メモ#1


子育ては幸福論が軸になっていないと、人間社会に調和が生まれない。いまの保育システムを含む子育ての環境は、経済論に支配されつつある。

 

雇用・労働施策で保育や子育てのあり方が語られている。

 

父親が、子どもが幼児期に子育てにかかわる時間が異常に少ない。子はかすがいという言葉の中身は、「子育てはかすがい」。夫婦という社会の最小単位から崩壊が始まっている。

国が経済的に発展するためと言いながら、父親を幼児から不自然に引き離し、福祉・経済施策の名の下に母親たちも幼児から離されつつある。もちろん、それだけが原因ではないが、子どもが成長する過程で父親像が希薄になると、草食系男子が増え、結果的に競争力が無くなってくる。 それでも、母親との愛着関係があれば草食系男子も平和でいいのかもしれないが、母子関係が稀薄になると、欧米社会のように犯罪率がいまの日本の30倍、というような社会になる。

草食系男子の増加は、現象として、経済学者たちの標的になっていた女性の就業率のM字型カーブが無くなって、20歳から24歳の女性の就業率が極端に下がったのと似ている。親による子育て機会が減ってゆくと、子どもが成長しても「意欲」が湧かなくなる。 

子育ては人間性 を育む最後の砦

 

今の若者は絆が生きる力であることを知らない

トルコからの嬉しい手紙

私の本に登場する、トルコから時々いい観察をして、いい報告をしてくれる教え子からメールが来ました。もともと日本の大学院で幼児教育の勉強をしていたので、研究者の目ももっています。ご主人の仕事の関係で結婚後すぐにトルコにいったのですが、祈りの国で、天から降って来たフィールドワークを自然体でしている女性です。この夏、母になりました。もともとは論客だったのですが、トルコの人たちに囲まれて、今ではすっかり感性派。その眼の確かさに、私は時々助けられます。

前もお伝えしましたが、帰国は来年2月か3月、まだ東京か名古屋かわかりません。

菜々は手のかからない子で(私がそう思っているだけかもしれませんが)、今までの2ヶ月、子育てにおいて大変さは感じませんでした。

菜々が産まれてから、近所のトルコ人たちと増々親密に付き合うようになっていたので、今回の引越はとても残念です。今度のサービスアパートメントではご近所付き合いはないので。。。でも、お手伝いさんに来てもらうことにしたので、菜々を可愛がってくれる人が増えます。

トルコで菜々を抱えていると、1メートルもまっすぐ歩けない位、沢山の人に声をかけられます。皆、菜々に話しかけて触って、キスをしてくれます。トルコの人たちは、赤ん坊がもたらす「いいこと」をめいっぱい受け取っていると思います。菜々のお陰で、私は沢山の人の笑顔に触れられて、沢山の人から親切にされて、幸せです。日本に帰るのが少し怖いです。

知事と園長先生たち/そしてシスターからの手紙

 朝、浦和の県庁に集合、上田知事に会いました。「一日保育士体験」を埼玉で進めてもらっているお礼と、子ども・子育て新システムの影響について、もう長い間子ども主体で考えられていない保育行政について、現場の園長先生たちの子どもたちの幸せを願う思いを、直接伝えました。やはり直接会うのがいいですね。文章は確かに役に立ちますが、声に出して伝えると言霊がこもると思います。親心を育む会の三銃士、門倉文子先生、園部浅子先生、高木早智子先生に、若手代表でおおしか保育園の滝本主任が加わりました。短い時間ですが、それぞれが一生懸命話しました。良いプレゼンテーションだったと思います。

 会見が終わって、ホッとしたところで、一階に行き、子育て支援課の夏目さんを表敬訪問しました。夏目さんは、私たちが親心を育む会県庁支部のように密かに思っている方です。高知県からの視察では高木先生の花園第二保育園まで一緒に行ってくれました。
 そのあと、浦和で食事をしました。これからどうなるのかわかりませんが、今日は出来ることを一つやった、とお茶で乾杯をしました。
 食事を終えて県庁の駐車場に向かって一人歩いていると、一昨日会った参議院議員の水戸さんから電話が入り、さっそく横須賀市の市長さんに会えるように計らって下さったという連絡です。「一日保育士体験」の薦め、に同席して下さるというのです。感謝です。
 
 先日、テレビ神奈川で「一日保育士体験」を扱っていただいたものを、横浜の人がネットにアップしてくれました。

シスターから手紙が来ました。

How are you Kazu san?

How is every body there?

Give my wishes to all our Sakthi friends.

Special wishes to Yoko San and Rio san.

Though for many days we failed to communicate

because of our tight schedule, How can we forget

our last year experience.Last year by this time

Sutha sans burriel was over and we were packing

for the travel.Our artist those who travelled

last year are reliving the experience.

Above all How can i forget the happy moments

of being together with Yamada.

God gives me energy to accept the fact and God who

leads me to do more work.

Sakthi Community College – Courses started from

September 1st. We are having 1.Performing Folk Arts,

2. Folk Arts Craft work 3.Tailoring 4.Computer Applications.

Each course we are having 25 students. This is 6 months

Certified Course. It will be over by February 2011.

