「やくそく」

「やくそく」

先週、熊谷市のなでしこ第二保育園で講演をしました。長い付き合いで、これが四回目です、と言われました。保護者と保育士たちが一緒に聴いてくれる、というのが嬉しい。一緒に拍手してくれたのが、励ましになりました。

七十人くらいを前に、第一と第三なでしこをズームでつなげて、そちらでも親たちと保育士が聴いていて、あとでホームページにアップして当日聴けなかった人も聞けるようにしてくれました。

講演後、給食ランチを十人くらいでしていた時、保護者会の会長さんが、「小風さんは、松居先生の妹さんですよね」と訊くので、そうですよ、と答えると、「光村図書が出している小学校一年生の国語の教科書に、『やくそく』という話を書いているのをご存知ですか?」と言う。

すみません、知りませんと答えると、「とってもいい話なんです、今度先生たちの集まりで研究会をやるんです」。そう言って、話の内容を説明してくれました。あおむしが三匹でてきて、喧嘩をしているうちに、木に怒られて、てっぺんまで登るときらきら光る海が見えて、いつか一緒にそこまで飛んで行こう、とやくそくする、という話なんです、と興奮気味に語ってくれたのです。

妹は、結構有名な絵本作家で、講演でそれを言うと保育士たちはびっくりするのですが、一年生の国語の教科書というのですから、これはまた格別です。

家に帰って、妹に電話して、教科書に話を書いたか、と訊くと、書いた、書いた、というのです。今日、保護者会の会長が研究会をすると言っていたぞ、というと、ゲタゲタ笑って、「研究されちゃうんだ」とか言うのです。

ネットで調べると、そのままの文章は載っていなかったのですが、「範読」というのが出てきて、この言葉もそのとき初めて知ったのですが、ユーチューブに載っている上に、このお話で、どういう風に授業をやったか、みたいなのまで映像で載っている。

これが、なかなか、深い、いい話で、これは研究されるかもしれない、と頷きました。

そして、寒川道夫先生を思い出したのです。

妹が、神と言っている、小学校の担任で国語の先生だった寒川道夫先生が、赤いほっぺたを膨らませて喜んでいるだろうな、とイメージが浮かんできました。

あの伝統が受け継がれている。先生の授業がこうやって作品として受け継がれていく。子どもたちの人生を介して生きていく。

どっこい寒川先生は生きている。

ちなみに私の五、六年生の担任は、後に自由の森学園を創った遠藤豊先生で、その理科の授業で染み込んだ、囚われず自分で考える、という姿勢が今でも私の中に生きているのがわかります。

自由の森学園を遠藤先生が創った時に、私は、教育に自由という言葉を使うことの解釈をめぐって遠藤先生と激突したのです。先生のすごいところは、それを知っていて、学園創設直前の教師たちの研究会で私に講演させたところです。自分の理科の授業が、この天敵をつくったと知っていたのでしょう。そして、記念すべき第一回の入学式で私に尺八の演奏を頼んだのです。

翌年、生徒たちにも講演させました。講演後、生徒たちと「自由」という言葉の危うさとまやかし、誤魔化しについて話し合いました。私に、しっかり考えなさい、と担任がフィールドを与えてくれたのです。

アメリカという国を見ながら、義務教育の存在自体の危険性や、0、1、2歳児の存在意義が忘れらていくことに気づいたのも、あの理科の授業があったからかもしれません。

遠藤先生は、師であり、同志であり、いつまでも私の担任でもあるのです。

寒川道夫先生が、妹にとって神であるように。

「やくそく」は続いていくのです。

 

 

「やくそく」範読 音読指導 光村図書こくご 1″ YouTube で見る

https://youtu.be/ZfYQAXckd-o