助産師さんからの講演依頼/マサイ族の連鎖

  講演依頼とともに嬉しいメールをいただきました。励みになります。いまの仕組みの中で、こういう命の体験に育まれた感性を持っている人たちこそが真の子育てアドバイザーになれる人たちだと思います。一緒に体験する。そして「寄り添うこと」が絆の原点だと思います。

 (去年ブログに書いた「栄養士さんからの講演依頼」、来週実現します。)

助産師さんからのメール

 私たちはおもに妊産婦さんの健診や出産に携わり、幼児〜思春期の性教育にも取り組み、生まれたての赤ちゃんとお母さん宅への訪問、子育て&不妊不育電話相談などなど小さな赤ちゃん・子どもたちのいる周辺で仕事をしております。(市内では助産師が1年間に4000件以上の母子訪問に携わっています)

  私たちの願いは、出産や子育てが人生の喜びになりお母さんたちが笑顔で生活できること。未来につながる子どもたちが豊かな感性を感じながら成長していくことです。そのためにお母さんや子どもの心に寄り添いたいと日々活動しております。

 最近仲間で話題になるのがメンタル面で非常に敏感なお母さんたちが増えていること。生まれたての小さな命を前に不安をひとりで孤独に抱えている方や、2子以降の出産後に、上の子供たちへの子育てに息苦しさを感じているお母さんたちが増えていることです。イライラしながら悶々と過ごすお母さんたちの声に耳を傾けアドバイスもしますが、日々の生活で、人と人がつながり・思いやり・関わりあうことでしか解決できないのでは?という問題に直面しております。

  先生の講演「子育ての真実」のDVDを拝見しました。笑いながら泣きました。見終えてこころがほっとしました。遠くに飛んでいた魂が戻ってきたような・・・。

 私自身、17歳を筆頭に3人の男の子のお母さん。思い当たることが多々あったからです。授乳期間は自由にならず、おっぱい・うんち・おしっこ・だっこ・またおっぱいの繰り返しで寝不足で24時間休みなし。うちの子とってもかわいいけど、正直しんどいなと思うこともありました。自分の生きている時間をこの子に捧げようと気持ちを切り替えたら、何かが変わりました。子どもの笑顔が神々しく思えました。些細ないろんなことがありがたく感じました。まさに損得勘定抜きの祈りの日々だったのですね。あの頃のなんともいえない幸福感は今でも私の中にしっかり残っています。たぶん子供たちの中にも。

 そして。「あ、これだ!」「沢山の助産師に聞いてほしい!」とすぐひらめきました。ながながとすみません・・・。講演のお願いをする動機でした。

 どうぞよろしくお願いします。

 

追伸

マサイ族の件は早速ためしてみました。大草原で夕日をながめるところを想像したら、訪問先のはじめまして♪の赤ちゃんは5秒ぐらいで泣き止みました。イライラした時に自分にも試してみたら、まあいいか!と気持ちが楽になりました。助産師の世界で流行らせようと思っています(笑)。先生の書かれたご本にも大変興味がわきましたので、さきほど注文しました。また泣かせていただきます。


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トルコ帰りの教え子さとちゃんが、最近、言いました。
日本に帰ってきて、親切を受けるのは殆ど女性からです。

男性が父親になっていないのだと思います

トルコでは10歳にもなれば、男は皆父親でした
すごいなあ、このコメント。直感的に理解出来ます。
それはもう「信頼関係ってなんですか?」ってだれかに質問された時に、私が「私がインドで質問した時に答えたセルバの顔」って答えてしまようなものなんですが、そんなこと言ったって普通はまったく答えにならない。でも共通の次元というか、コミュニケーションの共通項を持っていたり、体験したりしていると言葉自体よりもそのまわりが振動して理解出来る。
しかも「セルバの顔」に関しては、幸いなことに私はそれを映像で見せることが出来る。 http://youtu.be/h3OpPP_JY_g
不思議な人生と出会いのおかげ…。
つまり、コミュニケーションは本来論理性を越えるものなんですね。セルバという人間のこの一瞬を映像で見ることが出来れば、たとえば「信頼関係とは人間の美しさ」などという言葉も少し震え始める。人間は互いに表現しあうというか、相対性の中で生きているので、助産師さんたちとマサイ族の風景でつながることさえ可能になる。しかも、それは常時可能なのだ。(マサイ族の風景は、私が時々講演で言う、生後三ヶ月までの赤ん坊が泣き止むために存在する風景です。)
 もちろん多くの場合、信頼関係の斜め後ろぐらいには、必ず裏切りのようなものが居るし、見える。それがわかるだけに、なお一層人間は「美しさ」という物差しに還ってゆこうとするのかもしれない。もう少し言えば、ともに抱く不信感やともに抱く不安感もまた信頼関係を支える。夫婦でやる子育てなどは、男女がともに「オロオロする」体験から人間社会の土台が作られる、ということ。
 セルバの場合は大丈夫だった。セルバを美しくしていた親子の信頼関係は、ちゃんと引き継がれていた。私はそれをちゃんと確かめにいったし、またいつか確かめに行くだろう。人間社会の美しさの可能性を確認するために。切符を買い、シスターに電話すればいつでも行ける。こうした可能性をいくつか持つことはいい事だと思う。それこそが人生だと思う。