トルコに居る教え子から#2

トルコ語に「インアシャラー(アッラーが望むなら)」という言葉があります。イスラム圏全体で通じる言葉でしょうか?停電がしょっちゅうあるので、私が近所の人たちに色々聞きに行き、「あと少しで回復するかな?」と聞くと、「インアシャラー」と言われたりします。この言葉がよく使われるように、トルコでは、自分(人間)がどうにもできないことがあるという前提で物事を考え、そういうことが起こったら、じたばたせずに神様が導いてくれるのを穏やかに待っているようなところがあります。その分すっごい楽天的で、ひやひやすることも多いのですが。


朝ふと思ったことがあったので。この国の人々には、先生の言う、「幸せの物差しを持っている」という言葉がびったりだと思います。逆に、そのような物差しを持たない(捨てた)人をかわいそうに思っているようなところさえあると思います。最近のトルコ人の大半は、ユーロに加盟するのを反対しているところなどにもそれが現れているのかなと思いました。


やはりポイントは、自分、というより人間には、自分自身で解決できないことがあるということを前提にしているというところでしょうか。何もできないということと、幸せであるということは、裏表なのでしょう。先生の、0歳児が完璧な人間である、ということと近いと思います。