ありがたいメール

こんなメールをいただきました。

こんな風に感じてもらえると、嬉しいというよりありがたい。
作って良かったと思います。
シャクティの踊り手たちとシスターが生きている。
絆が、生きる力になるのでしょう。
Knob君の鎌倉でのコンサートに行って、また色々考えました。

松居和さま

こんにちは。

先日、雪堂美術館で強引に?!

DVDを買わせられちゃった彩ね。です(笑)

覚えてますかしら?

DVD、早速見ましたよ?。

まず感じたのはシスターとシャクティの子達の瞳の輝きでした。

差別を訴えるために踊っている彼女たちだけれど、

もしかしたら本当はそれはキッカケとして理由として必要なもので

彼女たちは踊りを楽しんで楽しんで・・・生きている

そんな風にも感じるほどでした。

勿論、未だにそういった差別が残っている・・・ということを

知る良いキッカケにもなりましたけど

『生きること』『幸せ』とは一体何なんだろうなぁ??って。

差別を訴えるシャクティの彼女たちが

当たり前のように結婚と共に踊り手をやめていく。

その姿に矛盾を感じたりもしました。

でも、今度は自分の子供に踊りを教えるんだ

そう語るその瞳には妙に確信めいたものも感じて、

彼女たちは自分たちのやっていることが

必ず伝えられていくものだと信じている・・・そんな風にも見えました。

差別やしきたりの多い中での生活でも、

キラキラ光る沢山の瞳。

もしかしたら、人はどんな環境であっても

今、そこに生きているだけで幸福であり・・・

もしかしたら『幸福』そのものにも形はなく・・・

それは私たちの目線で勝手に決め付けているもの。

そうも想えました。

シスターが「私は生きているイエスが好きです」と仰っていましたが、

自分の家に食事が無くても招き入れる。

そして、隣の家から当たり前に食事を貰ってくる。

「お客さんが来たから貰ったからね」

それでいいというその環境は・・・知らず知らずのうちに

“今あるもの”

それで充分満たされているということを

魂の奥底で知っているように想えました。

・・・と感じたままを書かせて頂いちゃいました。

ではでは?。

どんどん寒くなってきましたので、風邪ひいたりしませぬよう・・・。

感謝をこめて☆

‘゜☆。.:*:・’゜☆゜’・:*:.。?☆。.:*:・’゜☆゜*’゜☆。.:*:

彩ね。

今日はクリスマスです。

今日発売の雑誌クロワッサンに、シスターのことが載っているそうです。いま、知人から連絡が入りました。さっそく買ってこなくては。みなさんも、読んでみて下さい。

クリスマスの日に発売、というのが嬉しいです。温かい感じがします。
昨日のイブは、シャクティ久我山応援団長の山田さんが行っている教会へ行きました。礼拝で、山田さんはビオラを弾いていました。
そして、山田さんと家で少し飲んで、たくさんしゃべって富士見ヶ丘の駅まで終電に間に合うように送って行きました。その帰りに、小さなイタリアンレストランを覗き込むと、女の人たちが喋っていました。そのまま、家内と息子と隣の100円ショップで買い物をしていたら、シャクティ公演にお米を寄付してくれた石郷岡夫妻に呼び止められました。イタリアンレストランを覗いたでしょう、と言われました。
女の人たちは、石郷岡さんとその友達で、アルフィーのコンサートへ4人で行き、その帰りに飲んでいたのです。毎年、そうしているのだそうです。
外は寒いのに、いい感じです。
近所に友達が少しずつ帰ってくる感じがします。
石郷岡さんのビーズの本が、一月に出るそうです。歌を唄うビーズではなくて、糸でつなげるビーズの本です。石郷岡さんと私は富士見ヶ丘中学校の同級生だったのですが、とても嬉しそうでした。

ちょっとお知らせです。

124.jpg27年前に作った私の一枚目のアルバムが再リリースされました。
アルバムというのは自分の子どものようなもので、再び世に出るのは嬉しいものです。
放蕩息子が帰ってきたよ、という聖書のフレーズがありましたね。

http://www.coolsound.co.jp/checktop.html

にて、販売しています。タワーや新星堂にも並ぶそうです。
25年前に、渋谷公会堂でThe Kazu Matsui Project 公演をした時の映像もあります。来日メンバーも若く、懐かしいです。その時のリードボーカル、カール・アンダーソンは5年前に亡くなっています。彼は、映画ジーザスクライスト・スーパースターでユダ役をやっていた歌手で、私のアメリカにおける音楽人生の扉をあけてくれた友人です。天国へ行ったら一緒にセッションをすることにしています。
この一枚目のアルバムで創造しようとしていた「何か」が、シャクティのプロジェクトに脈々と生きている気がします。
(最近、近所の西友富士見ヶ丘店の前に小さなドラムショップが出来たのです。思わず中に入って、人の良さそうな店長が、ドラマーだというので、バンドやらない?と聞いてしまいました。)

