宇宙の動き



 子どもを産み、育てるということは、人間が宇宙から与えられた最も尊い仕事であったはず。それは宇宙との対話であり、自分自身を体験することであり、生きている自分を実感し、人生の意味を理解する道でもあった。人間は、自らの価値を知ることで納得する。

 もっと尊い仕事は、子どもが親たちを育てること。それは宇宙の動きであり、自分自身を体現すること。一人では生きられないことを宣言し、利他の道を示すこと。知ることは求めること、と気づいたひとたちを癒すために。


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映画「ツリーオブライフ」

 久しぶりに映画館へ行きました。友人に、感想を聴かせてくれないか、と言われていた、ブラッド・ピットがプロデュース主演している「ツリーオブライフ」という映画を観ました。なかなか、素晴らしかったです。

 音と音楽で、現実と非現実・現在と過去を描写した映像をつないでゆく演出も良かったのですが、全編に流れる、「安心しなさい」という単純なメッセージが好きでした。これが人間にとってのリアリズムだろう、と思うとホッとします。0才児と話すことで、やがて盆栽とも話せるようになる、と説明してきた私には、とても緻密なきめの細かい映画でした。
 人間は無力感の中で、お互いの人間性に気づく。弱者と強者は陰陽の法則で互いを必要とし、流動的でありながら一つの生命体をつくっているはず。無常観が大きな流れに私たちの感性を導くのでしょう。命の木を眺めるために自分自身を体験する、人生とはそういう感性が現れては消えるプラスマイナスゼロの現象かもしれません。
 字幕の翻訳にいくつか、ちょっと「違うかなー」と思える箇所があって、重要な部分だったので戸惑いました。字幕の誤訳や意訳の方向性に関する疑問は、英語圏の映画を日本で見ていると、頻繁にあります。文学では許されない間違い、監督が知ったら訴えられそうな意訳が時々あります。
 少ない言葉が、空間をつなぐ映画だっただけに、直訳をしてくれた方が良かったかな、と思いました。英語を話す人でも、どちらに解釈するか分かれるセンテンスがありました。「I」を「僕」と訳すか「わたし」と訳すかで性別が決定してしまったり、地球を「Her」と呼ぶ可能性が見えなかったり、聖書からの引用であっても、通常はそうとはわからない言葉を、日本語で聖書からの引用とわかってしまう言葉遣いに訳してしまうことがいいのかどうか。「自然」や「世界」を「世俗」と意訳してもいいのか。宇宙や自然が、人間の営みと頻繁にオーバーラップする作品だけに、理解しようとするよりも、感性で自分と重ね合わせ、自分自身を体験するような感覚で観たほうが楽しめる気がします。
 (日本語という非常に特殊な言語に翻訳する時、特に翻訳者のセンスが問われます。フェリクス・ザルテンの書いた児童文学「バンビ」に、白水社版と岩波版があって、白水社版では、バンビの母親が下町のかあちゃん言葉で話すのですが、岩波版では、山の手のお母さん言葉が使われていて、印象がずいぶん違います。私は、白水社版が好きです。たぶん、最初に読んだのが、石井桃子さんの桂文庫で借りた白水社版だったからだと思います。)
 ブラッド・ピット主演の映画に「レジェンドオブフォール」というのがあるのですが、私が吹いた尺八の音が、けっこう大切な役割りを担っています。音楽は、もう一つの、、理屈では説明できない次元を映像に加えます。心象だったり、心象とは別の次元の背景だったりするわけですが、音は実際には存在しない過去や未来を、存在する現在とつなげて現実にする役割りを持っています。龍村仁監督の「ガイアシンフォニー」は、次元のレイヤーを音楽で重ねる典型で、ずいぶん学びました。
 自主制作で作ってみたシャクティの映像では、ドキュメンタリーでありながらナレーションを使わず、音楽、音、映像の組み合わせを表現手段として使いました。予算がなかったこともありますが、表現や伝達手段が要素として一つ二つ欠けた時に、よりいっそう伝わるものがある。そして、その組み合わせの偶然性の中に、大自然の必然を感じることがあります。
 そして、再び私の思考は、乳児との会話に行きつきます。
 (昔、習ったバリの影絵ワヤンクリに、出てきた命の木の画像がないかと思いネットで探してみたら、ありました。http://digoin.exblog.jp/8767615/)

シスターin America から速報です

アメリカ公演中のシスターから連絡がありました。

アメリカで出来た教会の友人たちが、シャクティのホームページを作ってくれました。
立派です。英語ですが、とても詳しい情報が手に入ります。
インド系の人たちだけでなく、ミッション系の友人が出来て、シスターの活動に声援を送り始めています。人種差別や貧富の格差、様々な問題を抱えている国だからこそ、シャクティの踊りとシスターのメッセージに不思議な光明が見えるのだと思います。
「輪になって踊りましょう」シスターが繰り返し言う人間社会の原点が記憶の底から蘇ってくるのだと思います。

http://charityforindia.org/

昨日の新聞に取り上げられ、新聞社のホームページから映像も見ることが出来ます。

http://www.postandcourier.com/


電話の向こうでシスターが笑っています。


トルコから教わること(すべての文化・文明がいずれ選択肢になる)

(私)

新幹線は超自然な速さです。大阪まで二時間半だって。そちらの時間の進み具合はどうですか?

