シャクティの上映会/江ノ島アジア映画祭、2011/2/6

「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」が江ノ島アジア映画祭で上映されます。

http://enoshimaajiaeigasai.art.officelive.com/default.aspx (映画祭のホームページ)

大きなスクリーンで見るとまた違った印象があります。

お誘い合わせの上ご来場くだされば幸いです。どなたか、江ノ島の方の方をご存知であれば、ぜひ、推薦ください。

2回ある上映の間に、少しお話しをし演奏もしようと思っています。

上映後に、ご希望があれば数人で集まってお茶会でも出来るといいのですが。



■ 日  時   2011年2月6日(日)

● 映画上映「シスター・チャンドラとシャクティーの踊り手たち」

      1回目11:00 2回目 14:30  (1000円)

 *1回目、2回目とも同じプログラムです。ご都合の良いお時間におでかけください。

              <作品概要>

カースト制度の最下層に位置するダリット(不可触民)の少女たちを集め、差別反対のためにある修道女が彼女達にダンスを教え、公演をしている。その活動の素晴らしさに引き寄せられた一人の日本人音楽家が、修道女の活動、ダリットの少女たちの生活を追った。監督 松居和(2007年/日本映画/カラー/108分)(第41回ヒューストン国際映画祭長編ドキュメンタリー部門金賞受賞)。監督:松居 和

同 時 開 催

●ハーフタイムショー 13:00   ※無料です。

○松居監督の講演と尺八演奏

○インド舞踊・歌

●インドグッズコーナー 10:00?(各コーナー完売次第終了)

インド屋台、関係教材、図書、雑貨、食材など

●インド民族衣装試着コーナー 10:00

                                         *同時開催の内容は、変更になることがあります。


■ 会 場  神奈川県立かながわ女性センター ホール

藤沢市江の島1-11-1 TEL 0466-27-2111

【アクセス】

● 小田急線片瀬江ノ島駅下車 徒歩15分

● 江ノ島電鉄江ノ島駅、湘南モノレール湘南江の島駅下車徒歩20分

● 藤沢駅前から江ノ電バス「江ノ島行き」(15分)→江ノ島下車徒歩5分

● 大船駅前から京急バス・江ノ電バス「江ノ島行き」(約25分)

→江ノ島下車 徒歩5分

■ お問い合わせ

江ノ島アジア映画祭実行委員会 enoshimaeiga@liv

横浜の八ッ橋子ども園

 横浜旭区の八ッ橋子ども園で講演をしました。園児が350人のマンモス園です。親の参加行事がものすごく多い、昔から地域の絆の原動力になっている園でした。園の建物は古くなっていましたが、新しい子育て支援センター、水泳教室、音楽教室、英語教室、なんでもありました。その地域の小学校のP`TA活動は、この園を卒園した父母たちに支えられている、ひょっとすると、この園に子どもを通わせたことが、親子の一生を左右する、そんな感じの園でした。子どもが勉強出来るようなるとか、勤勉になるとか、そんなことではないのです。子育てで一番大切なのは、親に相談相手がいるかいないかだと思うのです。相談相手から良い答えが返ってくるかはどうでもいいのです。親身な人間関係が親の周りにありさえすればそれで良いのです。その第一はもちろん配偶者ですが、友だちも大切です。

 「幼児」という存在が、この親身な人間関係を人間社会に生み出すためにあるのです。それを創らないと「幼児」は生きられない、だから、もう一度幼児の存在意義を社会に取り戻さなければ、日本もますます孤独な人間たちの競争社会になってしまいます。子育ての社会化で崩れた絆は、とても福祉で補いきれるものではありません。雪だるま式に家庭崩壊と犯罪が増えて行きます。

 「幼児」が一人では生きられない真の理由を、国として思い出す時期に来ています。

 私は幼保一体化には反対ですが、こんな感じの子ども園が全国に増えるのであれば問題ないのです。形ではない。やはり鍵は園長先生の親子を見つめる視線、視点、そして気合いです。講演のあと、園長先生と、私を園に紹介してくれた林さんと、古川横浜市議と学生と、1時間ほど語り合いました。外が寒いのに、部屋の中には熱い思いと議論がありました。園長先生の、親を育てている、絆を作っているという実感のある自慢話がとても気持ちよく、少々長居をしてしまいました。親にしてみれば行事が多くて大変だろうと思われる園が、来年はもっと人数が増えるほど人気があるのです。経済が悪くなり、世の中が荒れてくるほど、人間は絆を必要とするのだと思います。今年最後の講演でした。ホッとした気分になりました。

