渋谷のタワーレコードに現れた特設コーナー。

200901071925000.jpg

「渋谷のタワーレコードに特設コーナーがありました」と知人のご主人がメールに添付して送ってくれた写真です。先月、私の27年前のアルバム2枚、カズ・マツイ・プロジェクト、とTime No Longerが復刻されたのです。懐かしいです。冬眠から覚めた作品たち。嬉しいです。渋谷公会堂でのコンサートの映像がおまけについているそうです。
そのうち、渋谷のタワーレコードに「シャクティ」特設コーナーあったよ〜、なんてことになると本当に嬉しいのですが。
今日は、埼玉の教育局の方々にシャクティの映像の一部を見せて講演しました。
シャクティの映像の中にある、太古からの様々なメッセージが、いま、これからの教育を考える上で大切になってくるような気がします。次元をクロスオーバーして、「集まること」そして「わかちあうこと」この二つのメッセージが生きてくるのだと思います。
映像の中に出てくる、第一回のサマーキャンプに向かう子どもたちの姿には、
「ああ、こういう子どもたちに教えることが出来たら幸せだろうな」と誰にも思わせる学校の原点があるように思います。
教える事で先生たちが幸せを感じる、教える側の幸福感を基盤に、本来、伝承は成り立っていくのだと思うのです。子どもたちが、教え手を育てる、それが親子関係の本質ですから。
シャクティセンターに向かうあの子たちのように、明るく、潔く、堂々とした表情が、そして草原を並んで歩く風景が、学校に命を吹き込むのです。
シャクティセンターの先生たちはあのダンサーたちです。教職の免状もなければ教え方を教わった娘たちでもありません。それなのに、たった8日間のサマーキャンプから生まれる「美」。
家族、村、そしてシャクティセンターを包み込む人間たちの「信頼関係」が、たった8日間のサマーキャンプに、「真の学校」を映し出すのだと思います。
そして、不思議なのは、シャクティセンターのサマーキャンプは、読み書きや人権の真ん中に「踊ること」があるのです。教えることの中心に「和」があるのです。
日本の学校も、一日1時間は必ずみんなで輪になって踊る。そんな方向に教育改革が出来たら、きっと日本は、昔のように絆で結ばれた美しい社会に戻るのだと思います。
決して不可能なことではないのです。そういう視点を取り戻せないほどに、感性が鈍ってしまっているだけです。人間がシステムを作っているうちに、いつの間にか、システムが人間を作るようになってしまったのです。
でも、あの子たちもシャクティの踊り手たちも、今を生きています。私たちと絆で守りあっているのです。