(トルコに住んでいる友人)

こちらでは、列車は発達しないですね。どんな遠くへもバスで行きます。丸一日かけてバスを乗り継いで帰郷します。一説では、マフィアがバスに関する権利を持っていて、電車の普及を邪魔しているから発達しないらしいのですが、それ以前にトルコ人が、電車を必要としていないということなのでしょう。

バスではまず、コロンヤ(知ってますか?すっきりする香水みたいなもの)が配られ(バスの係の人が1人ひとりの手にかけに来ます)、1時間毎くらいにトイレ休憩、ごはんの時間にはごはん休憩があります。途中チャイやお菓子も振る舞われます。バスに乗っている人は貧しい人もいるので、バスの中での持ち込み飲食は禁止(トルコではこういう考え方があります。目の前に食べられない人が居るのに、自分だけ食べるのはとても悪いこと)男女が隣同士に座らないように、バスの停留所で人が新たに乗り込んで来ると、しょちゅう席替えをします。ただ、ひたすらバスに揺られて、故郷や、リゾート地や、仕事を求めて新しい場所へ。

チグリス・ユーフラテス川を通ったことがありますが、周りはただ茶色の大地で、時々数件の民家、商店が見られるようなところに、細い川がひっそりとありました。バスは川を気に留めることもなく、ただ走っていきました。

松居先生のメールで、アナトリアを旅したことを思い出しました。


(私)

返信ありがとう。

いつも面白い報告ありがとう。インド以上にトルコは人間の作った非民主的なルールが、意外と理にかなっていて、民主的な考え方の方が、実はただのパワーゲーム、利権争いだということを浮き彫りにするような気がします。

やはり回教の方がヒンズーより新しい論理性があるよね。

いま帰りの新幹線の中です。今日は日帰りで西宮まで行きました。

私の話を聴きたいと思ってくれる保育士や親が増えてきて嬉しいです。一つ一つ演奏会のつもりで話してきます。

(トルコに住んでいる友人)

 そろそろ、近年で最悪の(?)難関、真夏のラマザン(断食)に入ります。ラマザンは毎年一ヶ月ずつ日程がずれるので、いつかは真夏に当たってしまうのです。真夏は、気候条件だけでなく、時間の長さも最長。断食は、夜明けのお祈り(真夏は朝5時前!)から日が落ちるお祈り(夜8時頃。。。)の間行い、唾も飲み込めません。そして皆、長い一日の断食に備えて朝3時に起きて(太鼓をたたいて街中を歩き、皆をこの時間に起こす係がいる。迷惑。。。笑)食事をするため、寝不足。それでも、「この状況でイライラしたり仕事が手につかない人は、断食をする資格が無い」と考えられるため、いい人間性を保たなければなりません。去年の断食月もかなり暑く大変そうでしたが、皆変わらず親切でした。

断食の目的は、「食べることが出来ない人の状況を理解するため」ということで、それはトルコの基本的な考え方の一つです。でも、それ以上に、断食という苦しさを共有してものすごい一体感を得ているのだと思います。そして断食明けに訪れる砂糖祭では貧しい人に施しを行いまくりますが、断食を行うことにより、この施しが大変気前良く行われるのです。自分がつらさから解放され、増々神に感謝できるというか。本当に、この断食が、社会をいい方向に運営するシステムの基軸を担っていると思います。

このシステムは、本来人間は不平等な立場にあるということを認めないと成立しません。富める者と貧しい者は平等ではないというのは、民主主義国家では大失言にあたるような文言ですね。でも、人間平等じゃないし、自由なんかないって、トルコの人たちは知っています。知っているから、神のもとに集まり、富める者が貧しい者を助けるというシンプルな構造で生きているんです。

(私)

よくわかる。凄いよね。人間の生きてゆく知恵は、心を一つにするための道を探ることだったんですね。

トルコのように、日本もまた人類の大切な選択肢にならなければいけないね。

心を一つにする手法が、敵を作ることにならないように、いまこそ良い方向への試行錯誤錯誤が必要だね。シャクティとシスター、いまアメリカにいます。魂を揺さぶる演奏しているみたいです。


