幼保一体化・子育て新システムの報道

 来年の国会にかけられる幼保一体化(子ども・子育て新システム)に関する報道が少しずつ新聞テレビでされるようになってきました。

 今日の「報道ステーション」はひどかった。幼稚園や保育園は供給が追いついていない数少ない産業、この不景気の時代にこんな業界があっていいのか、さっさと市場開放・規制緩和をして待機児童を解消するべき。業界が既得権益にしがみついているから進まなかった。厚労省・文科省(保育園・幼稚園)の壁を壊して、子ども省にしてしまえば一気に出来る、と司会の古館さんが言い放った。

 全国で、番組を見ていた保育士たちは、一瞬凍りついたと思う。
 規制緩和、市場開放でやれるものならやってみろ、と思った人たちも多いはず。介護保険の二の舞になる、でもそうなった時に学校がもたないですよ、と私は言いたい。
 保育は荷物預かり所ではない。いままでの施策が、崩れ始めたとはいえ保育界をここまで守ってきたのであれば、それは業界の既得権ではなく、子どもたちの既得権であった、と私は考えたい。
 子どもたちが、かろうじて国の基準に守られ、多くの子どもたちがそこそこ安心して5歳までを過ごしてきたから、日本はまだ学校での治安もいいし、教師もなんとか踏み堪えている。保育園の子育て代行によって、親たちが育たなくなった時、家庭崩壊が連鎖的に学級崩壊まで進むことは簡単に想像で来る。日本でもすでにその兆候が充分見えるはず。
 親は2万円の保育料を払っているだけだが、東京都では子ども一人当たり月に50万円税金を使っている、こんなひどいシステムはさっさと壊してしまえ、と怒りを込めてテレビの司会が言った。
 0才児、しかも東京に限ればそれに似た数字は確かに出る。しかし、0才児を預かることによって入って来るお金で、3、4、5才児の足りない部分を補っているのが現状だ。最近の3、4、5才児は様々な原因でますます保育し難くなっている。そこで、しっかりとした保育が出来ない分、学校にしわ寄せが来ているのは明らかなのだが。繰り返しますが、保育は託児ではなく、子育てです。ここが揺らぐと国が揺らぐ。
 そして、忘れてはならないのは、この仕組みが、親が親らしいという前提の元に作られた仕組みだということ。
 
 ここまで頑張って来たのに、と悔しい思いでいる園長の顔が見える。こんな無責任で乱暴な解説を聞いた親たちは、ますます、利権を権利と勘違いし、保育園に感謝しなくなる。それではいい保育士は育たないし、子どもたちを囲む絆も育たない。保育士が元気をなくしたら日々のいい保育もおぼつかい。単純な親は、「そんなに税金をもらっているのだから、ちゃんとうちの子を育て、しつけてくれ」という目で保育士を見るかもしれない。保育は子どもを育てることが主目的であって、親へのサービスになってはいけない。これを商売と考えると、本末転倒になってしまう。
 自分たちのことをこんな風に単純に批判され、明日、どうやって子どもたちに向かえばいいのか。
 気をとりなおして頑張って下さい、と言うしかない。
 私が「親心を育む会」のメンバーの園長先生たちと取り組んで来た「一日保育士体験」も、保育士の保育士心、親心信じ、お願いをしてなんとか少しずつ広がりを見せてきた。もうそこしか、日本を立て直す手立てはない。テレビの司会者にこんな言い方をされれば、「じゃあ、ただ預かっていればいいのね!どうなってもしらないよ」とつっぱねたくもなる。保育園・幼稚園で親心を育てて下さい、なんていうお願いは、申し訳なく言えない。
 保育を業界と見るマスコミの無知、無感覚。保育士の心をこれほど傷つけることが、明日の保育にどれだけ影響を及ぼし、将来この国の大きな負担となって行く姿が見えていない。
 ある保育園の園長が、乳幼児を預けにきた親に必ず言う言葉、「いま預けると、年取って預けられちゃうよ」。
 園長は、この国を底辺から見ている。だから、自立とか、自己実現などという言葉が、人間が生きる時に意外に役に立たないのを知っている。人間は頼りあい、信じ合って生きるもの。貧しくても、絆があれば幸せに暮らせる。しかし、信頼という絆が切れると、良い老人ホームに入れるだけの資金があったとしても、そんなに幸せではないよ、と言いたいのだと思う。
 現在介護保険が抱えている様々な問題の根底に、子育ての社会化が存在する。このような時期に、保育に介護保険の仕組みを当てはめるような新システムが国会にかかろうとしている。人間性を失った経済論が、システムが人間性を支配する、という状況を生み出している。
 介護保険が設計されたころ、女性の9割が「可能であれば、乳幼児期は自分の手で子どもを育てたい」と言っていた。それが、10年後に7割になっている。システムが人間性を支配し始めた大きな変化が起きていた。
 福祉や行政は、子育てを本当に引き受けてしまって大丈夫なのか。システムに子育てが出来ると本気で思っているのか。ある報道では、いま預からないと虐待を防げない、と言っているた。ある保育団体の幹部が同じような発言をしていた。虐待する親からいくら子どもを預かっても、子どもが家に帰ってそこに居るのは虐待する親に変わりはない。親が良い人間性を発揮出来る方向に導く手立てはいくらでもある。それを子どもが小さい時分にやるのが、人間社会の法則だった。人間は本来、幸せになりたいと思って生きている。きっかけとちょっとした助言があれば、親は必ずいい親になる。宇宙は我々人間に自信を持って0才児を託している。すべての人間が幼児によってひき出される「いい人間性」を持っている、と宇宙は信じた。私たちがそれを信じないでどうする。
 欧米を見るかぎり、子育ての社会化は、社会から親身さを消し、福祉や教育はやがて膨大な予算を必要とするようになる。このまま日本が欧米がたどった道を、経済論の名のもとに進み続けると、虐待とDVはたぶん5年後に爆発的に増え始める。
 10年後、この改革がいかに日本を弱くし、社会における人間関係を荒廃させたか、分析が終わった時、これを進めた政治家や学者たちは、責任をとる地位にはいない。マスコミは今度はそれをやった人たちを批判して視聴率を稼ぐのだろうが、もう彼らはそこに居ない。司会者はそんな発言をしたことさえ覚えていないかもしれない。
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