How is your busy Schedule. I know this is the Month of

October. You will be very busy.

Waiting to hear from you. Because your mail I always look for.

It gives me energy.

With Love

Sr.Chandra.

12.jpg

朝、幼稚園と午後国会

 午前中、横浜市の港南台幼稚園で講演しました。トトロの森に入り込んだような、魅力的な幼稚園でした。私はこういう園に通いたい、と思いました。お母さんたちも積極的に園とかかわっていて、3年しかない魔法のような子どもたちとの時間を、ゆっくりしっかり楽しんで過ごしていました。50年前にタイムスリップしたような、古き良き時代の幼稚園でした。こういう幼稚園を守って下さい、と講演の最後に付け加えました。

 また来て、お父さんたちにも話して下さい、と言われました。お昼を共にし、お母さんたちから笑顔と元気をいただきました。森のような、山のような、谷のような園庭で遊ぶ子どもたちを眺め、その姿を眼に焼きつけて園をあとにしました。車が曲がり角を曲がるまで、役員のお母さんが見送ってくれました。(そうそう、先週の土曜日に講演に行った川崎市の三田保育園のお母さんたちにも励まされました。園長と主任さんが気合いの入ったお二人で、川崎では保育士たちが鹿児島大学の伊藤教授を招いて新システムの勉強会をしたそうです。現場がどんどん理解を深めています。)
 そのあと、参議院会館で民主党の議員の人に会いました。衆議院も含め、もう今年は10人くらいの代議士や参議院議員に会ったでしょうか。一日保育士体験の説明をし、理解をいただきました。地元の県の市長さんたちを紹介してもらえることになりました。
 「子ども・子育て新システム」は、あまりにも無茶苦茶です、と話しました。意図がどうであれ、今の親たちの心の動き、習性、保育界の現状を考えたら、老人介護保険の二の舞で、障害をもっていたり、機転のきかない親たちが園によって仕分けされるようになります、と話しました。こんな乱暴なことをしたら、保育界の良心が壊れてしまいます。
 明日は小学校で講演をし、明後日は埼玉の3人の同志を連れて上田知事に面会です。
 埼玉の同志、北の魔女:行田保育園の園部浅子園長。熊谷の組長:なでしこ保育園の門倉文子理事長。花園の論客:花園第二保育園の高木幸子園長先生。
 

学校教育や保育について



 子どもを一緒に育てている人間の間に信頼関係がない それが先進国社会の欠陥ではないかと思います。子育ての肩代わりを教育や保育がし、それが職業やサービス産業になってゆくと、親身さや絆を人間社会に生むために存在して来た子育てが、経済活動の一部になってしまいます。

 子どもを他人に預ける事よりも、預け、育ててもらっている人に感謝しなくなる事が、より大きな問題なのです。子どもを手渡すという行為は、本来、崇高な信頼関係の証でなければならない。

4a.jpg 


江ノ島アジア映画祭でシャクティの上映が決まりました。

江ノ島アジア映画祭でシャクティの上映が決まりました。

ありがとうございます。

来年二月七日です。江ノ島のヨットハーバーの前にある神奈川女性センターです。
出来たら、私も演奏したい。
今日は打ち合わせで実行委員の方達と会いました。ヨットを眺めながら、久しぶりにシャクティの説明や思い出話を3時間もしました。話をすると蘇る記憶やイメージがたくさん会って、シスターに会ったような気がしました。そのイメージを頭に置きながら、最近身の回りに起こっていることを考えました。
昨日は、教育委員長としての最後の文教委員会でした。夜の懇親会で田中議員から花束をいただきました。ごつい声で、松居委員長の撒いた種はこれから育つ、と言って下さいました。何より嬉しかったのは、藤本委員長をはじめ、委員のみなさんが学校に入る前の子どもたちの生活や保育の大切さをとても理解して、幼児教育や保育を考える議員連盟を作ろう、と言って下さったことです。
埼玉の教育は、埼玉の保育が支える、そのくらいの気持ちでこれからも頑張って行こうと思います。

演奏会の感想いただきました。

松居和様

こんばんは。

常光院さんでのコンサートでは

とても不思議で素敵な音の世界へご案内下さり

ありがとうございました。

表のかがり火にいたるまで、主催者の愛がすみずみまで行き届いた

素敵な催しでした。

ご本尊とシャクティの映像の中の十字架が並んで目に入ったとき、

なんとも幸せな気持ちになりました。

戦わず、こうあって欲しい、と。

スクリーンの中のインドの観衆と、本堂の観衆が

同じものを見つめているという、不思議な体験をしました。

とても素敵なひとときをありがとうございました。

演奏会終わりました

 久しぶりの演奏会でした。舞台で吹いたのは去年のシャクティ日本公演以来。あの時は、あくまでプロデューサーで、自分のコンサートではありませんでした。今回は、古典も含めて9曲。