「目の前に食べられない人が居るのに、自分だけ食べるのはとても悪いこと。」だからバスに食べ物を持ち込めない。

 発想の原点が他人の気持ちを想像する、ことにあるのです。そして、想像する方向性が守られている。祈る方角が決まっているように。一応民主主義のトルコという国で、人々の意思によって守られている。こういう人たちの意思の力を見誤ると大変なことになる。先進国社会が抱えている問題点を理解し、学ぶべき相手を間違わないことです。

シャクティの映像と解説/考えたこと

http://kazumatsui.com/sakthi.html

(シャクティの映像と少し詳しい解説をホームページに載せました。
映像は、リンクさせてYouTubeで見られるようにしました。)
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シスター・チャンドラと出会い、シャクティの踊り手たちを追いかけ始めなければ、私は一生に一度もドキュメンタリー映画を撮ることはなかった。そう言ったらシスターは「God’s Will」(神の御遺志です)と笑って答えた。

 インドという国の圧倒的な存在感と風景、そして静けさは、私に様々なことを教えてくれた。いまでも、教え続けている。日本で、保育や教育の問題、子育ての意味について考え書き、0歳児の役割について講演している時に、私は時々原点に還るようにシャクティの風景を思いだす。人間が長年共有してきた次元や意識がその中にある。

 そして、繰り返し考える。「人間はなぜ踊るのか」。


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草原で語るシスター「幸せとは」

草原で。「幸せとは?」  http://www.youtube.com/watch?v=uoQXhyz0rOg 
このアドレスで「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」のシスターのインタビュー映像にリンクします。


 「祭り」は、人間の進化や伝統の中で大切な役割を果たしてきました。絆に頼り、絆を信じて生きるしかない人間たちに必要な大切な行事です。生きている意味を確認し、体現することなのでしょう。福祉とか教育では中々代行できない、人間の遺伝子をオンにするために必要な発明です。

 祝うことが、祈ることであってほしい。祈ることが、祝うことであってほしい。そんなメッセージが伝わってきます。

 今のかたちの宗教が現れる前にあった人間のつながり方、原始的な祈り方を「アート」という言葉でシスターは表現したのだと思います。この次元のつながりを取り戻すことが、人類に必要ですね、と言っているようです。

 日本の小学校で、毎朝子どもたちが「輪になって踊る」ことで、この人類としてのつながりを実感出来るような気がします。オリンピックの開会式などを見ていても感じますが、こういう次元のコミュニケーションの入口に「0歳児が静かに眠っている」のだと思います。

 このインタビューの中でシスターが、「幸せとは?」という私の質問に、「集まること」と答えます。このタイミングが私は好きです。ドキュメンタリーという形でなければ残せない、宇宙にたった一度しかないタイミングのような気がします。時々、こういう瞬間のために生きているような気がします。


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ジョーンズ夫人のこと

 テレビで、ズービン・メータがN響相手にベートーベンの第九を振っているのを見ていて、ふと、ジョーンズ夫人のことを思い出した。

 ジョーンズ夫人は、有名な建築家クインシー・ジョーンズの夫人だった。クインシーは南カリフォルニア大学の建築学部の学部長までつとめた建築家。アジア、特に日本の建築や文化を愛し、「格子」が好きだった。彼の作品のひとつUCLAのリサーチライブラリーは「格子」がテーマになっていると思う。アジアを旅して彼が描いたスケッチには、人間たちがお互いの人生を引き継ぎながら長い年月を重ねて磨いてきたセンスに対する憧れと尊敬があった。
 私が、建築家の友人を通してジョーンズ夫人と知り合ったころ、クインシーはすでに他界していた。(A.Quincy Jonesで検索すると彼の作品がたくさんでてきます。)

