シャクティの子たち


 シスターのオフィスでソウバさんを待ちながら話をしていました。庭に夕暮れが迫り、マドライから仕事を済ませ正午には来るはずのソウバさんは、7時間遅れ。それが気にならない空気が、夕食の支度をする煙に混じって漂っています。21人の踊り手たちの話す声が聞こえます。ここへ来ると、私は言語から解放され、ちょっとした一人の間抜けになれるのです。タミル語はまったくわからないのですから。言葉のわかる話し相手はシスターと助手のシスター?フロリスだけです。

 今日は、三人でセルバの家を訊ねるはずでした。ドキュメンタリー映画で婚約が決まったセルバにインタビューをしたのが5年前、今は子どもがいるセルバにもう一度会って、その顔を見たかったのです。彼女は私の一番好きなダンサーでした。生まれつきの自分の型を持っていて、ちょっと目には、マッチ棒が踊っている感じですが、その動きが誰にも真似出来ない、フレッド・アステア風のストリート感を持っているのです。観客を意識することがまったくない動きは、自然で、ふだんの立ち居振る舞いと少しも変わらない、生きていることが踊っていること、そんなセルバでした。

 私は、セルバに会うためにその朝わざわざ髭を剃りました。女性に会うと言うよりも野生の女神に再会するような気持ちでした。

 シスターが、「最近日本での講演ではどんなことを話している?」と訊きました。

 私は、最近講演で話している4才児完成説、赤ん坊が意図せずまわりの人をいい人間にし、社会の心を一つにする話、園長が道祖神になってゆく話(興味のある方は、私のホームページの「原稿集」を読んでみて下さい)を、英語に少しずつ翻訳しながら話しました。

 シスターは、祖父母心が人間社会においてどれだけ大切か、という話になった時に目を輝かせて「そうなの。おじいちゃんおばあちゃんは特別な人たちですね」と嬉しそうでした。0才から4才までと死ぬ直前に人間が強く「教えるモード」に入ること、真ん中に居る人たちは、この宇宙に近い両側が幸せそうにしていることで安心すること、だから幼児を神と見ればいいんだと思います、と話しました。カソリックの修道女に神や宇宙という言葉を使うにはちょっと勇気が要りますが、シスターには使えます。

 青山学院の伊藤先生から、シスターがお祈りを捧げ、聖書を読み、踊り手たちが踊る礼拝の、シスターのメッセージのタイトルをメールで聴かれていました。

 シスターは、「もちろん“Coming together”ですよ」と笑いました。

 ドキュメンタリーの中で、幸せとはなんですか?という私の質問に答えてシスターが言った「集まること」。そして、人間の美しさは「わかちあうこと」という、この二つの柱は、考える時、私の中で生き続けています。聖書の朗読はPhilip:2:1-5になりました。

 

 天井で蚊よけのファンがゆっくり回っているシスターの小さなオフィスにいると、頻繁に電話のベルが鳴ります。少女たちの実家からかかってくるのです。3ヶ月コースの子たちは、まだ家を離れて日が浅いので、たぶん親からかかってくるのです。

 一人の女の子が、長電話で受話器の向こうにいる誰かに必死に話しています。

 「母親に話しているのよ」とシスターが言います。「小さな妹をぶってはいけないって言ってるの。あなたが言う、子どもが大人を育てている見本よ」

 電話が終わって、その子はちょっと泣き出しそうな顔でオフィスを出て行きました。外はもう真っ暗です。ソウバさんから車が故障した、という電話がかかってきました。

 


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