 帰ると、栃木の中山先生からメールが入っていて、絵本わにわにシリーズのサイン本が何冊か欲しいと書いてありました。「わにわにのおふろ」「わにわにとあかわに」とか色々あって、子どもや保育士たちに人気なのですが、実は私の妹が文章を書いていて、先日の講演でそのことをちょっと喋ったら、「えーっ」という歓声があがり、すごく受けました。保育士たちの私を見る目が変わったように思います。持つべきものは妹です。さっそく妹に電話をして、お願いしました。

今年も残りわずかです。

 沖縄に行きました。ちょっと休憩のつもりだったのですが、石垣島の宮良先生の采配で、初めて本島で講演会をしました。懇意にしている沖縄の開教育委員長も来て下さいました。ありがとうございます。おかげさまで次の日に、仲井真知事にも会えました。沖縄でも、一日保育士体験広がるといいのですが。最近の無縁社会と呼ばれる状況を見ていると、子どもを眺めて絆が生まれる、社会の原点を早く少しでも取り戻さないと、このまま対処療法では後戻り出来ない社会に日本もなってしまいます。

 沖縄は、ほとんどの子どもが5歳の時に1年間公立幼稚園に行きます。アメリカのプリスクールシステムがいまだに残っている不思議な県です。保育園に行っている子どもも、4歳になると卒園して幼稚園に行くのですが、それが、法律ではなく、伝統として残っているのです。経済本位のシステムが人間を創る時代に、人間が自らの意思で伝統を作っています。

 ひめゆりの塔に行きました。たくさんの写真に囲まれ、様々なことを考えました。ふと、36年前、アウシュビッツに行った時のことを思い出しました。アウシュビッツは寒かった。まったく偶然だったのですが、その時、私をポーランドに誘って下さった丸木位里、俊先生の絵に沖縄で再会しました。佐喜眞美術館という美術館に偶然寄ったのですが、そこに沖縄戦の図がありました。館長に案内され、美術館の屋上から普天間基地を見ました。

 一昨日の「親心を育む会」の例会に、民主党の本田平直代議士が参加しました。普段から園長たちが子どもの幸せを願って考えていること、矛盾に感じていること、ほとんど憤っていること、と言ってもいいかもしれませんが、それを2時間伝えました。通じてくれると良いのですが…。業界としてではない、親子を毎日見続けているひとたちの声を新鮮に受け止めてくれることを願うばかりです。
 私学会館の時もそうだったのですが、政治家が政治家モードに入ってしまっていると、方程式みたいな答えしか返ってきません。宣伝カーと話しているみたいで、心で話している感じがしないのです。でも、育む会の園長、保育士たちは、人情味のある、とりわけ大地を感じるひとたちなので、結構通じたかもしれない、と私は思うのです。
 月曜日に、紹介されて参議員会館でお会いした奈良の中村哲治議員は、なぜかとても人間的でした。ちょっと魅かれました。またお会いしたいです。
 人間的と言えば、栃木の公立保育士たちの勉強会が今月2度あって、新システムについての説明とこれからどうしたらいいのか、という話しをしたのですが、山椒魚の中山先生に会いました。私の講演の前に必ず山椒魚を3匹食べさせる先生です。夜の席で、また、現場の面白い話、とんでもない話を聴きました。こういう人が、大学で教えているとずいぶん良いと思うのですが、気合いの入っていない大学生に教えるよりは、勘違いしている保育士を現場で指導する方が現実的で、いま大切です。現場で、これほど気合いを入れて保育の質を高めようとしている先生がいると、私も頑張る動機になります。ちなみに、中山先生は若い頃セドリックの車高を低くして日光の山々を飛び回っていた先生です。もちろん女性です。
 こういう人が山にはいるんだ、と幾人かの政治家たちに見せたい。そして、政治家ももっと大地をレベルで感性を磨いてほしいと思います。

ホッとしました

 昨日、私学会館で私立幼稚園の園長先生たちに講演しました。私の前に、内閣府の副大臣が子ども・子育て新システムについて話し、私のあとに本当は小宮山厚生労働副大臣が来るはずだったのですが、別のこのシステムのリーダーでもある林参議院議員になりました。そこで、急遽予定が変わったこともあって、私も含めたパネルディスカッションになりました。平和な論議にはなりませんでした。