来日公演のあとがき

 そのシャクティの踊り手たちが、日本を走り抜けて行きました。太古の「気」シャクティを持った娘たちが、踊り抜けて行きました。

 日本に着いた踊り手たちは、成田からのバスの中、初めて見る東京にことさら驚く風もなく、いつも通りの笑顔で都会を見つめていました。広がる夜景に歓声があがることもありませんでした。身を乗り出すこともなく、黙って、楽しそうに窓の外を見つめていました。どこへ行ってもだいたいそうでした。

 欲がないからでしょうか。私たちが「感動」と呼んでいる感覚は、そのほとんどが情報を土台にした「欲」の一部なのかもしれません。

 ピラミッドを見たとき、私たちはその歴史的な意味、見ている自分が遠くから来たこと、様々な情報が重なり合って、「感動しなさい」と自分をコントロールするのかもしれません。深層には「感動しなければ損です」という意識があって、指図するのかもしれません。欲を持つ習慣を持たない娘たちには、ピラミッドはただの石かもしれません。それとも、その巨大さに細胞から感動するのでしょうか。グランドキャニオンだったらどうだったろう。私は、都会を見つめる娘たちにもっと感動してほしかった。その感覚は、すでに欲なのか。

 はにかみながら淡々と神社を見学し、雑踏を見つめる娘たちは、なぜかステージで驚くほど輝きました。細胞に直接訴えかけて来る人間の輝きを持っていました。人間は人間であるだけでこれほど美しい、と私に教えてくれます。

 シャクティの踊り手たちが感動していた瞬間がありました。浦和の幼稚園で園児たちと手をつないで、輪になって踊った時でした。

 園児には、誰も何も説明しません。カースト制度のこと、差別のこと、彼女たちが踊る意味のこと、説明してもわからないですから誰も説明しませんでした。ただ、踊ったのです。自然に輪が出来ました。幼児たちと手をつないで一緒に踊りながら、いつもは大人しく控え目で、あまり感情を表さずに恥ずかしそうに笑っているだけのマハーラクシュミが泣いていました。平等のために踊っていた彼女たちが、初めて平等を感じたのかもしれません。だれも何も説明しないから、そして園児たちは知識を持たずにただ嬉しそうにしてたから、突き上げて来るもの、込み上げて来るものがあったのだと思います。幼児が人間たちをつなぐ。人間たちが安心する絆の存在を教えてくれるのです。

 私はシャクティの娘たちから、人間を学びます。人間の作ったものではなく、宇宙が作った「人間」を学びます。学校もそういう所であってほしい、と思います。

 英語がしゃべれないシャクティの踊り手たちと18日間、笑顔だけで会話をしました。慣れて来ると、いままで見えなかったものが見えてきます。感性が敏感になってくるのです。

 シスターがインタビューを受けた時、通訳をしました。通訳をしながら新しいことを学びました。

 ダリットの村では、祭りが重要な役割を果たします。村人が心を一つにするために祭りがあります。心が一つになっていないと暮らして行けない仕組みになっているのでしょう。シスターが言うには、ある一家とある一家がもめていると、その年の祭りは中止になる、というのです。来年に持ち越しだそうです。これにはびっくりしました。日本で、例えば川越祭りが何月何日に行われる、と決まっていたら絶対に行われます。ポスターを作って宣伝して、地域経済の活性化のためにも、みんなで準備して必ずお祭りになります。祭りがインドでは生活の一部になっていて、どれくらい大切なものか知っているだけに、心が一つになっていないから、今年はやらない、というダリットの村人の潔さに感心します。こんな村で育ってきたんだ、この娘たちは、と思います。

 タミル語の通訳がついた時、記者の質問に紛れて、リーダー格のエスターに一つ質問してみました。ダリットの娘たちに限らず、インドではほとんどの娘たちが親の決めた相手と結婚します。私の撮ったドキュメンタリー映画の中にも、結婚の決まった一人の踊り手にインタビューしているところがあって、そのあまりにも親を信じきっている笑顔に胸を打たれるのですが、やはり私はエスターに訊いてみました。

 「悪い夫に当たったらどうするの?」

 すると、19歳のエスターは笑って言いました。「良い夫にするの」

 19歳の娘が結婚の一部として、こういう理解をすでにしている。どこで習ったのでしょうか。たぶん生きるためには必要なことなのでしょうね。人間が。人類が。

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最後列、シスター?フェルシーと、右がマハーラクシュミ

ss_DSC6231.jpg以前ブログに幼稚園での涙、を

書いた時の登場人物マハーラクシュミは、最後列の右側です。マハーは、大きいという意味。その名の通り一番背が高いのです。生まれた時に大きかったのかもしれません。シャクティの娘たちは、小柄な娘が多くて、よく年齢が10代のように思われます。小さい頃、栄養をあまり取っていないからだと思います。ちなみに、ナーガラクシュミのナーガは蛇という意味。
いつも大人しく無口で、大きな体を心持ち小さくして笑顔がはにかんでいます。踊りの時もあまり目立たないのですが、その目の奥に隠している光を感じます。その光が、電光のように出てくる瞬間があります。キラキラーっと突然飛び出してくるのです。無垢の人間を感じます。

