人類にとってのカウンセラーの代表が、0、1、2歳児だった

 

こんな記事がありました。

相次ぐ保育所での虐待 保育団体と保育士会が緊急セミナーを開催

https://news.yahoo.co.jp/articles/e11b9e9279cb1ad8587fd2f8b9ac1e25ef657710 

記事に、保育協議会と保育士会の会長が「『こどもの最善の利益』を守る保育が実践できているかを改めて確認し、その姿勢や日々の保育活動を地域に発信していくことを呼び掛けた」とあります。

国の、十一時間保育を「標準」と名付けた無責任な量的拡大が、『こどもの最善の利益』をまったく優先していない、親たちも自分の都合を優先している、それを言わないと、保育士たちにだけ要求しても、ますます、保育の質は落ちていくばかり。

国は、「保育」を「飼育」程度にしか考えていない。

それによる幼児期のトラウマが、いま、学校教育を追い込む。教員不足が急速に進んでいますが、ここ数年の不登校児の増加は異常です。それを進めているのが、国の経済政策パッケージ:「子育て安心プラン」です。(この辺りのことは、ぜひ、「ママがいい!」を読んでみてください。)

幼児期のトラウマについて、一つの象徴的な例を上げます:人口の四人に一人がカウンセリングを受けるアメリカで、いい加減なカウンセラーが、人々の悩みや精神疾患の原因を「幼児期」の体験からくるトラウマ、親との関係、特に性的関係に原因がある、と診断してしまうのです。その確率が高いのですから、仕方がないとも言えますが、まったくそういうことがなかった人も、その診断で「良好だった」親子関係を壊されてしまう。

そして、父親との関係を、診断という洗脳によって壊された患者が、数年してから、時には父親が亡くなった後、今度はカウンセラーを訴え、損害賠償を請求するケースが起こっている。

人々の間で、子育てが人生の中心から外れることによって広がる、幼児期の体験をめぐる様々なトラウマが、歪んだ「市場原理」と重なって、修復が困難な分断と対立を、社会に生んでいる。

そんなアメリカから、去年、銃の乱射事件が一日平均二件、犠牲者は平均四人、というニュースが流れてきました。

(2020年、アメリカでは銃による死者が30%増加。近年は黒人への暴力が目立ち、対抗して武装する団体も登場している。 https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/P38R5M86P9/ 

子育てに必要なのは、カウンセラーではなく、相談相手。しかも、相談相手からいい答えが返ってくるかはそんなに重要ではない。子育てに正解はないし、必ずうまくいく、という手法もない。

「親身な」相談相手がいるか、いないか、が大事なのです。みんなでオロオロする、そんな感じがいいのです。

強いて言えば、人類にとってのカウンセラーの代表が、0、1、2歳児だったのでしょうね。

0歳児との一方通行に思える会話が、一年掛けて、人間に祈ることを教える。1歳児との会話が、理解することではなく、理解しようとすることが、平和や秩序をもたらすことを知らせる。そして、2歳児との会話が、利他の気持ちと忍耐力を耕す。

人間がもっとも違った形で生きるこの三年間をしっかり見て、関わって、抱きしめて、自分を見つめておかないと、人生の可能性の半分くらいを放棄することになるのではないでしょうか。

政府の、幼児と人間を引き離す経済施策が招いた混乱を見ていると、せっかく、カウンセラーや弁護士をあまり必要としない、いい国だったのに、と残念を通り越して、悔しくなります。