 そのあと、六時半から東村山で保育士たちに講演することになっていたので、慌てて車に乗り込むと、都内が渋滞で間に合いそうもありません。電話をすると、待ってます、と言って下さいました。
 午後の講演で、ちょっと強く言い過ぎたかな、と思いながら、焦る気持ちを押さえ、なんであんなになってしまったんだろう、と反省しながら車を飛ばし、着いた時はもう七時半でした。でも先生たちは温かく私を迎えてくれました。保育園のホールで、仕事のあとに自主勉強会に出て来てくれた三つの園の先生たちの顔を見ていると、心からホッとしました。とても、人間的な世界に戻ってきたような、不思議な感じがしました。環境によって、ずいぶん変わってしまう自分を再認識し、それはきっと子どもたちも同じなんだろうな、と思いました。そして、ここにいる保育士たちの創り出す「空気」に、親として感謝しました。

幼保一体化は阻止出来るかもしれません

 いま政府が次の国会にかけようとしている子ども・子育て新システム、私も阻止するために努力していますが、幼稚園と保育園の一体化部分は止まりそうです。

 幼稚園も保育園も、どちらも長い伝統とそれぞれの勉強、研究の歴史があります。こんなに簡単に雇用・労働施策で一体化させられるなど、とんでもない話です。子どもたちの成長に大切な役割りを果たして来た保育界に対する敬意が感じられない。
 現場も親たちも誰も望んでいない。愚策と言おうか、こんな施策が簡単に通ると思っていること自体、政府は保育をあまりにも軽く見ている。これ以上無理に進めたら、現政権にとって致命傷になるかもしれません。日本では、まだ6割の子どもが幼稚園を卒園しています。私立幼稚園連合会では全国で一千万人の反対署名を集めようと準備をしています。

 しかし、幼稚園が一体化から外れそうだからと言って、ここで安心してはいけません。幼稚園と保育園がそれこそ「一体」になって新システムそのものに反対しないと、またいつか政治家の思いつきで保育の質が揺らぐかもしれません。

フィギアスケートと音楽

 中国で行われているスケートのグランプリ大会で、日本の男子選手が、映画「レジエンド・オブ・フォール」のテーマを使っていたそうです。私の尺八が聴こえた、と家内が報告してくれました。先週のNHK杯で使われた「マスク・オブ・ゾロ」に次いで2度目です。ちょっと不思議です。やはり、そろそろ演奏を始めようかな、と思いました。両方ともジェームス・ホーナー作曲、私は吹いているだけですが、懐かしいプロジェクトです。両方ともロンドンでのレコーディング。レジェンドは、ブラッド・ピット主演、アンソニー・ホプキンス共演で、一ヶ月ロンドンに滞在して録音しました。

http://sakthi.luci.jp/pg86.html
(ロンドン録音の写真)

 
 昨日は、何年ぶりかで一日三回講演しました。午前中本庄の保育園で父母に話し、午後熊谷で保育士たちに話し、夕方から上田知事が主催している上田政治塾で話しました。三つとも気持ちを込めて話すことが出来、感謝です。聴いてくれる人たちの共感と波動がなければ出来なかったと思います。

狭山の教務主任の先生たちに講演しました。

 今日はいつもの講演を始める前に、最近は、保育園が仮養護施設状態になっている、というお話しを付け加えました。3日前に、保育士から聴いたのです。親による幼児虐待がここ数年急増し、児童養護施設がいっぱいで、昼の間だけでも親の虐待から守るため、児童相談所経由で措置されてくる。「週末が心配です」と悲しげに保育士が言います。

 親は、子育ては保育園がやってくれるものだ、専門家に任せておけばいいんだ、と思い始めています。そして、やがて子育ては学校がやってくれるものだ、それが当然だ、という風に育ってゆきます。そうした意識が底辺で幼児虐待を加速的に増やしている。親が親らしく育たない。親という定義さえゆらいでいる。
 子ども・子育て新システム(幼保一体化)が進めようとしているように、もう25万人0、1、2才児をあずかれば、学校への負担は限界を超えるでしょう。新システムを止めるために、学校の先生たちも立ち上がってくれると良いのですが。たぶん、まだこの津波のような崩壊が数年後に自分たちを襲うことに気づいていないかもしれません。教師と保育士の連携が必要です。子どもを育てる絆が必要です。
 子ども社会を取り巻く不安感が生み出すいじめや不登校。

