児童発達支援と放課後等デイサービスを始めた人からの相談

2015年2月19日

 身体的障害、知的障害、発達障害と、ひとり一人違う障害児(またはすべての乳幼児)とつきあうことは、仏教的に言えば、生きている仏性をすべての中に見るための一番身近な道。その子たちの役割り、必然性に深く気づかなければ社会の成り立ちは理解できない。だからこそ「訓練」という言葉とはほど遠い「営み」が試されるのです。

 

児童発達支援と放課後等デイサービス を始めた人からの相談がありました。)

Q

 雇った音楽療法士(経験なし24) 、子どもに対して言葉かけが最悪です。虐待に匹敵でした。日頃から見え隠れしていたのですが、まさかあそこまでとは思っていなくて……。急に手が足りなくなって、半日子どもを見ていてもらったのですが、30分の音楽療法ではハッキリしなかったことが、すべてわかりました。人間性の問題です。すぐに解雇したほうがいいですね。

A

 保育士や教師でも同じことなのですが資格と人間性は無関係、それが明らかになる時代です。音楽療法士は国家資格でもない。定義さえ曖昧なほぼだれでも取れる非常にゆるい資格です。通常人間性のチェックは行われないし、すでに市場原理の中に組込まれています。発達障害児や乳幼児は世話をする人の「人間性」に反応するのが役割ですから、現在政府が進めようとしている子育ての「仕組み」とは相容れない動機を持っている。

 

 「仕組み」が資格を要求するのですが、その「資格」が人間を錯覚させる。

 でも幼児の要求は誤摩化しが効かないし、彼らが生まれてくる限り人類はその要求から逃げようがないから、仕組みを成り立たせようとすると、意識的に感性を失うという、後戻りしにくい負のスパイラルが始まってしまうのです。

 いまの保育者養成校や、安易に資格を出して商売している団体の意図を知れば、資格者に人間性を要求するのはもう無理な時代だと思います。当たればラッキー、くらいに考える方がいいでしょう。今の「保育(子育て)は成長産業」と位置づけた閣議決定がこの国を土台から崩してゆくのを止めるには、親たちに、子どもとの関係が双方向に相対的なものだということを知ってもらうしかない。つまり、子どもを育てることが最終目的ではなく、親子が双方向におたがいを体験しあうことが目的だということをまず知識、意識として知ってもらうしかないと思うのです。

 子育ては体験だということを政府や行政、学者やマスコミの多くの人たち忘れていることが、今の仕組みを作り出しているわけです。皮肉なことですが、「子育てに関わる仕組み」が、存続をかけて、そのことを親たちに思い出させることが最優先だと思います。

Q:

 でも、このまえ母親に、子どもに規則正しい生活をさせて下さい、と言ったら激怒されて、役場に通報されてしまったんです。そんなことを言われる筋合いはない、と。

A:

 法律でもある保育所保育指針などには、子どもの最善の利益を考慮し親を導くことが保育の役割りの一つ、とハッキリ書いてあるのですが、これをすることは往々にして、(親への)サービス産業としての「仕組みの存在」を否定する場合がある。それを役場が理解せずに、ただの産業促進の観点でデイサービスを見てしまうと、子どもたちを囲む環境がどんどん悪くなっていく。やはり親を導くことが子どもたちの願いですから、大きな目標を「親子が生かしあうこと」に置いて、指導員は、その主旨を理解してくれる人を探すか育てるしかない。それが本来の姿ですが、これだけ人材が不足していると、長年保育をやっていて、保育士が育て育ちあう関係が出来上がっている施設でもないかぎり難しいですよね。

 親側の愛が強くて周りが見えない、それでモンスターペアレンツになっているのであれば、長い目で見て大丈夫ですが、規制緩和で生まれているいい加減な施設で子どもがどういう日常を送っているか知らない、知ろうとしない親が増えているのはとても危ない。誰しも不安からは逃れたい、目を背けたいもの。専門家に任せておけば大丈夫、という親の不自然な安心感が、親の身勝手、無関心に移行してゆくことが増えています。でもやがて、それはより大きな不安となって親自身に還ってくると思う。「社会で子育て」(仕組みで子育て)と、出来もしないことを言っている人たちの将来にわたる罪は大きいと思います。

 その療法士との関係の意味を考えてみること。その人の幼児期をイメージすることもいいかもしれません。その療法士もいまの仕組みの中で、育つことを阻まれた人なのですから。

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 (児童発達支援と放課後等デイサービスについて大阪で)

 「自分で育てるつもりないよ」と平気で言って、週末1000円で子どもを置いて遊びに行っていってしまう母親がいて、こんなところでは働けない、と障害児デイサービスを辞めた指導員の話を一昨日大阪の教育者たちの集まりで聴きました。障害児手帳を持っていなくてもほとんど審査無しで入れるし、障害者自立支援法で親側は十分の一負担、月額の上限が4600円。すでに飽和状態になりつつある自治体では顧客獲得競争が起っていて、業者側は、保育園より安いですよ、と親を勧誘する。

 「乳幼児は見方によってはみんな発達障害に見えるし、便利だからと言ってデイを利用する母親の子は愛着障害も重なっていることが多いから、簡単に入れるんですよ。でも指導員に専門家を雇えるところなんかほぼ皆無ですし、訓練施設ですから、どうしていいかわからない指導員が虐待まがいの訓練を強いる。子どもが怯えているんです」と憤る。