 熊谷の常光院は虫の音につつまれ、本堂に集まった方達の姿が、明かりの中に人間たちが集まる、昔の村の絆を感じさせる温かさがありました。その前で、一曲目に古典本曲の「鶴の巣ごもり」を吹きました。
 禅宗の曲には珍しく、親子の愛を奏でる曲。
 築300年の茅葺きのお寺、祈りが込められた時間の蓄積が空間の中にある気がします。
 サウンドチェックの時に、助っ人で来てくれた南雲君が、「庭で聴いていると最高です」と言ってくれました。そうだね、「聴こえてくる…」くらいが尺八の音にはちょうどいいのかもしれません。

 不思議なコンサートだった、時間が止まったようでした、と感想をいただきました。
 お箏の久東寿子さん、ありがとうございました。キーボードの亜子ちゃん、ディジュリドゥーのKnob君ともとき君、やまちゃん、ありがとうござました。
 熊谷市の市長さん、県議会の文教委員長藤本先生、副委員長の諸井先生、加藤先生、教育局の同志の方達、もと政策室長の杉山校長先生、私幼連の平原会長、教文館の倉澤さん、石川前委員長の奥様、前東松山市の教育長もいらしてくれました。石川先生と奥様には、私が教育委員長をしている間、常にエールを送っていただき励まされました。時々野菜もいただきました。私がいっしょに生きさせていただいているたくさんの方たちが聴いて下さいました。
 いま、一生懸命子どもたちのために闘っている「親心を育む会」の同志の園長先生たちも来て下さいました。育む会の月例の集まりは、ここ熊谷のなでしこ保育園でやっています。熊谷というとても縁の深くなった地で、この地を九百年間守って来たお寺の本堂で吹かせていただくことに、続く命の不思議さを思いました。
 絵本わにわにシリーズの作家で保育士さんたちに絶大な人気の妹、幸も聴いていてくれました。大学時代からの親友で、いつも私の相談相手になってくれる小宮も聴いてくれました。親友一人と妹が一人いれば、人生なんとか大丈夫だと思います。
 外は雨。
 さて、音楽、どうしよう。そんな気持ちでたたずんでいます。
 

読売新聞に「一日保育士体験」の記事が載りました。

 今朝の読売新聞に、仲間と全国に広がるべく頑張っている「一日保育士体験」の記事が載りました。親たちにも保育士たちにも好評で、少しずつ広がっています。

 幼児たちが集団になって育てる人間性が、自然治癒力となってこの国に広がってゆくイメージを持っています。理論理屈ではない力が動かす時代、それしか無い所まで追い込まれたから大きな進歩があるのかもしれない。

 さっそく、厚生労働委員会の委員もしている初鹿さんから電話をいただきました。「親心を育む会」面々にも回状をまわしました。品川でこれを進めて下さっている古川部長さんにも電話をしました。この次元での改革をしていかないと、行政や政治家に弄られている保育システムは、まったくどこへ行くか見当がつきません。誰が主体なのか、背後の哲学が何なのか、調べれば調べるほど、本人たちさえよくわからないみたいです。ある代議士の秘書さんが、「政治というのはこんな風に「流れ」で動いてしまう時があるんです。政治家や官僚、本人たちもよくわからないままに、第二次大戦まで行ってしまったこともあるんですからね」と教えてくれました。大戦と比べることは出来ませんが、0歳から5歳までの子育て親育ちは、学校教育が壊れるかもしれないほどの大問題なのです。

0・1・2歳児の存在価値

 経済論の中で人間の存在価値が決められてゆく。だから、0・1・2歳児は預かれば、親を経済活動に専念させることが出来る、と考えられてしまう。以前、経済財政諮問会議の座長だった八代教授が「0歳児は寝たきり」と発言したのを思い出す。

 一見生産性を見いだせない存在が、実は人間社会にとって重要な役割りを果たしていることがある。0歳児は初めて笑うことによって、それを見ていた人間たちを幸せにする。自分がいい人間だということに気づかせる。そして、それを見ていた人間たちの心を一つにする。
 先日、児童生徒60人の小学校の運動会に招かれた。一学年10人しかいないから、学校だけでは運動会が成り立たない。村の運動会と一緒にして、地区別対抗の協議をやっていた。大人たちも子どもたちの前ではそこそこ真剣にやらざるを得ない。大人を応援する子どもの姿tに、自然を感じた。その小学校には知的障害を持っている子どもが二人居て、その子たちが入学してから、子どもたちや先生の心がずいぶん一つになった、と以前校長先生が話してくれた。障害を持っている子どもが、その子の役割りを果たせている。
 一学年10人しかいないと、避けるわけには行かない。飽きてしまうことも出来ない。運命共同体、すべての時間と体験をわかちあうしか無い。
 「わかちあうことで人間は幸せになる」シスター・チャンドラの言葉を思い出す瞬間。
 
 生産性が無いようにみえる乳幼児たちを、介護保険そっくりの制度にあてはめようとしているのが、今度の子ども・子育て新システム。弱者、という点では老人と似ているかもしれない。しかし、幼児たちは学校へ行く。このシステムが導入されたら、学校が成り立たない。
 今の時代、3歳4歳5歳の保育は学校教育に準ずるものと定義するくらい質の向上を目指さなければいけないのに、母親を労働力と見なし、乳幼児を社会のお荷物扱いするような法律が来年早々の国会に提出される。