シャクティの風景

ss_DSC6915.jpg

シャクティの余韻の中で、今回サポートしてくれたシャクティ応援団の人たちと集まって、12月の忘年会をしました。3回しました。みんなで感想を述べ合ってお酒を少し飲みました。若者組の会でノブ君と馬場君は相当飲みました。久我山地元連合では、山田さんと小松さんとカエルさんが、相変わらずおいしい手料理を持ち寄ってくださいました。
シスターから長文の手紙が届きました。シャクティを応援してくださったすべての方々宛でもあり、翻訳しなければ、と思っています。
この写真は千葉さんがウィメンズプラザ公演の時にとってくれた写真です。
あの一瞬が、太鼓の音と共に還ってきます。

横浜双葉学園での公演

大きなホールでした。シャクティ日本滞在最後の晩でした。

シャクティが立派なステージに立っていました。何十年もの間、小学生、中学生、高校生の学芸会や合唱などの発表会の舞台になってきた、無数の思いのこもった広いステージでした。

キリスト教について学ぶ会という趣旨の夜だったこともあって、ちょっとよそいきの服を着た父母の方たちと、なかなか行儀のいい子供たちがシャクティの踊りを見つめました。

終わって、最後に玄関のところで、子どもたちが一人一人シスターと握手をしました。

静かな、落ち着きのある夜でした。ソウバさんが、「こんな親子が、シャクティを見てくれているのが、嬉しい」と私に言いました。

ふつうは出会わない人たちが出会いました。心を一つにしたのです。「舞台」が、その魔法を、とても発揮した夜でした。

子どもたちが見に来ていたことが、やはり出会いに重要な役割を果たしていたのです。

ちょっと、ピーターパンの世界を感じました。不思議な夜でした。オーバーコートを着て、子どもたちがお父さんやお母さんと手をつないで、家に帰って行きました。

マハーラクシュミの涙

淡々と駆け抜けていったシャクティ。あの娘たちが、笑顔を越えて、感動の表情を見せた瞬間がありました。

はとり幼稚園での公演で、自然に園児たちと輪になって踊った時のことでした。一番背の高い、はにかみ屋のマハーラクシュミの目から涙がこぼれました。その時、私は何かを見たような気がします。

どんなに公演で拍手を受けても、彼女たちはカーストのことを説明され、自分たちが踊っていることの意味を説明され、そして踊っていました。それは、意味のあることでしょう。

でも、園児たちには誰も何も説明しません。ただ、踊ったのです。そして、園児たちの目には、曇りのない、情報にとらわれない、真の平等の光があったのだと思うのです。平等なんて言葉さえ、いまでは闘いの道具になっている。園児たちはただ一生懸命、一心にシャクティのお姉さんたちと踊ったのです。

地球の住人がみんな4歳児だったら…。

幼児を眺めて人間は成長する、幼児を見つめて、人間は幸福になるやり方を学ぶ。幼児と踊って人は心を一つにする。

マハーラクシュミの涙は、地球の涙だったのかもしれません。

 

シャクティの余韻

シャクティの踊り手たちが東京の街を走り抜けていきました。笑いながら踊りぬけていきました。

欲のない少女たちは淡々と、村に居る時と同じ表情で、私が拍子抜けするように、楽しそうに走り去って行きました。東京の街を初めて見た時も、バスの窓から見つめる目は、インドの街を走り抜ける時と同じだったように思います。感動は、先進国社会で、情報の積み重ねの上に成り立つ欲の一部になっているのかなあ、とさえ思いました。感動がないわけではないはずです。ただ、それが日常生活の中の彼女たちのふつうの明るい笑顔と変わりがないのです。

情報を得て、感動の定義さえ作り出している、感動しないと損、みたいなところがある私たちとは、世界を見る目がちがうような気がします。

欲がない、ということはこういうことなのかもしれません。マハトマ・ガンジーが「神の子」と呼んだ意味が、直感的にわかるような気がします。

その余韻に浸っています。

今日は、観光をしました。

シャクティ応援団の一員春日さん一家が車を2台出してくれて合計3台で観光をしました。

明治神宮へ行ったらちょうど七五三で、可愛い子たちが着物を着て、森の中を歩いていました。玉砂利の音がさくさくと木々の梢に響きます。

都心なのにシーンとしています。さくさく、さくさく。

雨が少し降っていて、ちょっと暗くてきれいです。七五三の子供たちが妖精のようにシャクティを迎えてくれています。さくさく、さくさく。

そのあと、春日さんの叔母さまの提案で、もともと動物園に行くはずだったのを変更し、葛西臨海公園の水族館へ行きました。これは大ヒットでした。シスターもシャクティのメンバーも大喜びしていました。

 

明日はいよいよ、シスターの表彰式、常陸宮様がご出席になられるそうです。

ひでさんが明日は仕事なので機材車の運転は一人でやります。表彰式でも踊ることになっています。思えばこの日本公演も、黒川さんがこの賞にシスターの推薦状を出したことから始まったのです。

18日の浦和のはとり幼稚園、そして、21日の横浜双葉学園と、公演もあと二つです。お米もまだあります。

 

追伸、佐藤太郎様、奥様、感謝です。