいけないこと。親たちが、「私にはできない」「専門家に任せた方がいい」と思ったら、保育界は絶対に受けきれないのですから。

保育学者たちはいますぐにでも、無理です、予算があっても人材がそろいません、と正直に言って、十一時間保育を「標準」とした国の施策の撤回を求めるべき。少なくとも、どちらの味方か、立場を鮮明にすべき。

子どもたちが「ママがいい!」と言ったら、ママがいいのです。その叫びが、最近、悲鳴に聴こえます。

例えば、気の弱い子がいて、この子にはもっと自主性を、とか、自己肯定感を持って欲しい、そんな使い方ならわからないことはない。

でも、これ以上自主的にやられたら迷惑だ、集団保育が成り立たない、成長して、自己肯定感が強くなったら、第二子は保育料無料なんて言いかねない、場合もある。

「自己肯定感」を強くしたら傲慢になって、ウクライナに攻め込むかもしれない人間もいる。

 

「個性を大切に」と言う学者がいたのですが、個性の半分は明らかに短所です。「怒りっぽい」という個性は、あまり大切にしてはいけないですし、「のんびりしている」「涙もろい」「好戦的」なんていう個性は、大事にするかどうか、短所なのか長所なのか、賛否が分かれると思います。

「自分は生かされている、感謝しなければ」みたいな、仏教とか、キリスト教、ネイティブアメリカンとか、そういう人たちの、みんなで生きているんだ、という感覚を広める方がずっといい。それが、一番自然な「自己肯定」でしょう。

 

子どもの自主性をどの程度尊重するか、どの個性を大切にするか、それを考えることは親たちに与えられた役割で、特権。「趣味と都合」の問題だと思います。

子育てに正解などないし、正しい基準もない。「可愛がること」を土台に、親たちが、迷い、考え、オロオロと様々な決断をすることで、人生を見つめ、育っていく。家族が心を一つにし、特別な絆が育っていく。それが、「子育て」の一番大切なところ、中核です。

 

「子どもたちの自己肯定感」を心配するより、保育士たちの、「子どもを可愛がる喜び」を守ることの方が保育には重要なのです。

その姿に親が感謝し、自分ですれば良かったと思えば、そんな感じがいい。

 

いま、保育崩壊の一番の原因は、二十年近く続いている保育士不足です。保育士を人柄で選べなくなっている。それが、不信感を増幅させている。「三歳未満児保育」を、国がこれだけ進めれば当然そうなる。わかっていたはず。

保育や教育の無償化、と政治家は言いますが、預ける先の質がこれだけ落ちてきている時にそれをしたら、一番大切な「子どもたちの日常」を無視した、不良債権の先送りになってしまう。

保育も教育も、もっとも重要なのは、人材の質です。その問題を少しずつでも解消しようと思ったら、三歳までは、出来る限り親たち(または家族)でみる、直接給付と子育て支援センターの充実という方向に進むしかない。そこから「子育て」に対する意識の耕し直しをしないと、すべてが空回りというか、損得をお金で計った「やったふり」の積み重ねに過ぎなくなる。

 

すでに、予算や財源の問題ではなくなっているのです。もちろん待遇改善や配置基準の見直しはしてほしい。ですが、問題はすでにそこから離れている。人材の絶対量の不足は誤魔化せない。

可能な限り子育てを親に返していく。この道筋は、子どもたちの願いと重なっています。広まれば、乳幼児の、本当の役割にみんなで気づくことにもなる。

彼らとの時間は、静かで平和なもの。私たちの心が鎮まって、落ち着いてさえいれば、人間社会の土台となるもの。

取り戻せる時間の具体的なやり方については、「ママがいい!」を読んでみてください。まだ方法はあります。国が、母子分離に基づく経済施策を止めてさえくれれば、そこから立て直すことは可能です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

(「ママがいい!」の感想をいただきました。励みになります。図書館で、順番待ちになっているそうです。子どもたちからのメッセージ、広がってくれるといいのですが。)

松居 和 さん、素晴らしい本をありがとうございます。

私の教育観、価値観、人生観と共通することが多く、とても共感しました。「人として生きる根源」だと思いました。

今多くの子育て本や成功ノウハウ本が出版されていますが、なんか違うなと感じていましたが、この本は納得できる、世の中の矛盾を的確に説明してあると思います。

社会や物事の見方考え方を見直すきっかけになると思います。

すくなくとも私がそうですから。

 

(そして、フェイスブックに、以前こんな書き込みがありました。)

熊本県私立幼稚園PTA連合会の理事会にて正式決定されましたので解禁です。

記念すべき

第40回の保護者大会が

令和5年2月3日(金)に開催されます。

講演は【ママがいい!】著者の

松居 和先生です。

働く親として

保育者として

ウチの園の先生たちも

一晩で読んでしまった!

と話していて

先生の著書からヒントを得た取り組みをどんどん展開しています。

実際にお会いしてお話をうかがうのを楽しみにしています。

#ママがいい #松居和 先生