止めることができない「時間」の中で

「生きる力の衰退」

0、1、2歳児保育を拡大していった政府の施策が、親たちの子育てに対する意識の変化をもたらし、社会のあちこちで「生きる力の衰退」つながっていった。その時期に育つべき「縁」を、時間という制約の中で乱暴に削ることによって、少子化が一層進み、未婚化や引きこもりも増えていった。預かる側の質を文句なしに揃えたとしても、ぷつんぷつんと途切れる縁でいいわけがない。

最近知ってびっくりしたのですが、「仕組み」に預けることに慣れた親たちが、その次に頼る手段がインターネットなんですね、

  内閣府の「インターネット利用環境実態調査」というのがあるのですが、子どもたちのインターネット利用率が増えている。

それはわかるのです。が、その中で、乳幼児のネット利用の増加が他の年代よりも目立つ。2020年と2021年の利用率の変化だと、一歳児は16.5ポイント増の33.7%、二歳児は18.8ポイント増の62.6%。二歳児は一日平均1時間48分だそうです。平均、ですよ、平均。

そういう時代だ、と言ってしまえばそうでしょう。でも、私には変化の速度が尋常ではないように思える。

あれっ、と思ったのは、幼稚園や保育園に通園していない「通園前」の幼児よりも、「通園中」の幼児の方が利用率が上がっていること。調査対象が「保護者」ですから、園での使用率の調査ではないはず。これは、「仕組み」から「インターネット」へと、バトンを渡すように子育てをつないでいる親が増えているのですね。

愛着関係の重要性とか、幼児たちとの触れあいから得る幸福感、というより、そこに幸福感があるんだという意識、知識の欠如が急速に進んでいる気がします。

止めることができない「時間」の中で、「ママがいい!」という言葉を喜びとして聞く回数が急激に減っている。

0歳1歳から預けることで、慣らされるんですよ。「ママがいい!」という言葉が社会から消えていくことに。

私の講演を聴いた中学生が以前書いてくれました。

「私は、『親になる幸せ』を聞いて、不思議な気持ちになり、同時に、早く大人になって子どもを産んでみたくなりました。私が今生きている。それだけで周りの人たちが笑ってくれる。それだけで幸せだと思いました」。

音楽に、作る人と聴く人が必要なように、0、1、2歳児と過ごす時間は、お互いを確認しあって存在する。だからこそ、人生を賭けて響き合う。この人たちに向けた愛着は、自分の死後も続いていく命を思うことであって、自分を育ててくれた親を思うことでもあるのですね。

「縁(えん)」と呼ぶしかない運命的なつながりを、今まで肯定的に受け入れ続けてきた人間たちから、これほど突然に大量に、政府が莫大な予算をかけて削っていったら、どうなるのか。考えてみてほしいのです。

(縁:人と人を結ぶ、人力を超えた不思議な力。親子、夫婦、親戚などの間柄。結果を生ずるための間接的原因や条件。)