 ジョーンズ夫人は、家具デザイナーのチャールズ・イムズ夫人と中がよかった。ちょっと不思議な凸凹コンビだった。なぜか私は色んなイベントに呼ばれたが、いつも二人は一緒だったような気がする。ジョーンズ夫人はもとジャーナリストで、おしゃれなインテリな感じがしたが、イムズ夫人はいつも自然に飛んでいた。ジョーンズ夫人が目を輝かせ、、ちょっと大人びた中学生で、イムズ夫人が何にでも驚く小学生、という感じだった。
 最近、震災の状況を心配してロサンゼルスから電話をかけてきた大事な友人から、ジョーンズ夫人が亡くなった時のことを聴いた。100歳近くになっていたはずだ。
 サウスセントラルの病院で亡くなったという。サウスセントラルと言えば、ロサンゼルスでも治安の悪い地域だった。なぜ、最後があそこだったのかわからない、と彼女は言った。もっと、良い病院に入っていてもいいはずだと思ったそうだ。
 訪ねた時は、一人で、ほとんど意識はなく、ただ看護婦が最近インド人が一人訪ねてきた、と教えてくれたそうだ。
 「ラタンだと思う」と友人は言った。
 「そうだね」と私も電話口でうなずいた。
 ラタン・タタは、ひょっとするといま世界中で一番のお金持ちなのかもしれない。インドのタタ財閥のトップだった。物静かな、誠実な人で、顔立ちがちょっとズービン・メータに似ている。(Ratan Tataで検索すると出て来る。)
 ラタンは、仕事でロサンゼルスに来ると、必ずジョーンズ夫人の家に泊まった。大きな白い納屋を改造した家で、自分が設計した家ではなく、納屋を改造して住んでいたところがクインシーらしかった。ラタンはクインシーのファンだった。クインシーが他界した後も、デッサンがたくさん飾られている納屋によく泊まった。
 32年前、ジョーンズ夫人とラタンは、友人と私が住んでいた家に夕食にきたことがあった。大学を卒業したばかりで、イーグルロックという治安の良くない地域にみすぼらしい家を借りて住んでいたのだが、二人はやってきた。夕日の入る家だった。そこで、友人がカレーを料理した。ラタンは、そのインド式のカレーを少しはにかみながら食べたように思う。
 あの夕暮れの時間は確かにあそこにあった、と近頃考える。
 人の交流は不思議な点で結ばれる。ラタン・タタがサウスセントラルの病院にジョーンズ夫人を訪ねたことは、誰も知らないのかもしれない。
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仙台からのメールです。

「そんな中でも春はきました。

大変なことばかりを数え上げるときりがないですが、今の私にできることは子ども達を元気にすることだと思って毎日を過ごしてます。

保育士としては当たり前のことですが、それが大人を元気にし、長い目で見れば復興につながるのでは‥と勝手に解釈してるところです。」

たぶん、こういう時だから子どもを眺めて大人たちが癒されるのだと思います。

子どもたちの明るい声や、笑顔に励まされ、この子たちのために、と立ち上がる、考える、絆を作る、それが直接的な日々の幸せになってゆくのだと思います。

遊んでいる子どもたちを眺めること、それが何千年もやっていた癒しでありリハビリテーションなのだと思います。

自分も昔は完成していた

 砂場で幼児が集団で遊んでいる姿をながめ、人間は、自分がいつでも幸せになれることに気づきます。幸せは、勝ち取るものでもつかみ取るものでもない。「ものさしの持ち方なのだ」というメッセージを、遊んでいる幼児が私たちに教えます。砂場の砂で幸せになっている子どもたちを眺め、「私も昔、あそこに居た」「自分も昔は完成していた」と、みなが気づいた時、目標に気づいたもの同士の一体感が生まれます。

 ある人は、最近、人間たちの遺伝子がオンにならなくなった、と言います。ある人は、常識が変わった、社会が変わった、価値観が変わったと言います。私は、幼児たちが、本来の役割を果たせなくなってきている、と言います。幼児たちが人間たちを人間らしく育てられなくなってきている、祖父母を祖父母らしくする天命を果たせなくなってきている、と言います。社会の大切な一員である0、1、2歳は、人間の中でも非常に特殊で不思議な存在です。0才児、1才児、2才児は、それぞれとても違う。こういう人たちには必ず強い役割がある、この変化の速度、時間のかけ方には大切な意味があるはずです。

 私は、二十歳の時にインドへ行き、それから何度かそこで過ごしました。インドの村で、何千年の過去を感じる。ゆったりとした時間を過ごしていると、一日の生活のどこかで必ず乳幼児を見かけるのです。母親に抱かれている風景です。乳幼児が視界に入ってこない日は、まず考えられません。

 絶対にひとりでは生きられない人たちを仲間と意識し、時が流れてゆく。これが人間社会をつなぐ何千年も続いてきた「意識」ではなかったか、と考えました。そして、現在の先進国の状況を見ていると、だからこそ、いま多くの人たちが、親や祖父母ばかりではなく、小学生から大学生まで、教師たちも経営者も、幼児を眺める時間を増やさなければならないのではないか、と思うのです。

 人間社会が人間性を取り戻すために。


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仙台の教え子無事でした。

インターネットは本当にありがたい。

保育士をやっている教え子から無事のメールが届きました。

「このアドレスで届くでしょうか?電波も不定期なのでちゃんと着くといいんですが‥

勤務先の子も、私も怪我一つなく元気です!

同じ市内の中でのあの惨状。行方不明の保護者・知り合い。あまりのことに茫然とするばかり。

余震が続いたり、ライフラインがなかなか復活しなかったりと色々ありますが、まずは目の前にいる子ども達となんとかやっていこうと思います。

倒れない程度にがんばります!」

日本中で保育士たちが被災地の保育士たちを応援しているはずです。

ウズヤマさんもがんばって下さい。