人類の羅針盤

「ママがいい!」と叫んでいる子どもたちは、人類の羅針盤だと思うんです。

この言葉から生まれる「いい人間性」の確認と連鎖が、「子育て」だった、と私は考えます。なぜ、それが、ここまで見て見ぬ振りをされたり、ともすれば、そう叫ぶ子どもたちの存在が厭われるようになってきたのか。しかも、かなり唐突に、突然に。

ここ数十年、学問や教育が「自立」とか「自己実現」などという言葉を駆使して、人々の人生を対立の構造に向かわせてきた。助け合い、調和、「愛されている」という家庭主体の幸福感とは違う、経済活動主体の利己的な損得勘定のものさしに誘導されていった。突き詰めると、「乳児の存在意義」VS「学校教育の存在意義」のような気もします。

校長先生が本心ではないのに、立場上、「夢を持ちなさい」「君たちは無限の可能性を持っている」と卒業式で言う。ほとんどの場合それは、「欲を持ちなさい」であって、もちろん欲を持つ人が居てもいいのですが、「アメリカという国は、3%の人が90%の富を握っている。格差が広がっている」、「日本でも、起業家の多くが失敗する。その失敗(不幸)が経済を回している」とか、「競争以外の場所に、幸せになる方法は、実はたくさんある」など、その程度の情報は一緒に教えるべきだった。

高等教育の中で、「欲は捨てたほうがいい」と言うのは言い難いのでしょう。でも、小学校の国語の教科書には宮沢賢治や新美南吉が載っていたりします。その時点では、伝統的に利他の道筋が示されている。それを高等教育まで伸ばしていってほしい。中学高校と、年に数日でいいから毎年幼稚園や保育園で幼児たちと過ごす、そんなことでいい。一番幸せそうな人に繰り返し出会わせていれば、幸せになることはそんなに難しいことではなく、この人たちと過ごすことが自分を幸せにする、と体感できるからです。

経済学者たちはもっと露骨に、「生産性」などという言葉を使って競争をうながす。その典型が、政府の看板政策「生産性革命と人づくり革命」です。タイトルを見ただけで、嫌な感じがしました。

人づくり、とはよく言ったものです。

義務教育の普及とともに、「子育て」に目標のようなものが設定され、親である幸せへの道筋が狭められていった。

前回、「甘やかす」という行動は「祈り」に近い、と書いたのですが、子育てを学問でとらえる人たちは、甘やかしては戦力にならない、くらいに思っているんですね。そして、母子分離を進めないと、母親が戦力にならないと計算する。

「出産退職年20万人、経済損失は1.2兆円:民間研究所試算、(http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=2581という記事がありました。

 母親が子育てをしたいと願うことを「経済的損失」と、分析。それを数字を挙げて発表する研究所、その発表を一斉にニュースとして新聞が報道するのです。人類はここまで言った、金字塔のようなセンテンスですね。石に彫って、「人類が到達した馬鹿さ加減」として次の世代に残したいくらいです。映画「猿の惑星」を思い出します。海岸で、石に刻まれ砂に埋もれたこの言葉を、未来の人類が発見する。

乳児期に「世界は信じることができるか」という疑問に答えるのが母親であり、体験としての授乳がある、と言った発達心理学の草分け的存在エリック・エリクソンがこの新聞報道を見たら、驚きますね。

時間を超えた子どもたちにとっての「損失」や、願い、など視野に入れない「経済的損失」の身勝手さ。ジェンダーフリーという言葉でそれを覆い隠し、進歩だと肯定する社会学者や発達心理学者、保育の専門家たちの発言に、エリクソンは呆れるはず。

性的役割分担の重要性を説かずに、心理学を論ずることなどできない。それがアイデンティティーの根幹でしょう、と、どこかで大笑いしている。

学問」と「欲の資本主義」が人間の思考とアイデンティティーを抑圧している。

 

子どもが初めて逆上がりができて、私の方を見て笑ったとき、初めてできたことよりも、それを私が見ていたことの方が嬉しかったんだ、と感じたとき、私の価値観や人生が変わっていったのです。

 

 

羅針盤を取り戻すため、

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