全国で相次ぐ「保育士大量退職」:保育のサービス産業化は義務教育とは相容れない

2019年5月29日

(こんな報道がありました。)

全国で相次ぐ「保育士大量退職」 園新設に供給追い付かず…「取り合いみたいな状況」運営会社も苦渋:https://www.j-cast.com/2019/03/30353581.html?p=all:

 ここ数年、こうした状況が続いています。歴史のある認可保育園がハローワークに求人を出し、一人も応募がない、そんな話を全国で耳にするようになって十年以上になります。政府の待機児童対策の結果、保育士不足はますます深刻になり、保育という仕組みの崩壊が間近に迫って、やっとマスコミが保育のあり方、質について警告的に報道し始めている。

遅すぎる、と思います。当事者が幼児たちという認識がない。いまだに、当事者は親たち、親たちの必要性が第一だと見なす報道が多すぎる。

政府が、幼児の願いを優先せず安易な規制緩和と量的拡大を進める。ここまでくると、幼児たちの暮らしの安全性を考えていない、と言ってもいい。そして、現場には実行不可能な、学者たちが考えた施策を「雇用労働施策」「生産性革命と人づくり革命」「新しい経済政策パッケージ」と言って押しつけてくる。保育士たちも「子どもの最善の利益を優先する」という保育所保育指針の原則に背を向けるようになっても不思議ではない。「保育士大量退職」は、担当し日々暮らしている幼児たちに保育士たちが背を向けるということでもある。保育者たちにとっても、保育がただの「仕事」になりつつある、ということなのです。

それに加えて、自分たちが一生懸命保育をするほど、親たちも「子どもの願い」を優先しなくなっていく気がするのです。「なんで『慣らし保育』をしなければいけないのか。なぜ初めから11時間預かってくれないのか」と気色ばむ親まで現れるようになった。親たちが、保育という仕組みに慣れることによって、子どもの「気持ち」「願い」に気付かなくなってくる。自分たちがいることによって、生涯にわたって子どもを支えていくべき親子の愛着関係が薄れていく。それで、子どもたちの幸せが保てるのか、どんどん大人優先の社会になっていくのではないか、そんな疑問を心ある保育士たちは抱いているのです。この疑問はすでにエンゼルプランあたりから、保育界には歴然とある。

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幼児たちの存在意義が薄れることによって、社会全体から「利他」の幸福感が消えていく。モラル・秩序が保てなくなってくる。「道徳教育」などではもう誤魔化せない。

この報道にあるような出来事が、全国で、保育園だけでなく幼稚園でも起こっています。園長・設置者が保育者の動向に怯えている。

「保育は成長産業」というとんでもない閣議決定がつくりだした小規模保育や企業主導型保育、学校教育の崩壊に乗じた放課後等デイサービスなどの現場でも、報道されていないだけで、子どもに理不尽な短期的な人員の変動が日常茶飯事になっています。安定した一定の愛着関係を、誰とも築けない子どもが増えている。1歳児で噛み付く子が増えている。4、5歳で暴れる子が増えている。

それが直接、小一プロブレム、学級崩壊、教師の早期退職、いじめや不登校につながっていくのです。もう明らかでしょう、保育のサービス産業化は義務教育とは相容れない。このままでは、遅かれ早かれ、学校許育が修復不可能になっていく。(「保育士にしつけられた子どもは、4、5年生でキレる。その時に親子関係が育っていないと、糸の切れた凧のように中学、高校へ進んで行く」そんなことを私に言う園長がいました。)

動機の良くない「経済競争を扇動する」仕組みが、福祉という「弱者を救済」する仕組みの本来の目的を見失わせています。同時に人間本来の生きる動機をも見えにくくしている。

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この記事にある、苦渋している「運営会社」はもともと利益を目的としている。会社ですから。子ども優先ではなく、親へのサービスが優先になる。(保育士も、子ども優先ではなく、自分優先になってきても不思議ではない。)

毎日子どもたちの表情を見ている保育士たちが、「会社」の経営方針と子どもたちの願いとの板挟みになって、「保育士やめるか、良心捨てるか」という状況に追い込まれている。「運営会社」と現場の保育者の、「子育て」に対する動機、意識が違いすぎるのです。だから「保育士大量退職」が全国に広がっていくのです。ごく自然な流れでしょう。そして、この自然な流れに、やがていい保育園が巻き込まれ、いい保育園をやっていた園長たちが呑み込まれていく。そうした「市場原理」の負の部分を行政も保育の専門家もまったく理解していない。

資格を持っていれば保育ができると思っている経済学者や社会学者は、もうこれ以上、子育てに関わる施策に口を出してはいけない、と思います。

(以下は、内閣府で先日私が「保育の無償化」について参考人をした時の記録です。)

第198回国会 内閣委員会 第9号(平成31年3月27日(水曜日))

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000219820190327009.htm

内閣提出、子ども・子育て支援法の一部を改正する法律案を議題といたします。

本日は、本案審査のため、参考人として、中京大学現代社会学部教授松田茂樹君、元埼玉県教育委員会委員長・元埼玉県児童福祉審議会委員松居和君、社会福祉法人桑の実会理事長桑原哲也君、弁護士・社会福祉士・保育士寺町東子君、以上四名の方々から御意見を承ることにいたしております。……。

(動画)

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48872&media_type=

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衆議院の委員会室で意見を述べながら、思いました。

目の前にいる40名ほどの国会議員の人たちが、専門学校の保育科を受験すればたぶん全員合格するでしょう。入学し、二年後には保育資格をとることができるでしょう。本を買って勉強し、国家試験で一発合格できる人も多いはず。でも、その中に何人、他人の三歳児を20人、8時間、「保育」できる人間がいるかといえば、たぶん数人でしかないはず。私には、できない。

保育は子育てです。しかも他人の子どもを複数、油断なく、心を込めて可愛がること。幸せそうに。

商品と顧客を管理すればいいコンビニの店員とはちがうのです。生きる動機、天性の資質を問われる、不思議な役割なのです。

そのことを理解しない人たちが、「資格」という言葉で現場の実態を誤魔化しながら、経済政策パッケージの一部として「子育て安心プラン」という子どもたちを不安にし義務教育を成り立たせなくするような政策を作る。無償化などと言って、子育てを親から切り離そうとする。だから、現場からこれほど背を向けられるのです。

「子育ての無償化」は、人間社会から生きる動機、絆の中心となる「責任」を奪っていく。

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(参考までに)

「新しい経済政策パッケージ」:『待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2498