三日間/違った場所で一つの話を(所沢、永田町、岩国)

いのちのちから

 

 ベイビーズ(いのちのちから)という映画を見ました。NHK国際部の佐藤百合さんに薦められたのです。この人に薦められたら、さっさと実行に移したほうがいいという人が幾人かいます。百合さんはそんな人です。ご主人の佐藤さんも、松居さんに教えといたほうがいいんじゃない、と言っていたというのです。見ないうちから、伝言ゲームのように共励保育園の長田先生に伝えてしまいました。

 アフリカ、日本、モンゴルとアメリカ、四つの違った文化圏の0歳児の人生最初の一年を追った単純なドキュメンタリー映画です。解説もほとんどない、それだけの映画なのです。

 まず単純に、「人間は、0歳児と母親の生きる姿を一時間半じっとみていることが出来る」ということにホッとしました。これが人類の生きるちからになってきたのだと思います。ポスターを読んで、この映画がアメリカでヒットした、というのを知って人類規模でホッとしました。映画の中で何か事件が起こるわけではないのです。確かに文化の違いはありますが、結局子育ては子育て、何千年もそんなに変わっていない、そんな印象を持つのです。そして、人間は幼児を眺めていれば大丈夫。人間はそれだけで満足するのです。母子の姿に「絆」の根源を映して、安心するのかもしれません。生きるということは、輝くこと、そして光りが一体になること、深く考えると、そんな感じでしょうか。人間の意思と宇宙の意思が重なって進んで行きます。

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 次の日、永田町の衆議院議員会館で15人くらいの議員さんに短い時間ではありましたが話す機会をいただきました。花園第二保育園の高木園長、行田保育園の園部園長と三人組で多目的ホールの一番前に並んで話しました。ふと、トミー・ウンゲラーの絵本「すてきな三人ぐみ」を思い出しました。そう言えばあの三人組もちょっと変だし、子どもたちのためにがんばったな、と気づきます。
 滅多にない機会です。安倍さん、中曽根さん、下村さん、小坂さん、そして衛藤晟一さんがおられます、集中し気力を込めて話しました。厚労省の虐待防止対策室長、文科省の男女共同参画学習課の人もいました。一般の傍聴席には江戸川双葉幼稚園の菅原久子先生のお顔も見えました。
 保育園も学校も福祉も、親が親らしいという前提のもとにつくられている、親心は主に幼児が育てる、幼児の役割の大切さ、この人たちとしっかりつきあって、人間はお互いに育てあい、認めあい、受け入れあう能力を磨く、それが人間社会の土台を作っていると話しました。(盆栽やペット、人形なども同じ天命を負っているのですが、幼児が育つ速度と人間の遺伝子がオンになってくる速度の相性がいいのです。)
 高木先生と園部先生が現場から感じる不安と親の変化の現実を率直に訴えました。
 大きな流れがゆっくりと変わるといい、祈るばかりです。
 現場の様々な状況を知らずに政治家や行政が流れを急に変えようとすると、幼児が犠牲になりますから特に気をつけて下さい、と会のあと衛藤先生にお願いしました。よろしくお願いします、と心の中で唱えます。
 そのあと霞ヶ関ランプから高速に乗り春日部市に行き学校の栄養士さんたちの勉強会で同じことを話しました。インドのカレーの話をするのはどうだろう、と一瞬思ったのですが、普通に話しました。大笑い。今年は家庭科の先生、助産師さんたちにも話す機会があります。マサイ族が導く、いつものはなしをするつもりです。
 翌日、山口県の岩国市に行き、曙保育園で20人ほどのお母さんたちに話しました。黄檗宗のお寺です。心がひとつになりすぎて、小野省子さんの詩を朗読するところで泣きました。女性の刑務所に勤めているお母さんが二人聴いていて、講演のあと来て話をしながら一番泣いていました。
 不思議な三日間、違った場所で一つの話をして、この二人の涙をどうしたらみなで分かちあえるのか、ふと次元の複雑さに考え込んでしまいます。
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 岩国で、ホテルの前に、澄んだ水の川が流れていて錦帯橋という有名な橋が架かっていました。もう温かく静かな山の景色と絶ない川の音。白鷺が飛んで、山の上に小さな城が見えました。講演が始まるまでの一人の時間は川を眺めながらむしょうに淋しかったのですが、講演すると元気になりました。
 子どもたちが発する光りが一押し一押し私たちの時間を進めます。その光りを母親たちの涙が守ります。ありがとうございます。