 児童養護施設が満員で、虐待された子どもたちを収容しきれない。

 児童相談所の職員たちが疲れきって職場を去っていく。

 すべて、親が親らしくなくなったことが原因です。

 親心を耕し直すことをせずに対処療法を続けても限界が来るのです。14年前アメリカの連邦議会で、母子家庭には援助をせず、孤児院を作って国が育てよう、という法案が審議されたことを思い出します。

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横須賀市長さん

 神奈川県の水戸まさし参議院議員の紹介で、横須賀市の吉田市長に会うことが出来ました。30分でしたが、色々と保育の大切さ、一日保育士体験のことなどを説明しました。

 幼児の父親でもある、まだ若い市長でしたから、これからずっと先の日本のことを考えるとかなり気合いが入りました。ちょっと入り過ぎだったかもしれません。
 水戸議員は、国政に出る前に県議を長くしていたので、市長に知り合いが多く、もう2、3人紹介してくれそうです。
 市役所に早く着いたので、海を見にゆくと、よちよち歩きを連れた母親に会いました。

幼保一体化・子育て新システムの報道

 来年の国会にかけられる幼保一体化(子ども・子育て新システム)に関する報道が少しずつ新聞テレビでされるようになってきました。

 今日の「報道ステーション」はひどかった。幼稚園や保育園は供給が追いついていない数少ない産業、この不景気の時代にこんな業界があっていいのか、さっさと市場開放・規制緩和をして待機児童を解消するべき。業界が既得権益にしがみついているから進まなかった。厚労省・文科省(保育園・幼稚園)の壁を壊して、子ども省にしてしまえば一気に出来る、と司会の古館さんが言い放った。

 全国で、番組を見ていた保育士たちは、一瞬凍りついたと思う。
 規制緩和、市場開放でやれるものならやってみろ、と思った人たちも多いはず。介護保険の二の舞になる、でもそうなった時に学校がもたないですよ、と私は言いたい。
 保育は荷物預かり所ではない。いままでの施策が、崩れ始めたとはいえ保育界をここまで守ってきたのであれば、それは業界の既得権ではなく、子どもたちの既得権であった、と私は考えたい。
 子どもたちが、かろうじて国の基準に守られ、多くの子どもたちがそこそこ安心して5歳までを過ごしてきたから、日本はまだ学校での治安もいいし、教師もなんとか踏み堪えている。保育園の子育て代行によって、親たちが育たなくなった時、家庭崩壊が連鎖的に学級崩壊まで進むことは簡単に想像で来る。日本でもすでにその兆候が充分見えるはず。
 親は2万円の保育料を払っているだけだが、東京都では子ども一人当たり月に50万円税金を使っている、こんなひどいシステムはさっさと壊してしまえ、と怒りを込めてテレビの司会が言った。
 0才児、しかも東京に限ればそれに似た数字は確かに出る。しかし、0才児を預かることによって入って来るお金で、3、4、5才児の足りない部分を補っているのが現状だ。最近の3、4、5才児は様々な原因でますます保育し難くなっている。そこで、しっかりとした保育が出来ない分、学校にしわ寄せが来ているのは明らかなのだが。繰り返しますが、保育は託児ではなく、子育てです。ここが揺らぐと国が揺らぐ。
 そして、忘れてはならないのは、この仕組みが、親が親らしいという前提の元に作られた仕組みだということ。
 
