子育てを中心とした「伝統的家庭の価値」(インタビューから)

子育てを中心とした「伝統的家庭の価値」(インタビューから)

 私は時々「伝統的家庭の価値観を取り戻さなければならない」という話します。一部の学者や文化人は「性別役割分担の押し付けだ」と言うのですが、違います。

 家庭崩壊は先進国社会で共通に起こっている人間の欲の問題に起因していると考えています。幸福感の主流が自己の欲に基づくものになってしまい、「利他」ではなくなっている。日本が社会秩序の面でも経済的な面でもうまくやってきたのは、「利他の幸福感」があったからだと思います。そして利他の幸福感は、親心の幸福感と重なっていた。特に幼児を眺め、育てることは、親だけでなく社会全体に利他の心が育つことなのです。

 伝統的家庭の価値観というのは、イスラム教の国、ヒンズー教の国、仏教の国と、各々違います。共通しているのは「子育てを中心とした」価値観です。家族の真ん中に子育てという営みがある。これが共通しているのです。

 欧米と違った日本の伝統的家庭の価値観は、『逝きし世の面影』(渡辺京二著)などを読むとわかるように、父親たちが一様に子育てに深く関わることでした。しかもその姿は子育てというより、子どもを崇拝するような行いだった、と欧米人が書き残している。そして、その風景が国中にいき渡っているのを見た欧米人が百五十年前、この国を「パラダイス」と呼んだのです。江戸で男たちが並んで幼児を抱えて自慢話をしている姿を見て、すでにインドや中国を見た欧米人が、その様子に憧れた。日本の父親は幼児と離れなかった。究極の他力本願、文明の底に流れる独特な易行道だと思います。

 元々働く理由の中心は「子どもを育てるため」というように、子ども優先でした。私にとってはそれが「伝統的家庭」であって、「男が競争社会で働き、女は家で子供を見ていればいい」というのはこの国の伝統的家庭の価値ではありません。

 歴史的に、絆を作る中心にあったのが子育てです。特に〇、一、二歳児という神様のような幼児と付き合うことによって心が一つになっていたということを、もう一度思い起こすべきです。幼児の人間社会における役割分担、人間を「良い人間」にしていくという役割を理解しない限り、家庭崩壊、教育の崩壊、生きる力の喪失、という問題は続くでしょう。

 幼児と触れ合う時間を増やしてほしい。一歳児、二歳児が歩いている姿を見るだけで、人間は遺伝子がオンになる。一緒に座っているだけで、自分がいい人間だと気づく。カトリックは聖母マリアの母子像を崇拝してきました。母子の関係に崇拝すべき何か、利他の美しさを見てきたわけです。仏教でも、良寛様は子どもの中に仏が宿っていると言います。伝統的に、乳幼児は、我々に共通に与えられている「神様、仏様」なのです。乳幼児を眺める時間を全ての人間が毎日持てば、一人前の人類になれるのではないかと思うのです。

 夫婦が子育てを通じてお互いの良い人間性を確認し、育て、信頼関係をつくり、損得を離れた絆を社会に育み続けるために子育ては存在する。子育てを「社会化」すると、地域の絆どころか、夫婦揃っての子育て、社会の最小単位である「夫婦」の絆が崩れていきます。

 何万年と続いてきた子育ての第一義的責任を親から社会へ代えるのであれば、それは人類の進化の根本にあった心の動きと親子の育て合いを放棄することになります。ヒトの遺伝子の組み換えでもしないとこんなことはできないと思います。

 先日、新聞に掲載されたアンケート調査で、二人目の子を生まない理由として最も多かったのが「父親が子育てに参加していない」でした。「経済的に厳しい」というのは三番目以下でした。これには私も納得しました。

 子育ては、男女がお互いの人間性を確認する場です。父親が参加しなければ子育ての本来の意義が失われてしまう。夫婦がお互いに「あの人は良い人だ」と確認し、それが社会全体に広がる。男女でそれをしないと、父親に「責任を感じる幸福感」「我が子に何かを教える幸福感」がなくなっていきます。

 いま日本という不思議な国が目指さなければならないのは、乳幼児の天命をなるべく果たさせる方向に社会の仕組みを持っていくということです。人間社会における彼らの特殊で大切な役割を果たさせてあげる。なるべく多くの人が乳幼児と関わることによって、自分は良い人間だということを実感する体験を増やし、その積み重ねで絆を深めるということですね。幼児の集団は、「頼りきって、信じきって、幸せそう」な、最も完成された人間集団で、そこに漬かっていると遺伝子がオンになって来るのです。

 親であることに幸せを見つけることを「子育て」の第一義とし、「育てたい」「守りたい」という気持ちが社会にモラルや秩序、意欲や絆を生む原点だということに気づかない限り、いじめも不登校も、児童虐待もDVも止まりません。

 最近、道徳教育が議論されていますが、私は「道徳心は幼児から学ぶ」「幼児たちを眺めて生まれる」と思っています。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です