来日公演のあとがき

 そのシャクティの踊り手たちが、日本を走り抜けて行きました。太古の「気」シャクティを持った娘たちが、踊り抜けて行きました。

 日本に着いた踊り手たちは、成田からのバスの中、初めて見る東京にことさら驚く風もなく、いつも通りの笑顔で都会を見つめていました。広がる夜景に歓声があがることもありませんでした。身を乗り出すこともなく、黙って、楽しそうに窓の外を見つめていました。どこへ行ってもだいたいそうでした。

 欲がないからでしょうか。私たちが「感動」と呼んでいる感覚は、そのほとんどが情報を土台にした「欲」の一部なのかもしれません。

 ピラミッドを見たとき、私たちはその歴史的な意味、見ている自分が遠くから来たこと、様々な情報が重なり合って、「感動しなさい」と自分をコントロールするのかもしれません。深層には「感動しなければ損です」という意識があって、指図するのかもしれません。欲を持つ習慣を持たない娘たちには、ピラミッドはただの石かもしれません。それとも、その巨大さに細胞から感動するのでしょうか。グランドキャニオンだったらどうだったろう。私は、都会を見つめる娘たちにもっと感動してほしかった。その感覚は、すでに欲なのか。

 はにかみながら淡々と神社を見学し、雑踏を見つめる娘たちは、なぜかステージで驚くほど輝きました。細胞に直接訴えかけて来る人間の輝きを持っていました。人間は人間であるだけでこれほど美しい、と私に教えてくれます。

 シャクティの踊り手たちが感動していた瞬間がありました。浦和の幼稚園で園児たちと手をつないで、輪になって踊った時でした。

 園児には、誰も何も説明しません。カースト制度のこと、差別のこと、彼女たちが踊る意味のこと、説明してもわからないですから誰も説明しませんでした。ただ、踊ったのです。自然に輪が出来ました。幼児たちと手をつないで一緒に踊りながら、いつもは大人しく控え目で、あまり感情を表さずに恥ずかしそうに笑っているだけのマハーラクシュミが泣いていました。平等のために踊っていた彼女たちが、初めて平等を感じたのかもしれません。だれも何も説明しないから、そして園児たちは知識を持たずにただ嬉しそうにしてたから、突き上げて来るもの、込み上げて来るものがあったのだと思います。幼児が人間たちをつなぐ。人間たちが安心する絆の存在を教えてくれるのです。

 私はシャクティの娘たちから、人間を学びます。人間の作ったものではなく、宇宙が作った「人間」を学びます。学校もそういう所であってほしい、と思います。

 英語がしゃべれないシャクティの踊り手たちと18日間、笑顔だけで会話をしました。慣れて来ると、いままで見えなかったものが見えてきます。感性が敏感になってくるのです。

 シスターがインタビューを受けた時、通訳をしました。通訳をしながら新しいことを学びました。

 ダリットの村では、祭りが重要な役割を果たします。村人が心を一つにするために祭りがあります。心が一つになっていないと暮らして行けない仕組みになっているのでしょう。シスターが言うには、ある一家とある一家がもめていると、その年の祭りは中止になる、というのです。来年に持ち越しだそうです。これにはびっくりしました。日本で、例えば川越祭りが何月何日に行われる、と決まっていたら絶対に行われます。ポスターを作って宣伝して、地域経済の活性化のためにも、みんなで準備して必ずお祭りになります。祭りがインドでは生活の一部になっていて、どれくらい大切なものか知っているだけに、心が一つになっていないから、今年はやらない、というダリットの村人の潔さに感心します。こんな村で育ってきたんだ、この娘たちは、と思います。

 タミル語の通訳がついた時、記者の質問に紛れて、リーダー格のエスターに一つ質問してみました。ダリットの娘たちに限らず、インドではほとんどの娘たちが親の決めた相手と結婚します。私の撮ったドキュメンタリー映画の中にも、結婚の決まった一人の踊り手にインタビューしているところがあって、そのあまりにも親を信じきっている笑顔に胸を打たれるのですが、やはり私はエスターに訊いてみました。

 「悪い夫に当たったらどうするの?」

 すると、19歳のエスターは笑って言いました。「良い夫にするの」

 19歳の娘が結婚の一部として、こういう理解をすでにしている。どこで習ったのでしょうか。たぶん生きるためには必要なことなのでしょうね。人間が。人類が。

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