 先月、熊本県の保育園の園長先生たちが言っていた話と重なる。発達支援でデイでの訓練を終えて園に戻ってきた子どもが暴れる、キレる。どんな訓練をしているのか問い合わせても教えてくれない。その上、親に、「『専門家』(デイの指導員のこと?)のところではおとなしく出来ているのよ、だから素人(保育園)は駄目なのよ」と言われ本当に頭に来た、と話してくれた。

 その子を長い間保育して来た苦労が、こうした親たちの心ない言葉と、専門家のフリをしているにわか訓練士の普及によって、虚しい思いに変わってゆく。親、デイの指導員、保育士、子どもを一緒に育てているはずの三者の心が利害関係の経済論の中で、ますますバラバラになってゆく。心が一つにならない。その狭間で、親との愛着障害どころではない、人間に対する不信感が子どもの人格を形成してゆくのです。こうした状況で育てられた日々の体験は、それがたった一日のことであっても、時に刻印として子どもの心に残り、周りの人々の人生に影響を及ぼし続ける。これが閣議決定された「子育て支援は成長産業」「市場原理」で生まれる不信に満ちた社会の出発点なのです。最近の理解し難い、残酷な事件の傾向を見れば、その背後にこうした「子育て」の状況があることはもう明白でしょう。それでも政府は親子を引き離すことをやめようとしない。

 (愛着障害と犯罪の関係については、NHKクローズアップ現代の報道を踏まえて前々回のブログにすでに書きました。http://kazu-matsui.jp/diary/2015/02/nhkde.html)

 もちろん、部族的な絆が希薄な現代社会で、こういう仕組みを本当に必要としている親子もいる。この仕組みがあったために救われた一家もある。指導員といい関係を作って、人生にゆとりが生まれ、成長できた家族も知っています。発達障害児を育てた親たちが、自分たちの経験を生かし指導員になって和気あいあいと家族のようにやっているところもある。しかし、いまの市場原理にのみ込まれ儲けを主眼にした保育施策は、本当に必要な人たちの福祉さえ踏みにじってしまう方向に動いているのが現実です。

 もう何年も前からこうした発達障害児専門の塾をしている女性が、最近の安易に作られる「訓練所」に対する憤りを語ってくれました。どこへでも証人として出ます、と言っていた。3年前に彼女の塾に見学に行った時に教えてくれたことを思い出します。いわゆる発達障害といわれるこどもを指導する時に、まず親の挨拶の仕方から入るのだ、ということ。親が子どもを連れて来た時に、きちんと挨拶ができるようなると、それだけで子どもが落ち着くというのです。

 一日保育士体験で親が変わると、保育園に対する苦情や文句が一気に減り、子どもたちが落ち着く、という現場を見た私にはよくわかるのです。親の礼儀作法が子どもの成長に不可欠な心の安定に意外と大切なのです。一日保育士体験では、特に父親が「幼児たちと一緒にいる幸せ」に気づくと、子どもたちはみるみる明るくなる。父親が、自分は他の子たちにも責任があるのではないか、という部族的な感覚に少し目覚めるだけで、集団としての子どもたちが輝いてくる。子どもたちの世界は大人が気づいている以上にリンクしている。家庭という基盤が一定の秩序を保っていないと、それは他の子どもたちにも確実に影響してゆくのです。

 すべての人生はリンクしていて幼児たちはその最も大切な、大事にしなければいけない要素なのだということに政府が気づかない限り、いま急速に起り始めている負の連鎖は止まらない。

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放課後等デイサービスは、主に小学生以上から高校生までの学校に通っている障害児が学校の帰りや土曜日、日曜日、祭日などの学校休業日や夏休み、冬休みなどの長期休暇に利用する通所訓練施設児童発達支援は、障害を持つ未就学児を対象にした通所訓練施設。療育や機能訓練に特化した施設、もしくは、幼稚園や保育園の代わりに、ほぼ毎日通う施設として、児童発達支援のサービスを利用するケースがある。平成244月の障害者自立支援法、児童福祉法の改正により、多くの民間企業や一般社団法人が、障害児通所支援事業である放課後等デイサービスや児童発達支援へ参入しやすくなった

(株式会社・合同会社・NPO法人・社団法人、財団法人・社会福祉法人・医療法人)法人であれば、どのような形態の法人でも事業を行うことが可能。指導員は特に資格要件無し 

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_DSC5207a.jpg

シスターから手紙が着ました。久しぶりにシスターの語る言葉に耳を傾けました。https://www.youtube.com/watch?v=SUaQXFUp1_M

「わかちあうこと」とシスターはいつも言っていました。「わかちあうこと」が人間の美しさであり、生きてゆく目的。

特に子育てをわかちあうこと、がいま日本に必要なことだと思います。

 

Dear loving kazu zan,
How are you . Our best wishes to Yoko zan and Rio zan.
We are having our program at New Delhi on 3 Mach.
We are travelling on 28th. 2nd evening we may have the rehearsal.
The concert title is Sound of Freedom.
We are back to Dindigul on the 6th march.
Many of our girls are preparing for their examination.
3 are to complete 8 std, 4 are to write 10th std, 5 are preparing for 12th std
And 5 are doing their college study.
All of them are having their exams in March.
Do remember them all.
Some of them have not seen you. Please do come once.
We look for your arrives.

With love

Sakthi sisters Sr Chandra and Felci