 ここまで頑張って来たのに、と悔しい思いでいる園長の顔が見える。こんな無責任で乱暴な解説を聞いた親たちは、ますます、利権を権利と勘違いし、保育園に感謝しなくなる。それではいい保育士は育たないし、子どもたちを囲む絆も育たない。保育士が元気をなくしたら日々のいい保育もおぼつかい。単純な親は、「そんなに税金をもらっているのだから、ちゃんとうちの子を育て、しつけてくれ」という目で保育士を見るかもしれない。保育は子どもを育てることが主目的であって、親へのサービスになってはいけない。これを商売と考えると、本末転倒になってしまう。
 自分たちのことをこんな風に単純に批判され、明日、どうやって子どもたちに向かえばいいのか。
 気をとりなおして頑張って下さい、と言うしかない。
 私が「親心を育む会」のメンバーの園長先生たちと取り組んで来た「一日保育士体験」も、保育士の保育士心、親心信じ、お願いをしてなんとか少しずつ広がりを見せてきた。もうそこしか、日本を立て直す手立てはない。テレビの司会者にこんな言い方をされれば、「じゃあ、ただ預かっていればいいのね!どうなってもしらないよ」とつっぱねたくもなる。保育園・幼稚園で親心を育てて下さい、なんていうお願いは、申し訳なく言えない。
 保育を業界と見るマスコミの無知、無感覚。保育士の心をこれほど傷つけることが、明日の保育にどれだけ影響を及ぼし、将来この国の大きな負担となって行く姿が見えていない。
 ある保育園の園長が、乳幼児を預けにきた親に必ず言う言葉、「いま預けると、年取って預けられちゃうよ」。
 園長は、この国を底辺から見ている。だから、自立とか、自己実現などという言葉が、人間が生きる時に意外に役に立たないのを知っている。人間は頼りあい、信じ合って生きるもの。貧しくても、絆があれば幸せに暮らせる。しかし、信頼という絆が切れると、良い老人ホームに入れるだけの資金があったとしても、そんなに幸せではないよ、と言いたいのだと思う。
 現在介護保険が抱えている様々な問題の根底に、子育ての社会化が存在する。このような時期に、保育に介護保険の仕組みを当てはめるような新システムが国会にかかろうとしている。人間性を失った経済論が、システムが人間性を支配する、という状況を生み出している。
 介護保険が設計されたころ、女性の9割が「可能であれば、乳幼児期は自分の手で子どもを育てたい」と言っていた。それが、10年後に7割になっている。システムが人間性を支配し始めた大きな変化が起きていた。
 福祉や行政は、子育てを本当に引き受けてしまって大丈夫なのか。システムに子育てが出来ると本気で思っているのか。ある報道では、いま預からないと虐待を防げない、と言っているた。ある保育団体の幹部が同じような発言をしていた。虐待する親からいくら子どもを預かっても、子どもが家に帰ってそこに居るのは虐待する親に変わりはない。親が良い人間性を発揮出来る方向に導く手立てはいくらでもある。それを子どもが小さい時分にやるのが、人間社会の法則だった。人間は本来、幸せになりたいと思って生きている。きっかけとちょっとした助言があれば、親は必ずいい親になる。宇宙は我々人間に自信を持って0才児を託している。すべての人間が幼児によってひき出される「いい人間性」を持っている、と宇宙は信じた。私たちがそれを信じないでどうする。
 欧米を見るかぎり、子育ての社会化は、社会から親身さを消し、福祉や教育はやがて膨大な予算を必要とするようになる。このまま日本が欧米がたどった道を、経済論の名のもとに進み続けると、虐待とDVはたぶん5年後に爆発的に増え始める。
 10年後、この改革がいかに日本を弱くし、社会における人間関係を荒廃させたか、分析が終わった時、これを進めた政治家や学者たちは、責任をとる地位にはいない。マスコミは今度はそれをやった人たちを批判して視聴率を稼ぐのだろうが、もう彼らはそこに居ない。司会者はそんな発言をしたことさえ覚えていないかもしれない。
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マスクオブ・ゾロ

 フィギアスケートのNHK杯をテレビで見ていたら、3位になった村上佳菜子選手が映画マスクオブ・ゾロの音楽を使って滑っていました。アントニオ・バンデラス主演のハリウッド映画でサウンドトラックはジェームス・ホーナー作曲。というわけで私の尺八の音が聴こえました。

 ロンドンで、LSOとレコーディングしたのですが、Airスタジオに見学に来た助演のアンソニー・ホプキンスは、一瞬怖かったけど、お願いして譜面にサインをもらいました。
 懐かしい、思い出です。
 シャクティをアメリカに呼びたいという電話が、さっきサウスキャロライナから入りました。ユーチューブにアップしてあるNHK国際放送の私のインタビューも見たと言っていました。それなら、シスターの活動を理解しているはず。さっそくシスターに電話をしました。シスターのミッションが世界に広がる手伝いが出来るかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=BZtVLh8-7cg&sns=em
浦和のはとり幼稚園で。エスターと子どもたち。
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