コロナウイルスが世界中に広がっています。感染が始まって半年経ち「マスクや隔離、自粛」という対応策が見え始めても、様々な状況の中で第二波が起こっています。その起こり方に、その国、その社会における人間模様や事情が垣間見えます。モラル・秩序の濃淡と、損得を離れた絆の有無が、ウイルスという目に見えない災禍によってあぶり出されているようです。
ロシア、アメリカ、ブラジル、感染者が爆発的に多い国々の特徴を見れば、時の指導者と、国としての対応が、犠牲者(死者)の数に大きな影響を及ぼしているのがわかります。その時たまたまその地位に就いていた首相や大統領のちょっとした性格や人格、個性がこれほど多くの人の命に関わってくる。選挙で成り立っているはずの民主主義ですが、当選した人の資質によって国民の運命が確実に左右される。それはすなわち民意の質や、それを操る「経済」という仕組みの問題でもあるのですが……。
インドでは、タミルナード地方の状況が逼迫していて、ニュースを見ながら心配しています。
私が以前作ったドキュメンタリー映画で出会い、いまも交流が続いている、シスター・チャンドラが只中にいるのです。
「大丈夫ですか?」というメールに、「シャクティのメンバーとマスクを手作りして、村の子どもたち配っています」というメールと写真が送られてきました。
ドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」(第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門で金賞受賞)からの映像です。
私の質問にシスターが答えます。
https://www.youtube.com/watch?v=uoQXhyz0rOg
インドの貧しい農村での人々の生活を見ていると、信心も含めて、絆と信頼に守られて暮らしてきた人間たちの確かな営みが見えてきます。
「祭り」の意味をシスターは「集まること、祝うこと」と言い、それを繰り返していれば人間は大丈夫。時々、輪になって踊っていればいいのです、と教えてくれます。シスターはカソリックの修道女ですが、発言の端々にウパニシャッド哲学の流れを感じるようで面白い。絆は、「縁」であって、「円」であること。「祭り」はそれを伝えながら、日々の営みを次の世代につなげていく。人生がその場限りではないこと、人間は「祝っていれば」、「集まっていれば」良い方向に進み始めること、その流れを体感させるのが祭りや儀式でした。
鯉のぼりやひな祭りも含めて、お中元やお歳暮、祝儀・不祝儀も含め、日本人は「祭り」を大切にしてきました。絆に頼って、絆を信じて生きる、その喜びを体現することが好きなのです。
祝うことは、祈ること。そんなメッセージがシャクティの風景から伝わってきます。
こういう次元のつながりを取り戻すことが、いま人類には必要なのです。
日本の小学校で毎朝子どもたちが「輪になって踊る」ことで、人類の進化が正しい方向へ戻ってくる。「気」の流れが変わる、つながりを実感出来るようになる。こういう次元のコミュニケーションの入口に「0歳児が眠っている」と、私は言い続けてきました。
いま、この大きな試練の中で、輪になって踊ることができない人間たちは、家族、家庭という単位に帰っていきます。0、1、2歳児の願い、と言ってもいい。彼らの言葉にならない言葉に耳を傾けて、乳児を育てる、という仕組みの価値を噛みしめる。福祉や教育では代替できない、支え合い、育ち合いを「Good Trouble」良い試練としてもう一度確認する。新たな命を祝うこと、その成長を共に喜ぶことの意味を思い出す。
「自立」ではなく、お互いのために生きることが人生の目的なんだという、幸せの物差しが再発見されるといいのです。そこから、「社会」を再構築していく。
前回の投稿に書いた、アメリカの下院議員ジョン・ルイス氏の葬儀で、前大統領三人(ブッシュ、クリントン、オバマ)が追悼の辞を述べたあと、ペロシ下院議長が追辞の中で「非暴力とサティアグラハー」について語りました。ルイス議員は師のキング牧師と共に、このマハトマ・ガンジーの教えを実践し、「血の日曜日」と呼ばれる行進で頭に重傷を負った人、その後30年以上にわたり下院議員を務め、「連邦議会の良心」とも呼ばれた人です。
私は、ずっと以前、このガンジーの教えと、「幼児の存在意義」を重ねました。絶対的弱者が強者の人間性を育む、引き出す、この日常的な体験の繰り返しが人類の進化の鍵を握ってきた、と感じたからです。
子育てをしながら明るい顔でいられたら、人生の目的は達成される。
人間は、そういう人間でいるために生まれてくる……。これほどわかりやすい物差しはない。
そして、日本だから、言えることですが、その方向へ人々を導く役割をたやすく担うことができるのが、幼稚園と保育園だと思ったのです。
以前、「親父の会/園での父親の交流が学校でのイジメを減らす」という文章をブログに書きました。 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=220
十年以上前に講演した幼稚園へ行くと、その時の講演をきっかけに「父の会」ができて、それがとても大切な存在になっている、という嬉しい報告をお母さんたちからいただいたのです。こういう方法で、耕し直していくしかない。それが一番理にかなっている、自然で、簡単です。予算もいらない。
欧米に比べ、まだまだ「家庭」という形が残っている日本だから、可能な方法です。
楽しそうにしている父親たちを見て、きっと男の子たちも、父親になりたくなる。
少子化の一番の原因は、以前に比べて男たちが結婚しなくなったこと。三割の男たちが一生に一度も結婚しない。これでは、いくら「保育」を充実させても子どもは増えない。いや、保育を充実させたから、こうなったのです。
男たちが、「子育て」に「生き甲斐」や「幸せ」を見出そうとしなくなった。見出せない仕組みになっている。こんなことは人類の歴史始まっていらい初めてのことなのです。
もともと、子育てや、子どもの幸せに対する責任は、男たちの生き甲斐でした。遺伝子がそう組まれていた。それをやりさえすれば、ほとんどの男たちが、自分自身の「いい人間性」に気づき、「幸せに向かう利他の遺伝子」がオンになっていった。
「親父の会」がそれを証明しています。
(私が、20年前に欧米における家庭崩壊の状況と、その対応策のいくつかを書いた文章があります。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1054 。ぜひ、読んでみてください。)
人間が幸福論の中心に据えていた「子育て」という体験が、ここ数十年の間に先進国で、「子育ての社会化(制度化)」とそれに伴う家庭崩壊によって、急激に社会構造から欠落し始めている。そこに突きつけられた新型コロナウイルスの問題なのです。