祖母の思い出

先日、何かで読んだんです。保育の「専門家」が、「3歳くらいの子どもにみかんの皮を剥いてやっている母親を見た。なぜ、剥きかたを教えてやらないのだ。親は、甘やかすからダメなんだ。保育園に行っていればちゃんと剥けるようになっている」と言う。

本当に腹が立ちます。

保育や経済の「専門家」たちによって、子育てと教育の混同が始まり、子育てに正解があるような気がして親たちが親心を失っていく。子どもたち、保育士、そして教師の順に追い詰められている現状を目の当たりにしている私は、些細に思えるこういう種類の言葉に敏感になっているのです。

その人がそういう考え方をするのはいい。でも、「専門家」のフリをして、正しいことのように言う。すると、人間たちが、親としての幸福感を忘れていく。厚労大臣が「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言い、経済財政諮問会議の座長が「0歳児は寝たきりなんだから」と言う。それに誰も疑問を持たなくなる。

私の祖母は、私が中学生になってもよくみかんの皮を剥いてくれました。ていねいに綺麗に剥いて、スジまでとって、両手の中でクルクルと回してから、「おたべ」と言って手渡すんです。

もちろん私はその頃みかんの皮が剥けるようになっていました。中学生ですから。でも、祖母が剥いてくれるのをじっと待っていたことが祖母の思い出の中で一番よく憶えているんです。祖母が、とても嬉しそうだったんです。それが私には、嬉しかったんです。

みかんの皮は剥いてもらっていいんです。