「人づくり革命」「新しい経済政策パッケージ」「子育て安心プラン」

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(再び、政府の「新しい経済政策パッケージ」より抜粋)

0歳~2歳児が9割を占める待機児童について、3歳~5歳児を含めその解消が当面の最優先課題である。待機児童を解消するため、「子育て安心プラン」 を前倒しし、2020 年度までに 32 万人分の保育の受け皿整備を着実に進め・・・』

(例えば、イギリス、フランス、韓国においては、所得制限を設けずに無償化が行われて いる)。 

 

ここで言う「子育て安心プラン」が、規制緩和と無理な施策によって保育の質を急速に落とし、子どもたちの安心、安全を脅かすプランだということはすでにわかっているはず。(保育士不足で休園する園がすでにでてきている。)

「待機児童解消」が「子育て安心」と決めたのは誰なのか。「誰が」安心しようとしているのか。子どもたちの「安心」はどうでもいいのか。

2014年8月、千葉市の認可外保育施設で保育士が内部告発で逮捕される事件がありました。

 千葉市にある認可外の保育施設で、31 歳の保育士が2 歳の女の子に対し、頭をたたいて食事を無理やり口の中に詰め込んだなどとして、強要の疑いで逮捕され、警察は同じような虐待を繰り返していた疑いもあるとみて調べています。

警察の調べによりますと、この保育士は先月、預かっている2歳の女の子に対し、頭をたたいたうえ、おかずをスプーンで無理やり口の中に詰め込み、「食べろっていってんだよ」と脅したなどとして、強要の疑いが持たれています。 (NHKONLINE 8月20日)

4年前にすでに危機的だったのは、この施設の施設長が虐待を認識していたにもかかわらず、「保育士が不足するなか、辞められたら困ると思い、強く注意できなかった」と警察に述べたこと。それが当時全国紙の記事になり、厚労省も政治家も当然知っていたはず。幼児たちを危険にさらし、一生のトラウマとなって残るかもしれない状況が、程度の差こそあれ全国の保育園で起っている。園長が保育士を叱れない、注意できない、悪い保育士を解雇できない。園長や責任者が園児を守れない状況下、以前厚労大臣が「子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言った専門家たちの心労がたまってゆく。

3歳未満児保育は小規模保育を除けば、ほぼ複数担任制で、一部屋で複数の保育士が6人以上の子どもたちを育てています。悪い保育士が子どもにする扱い、その風景に耐えられず、いい保育士が精神的に追い込まれてゆく、場合によっては辞めてゆく。これが保育園での日常になりつつある。

しかもいい保育士たちの離職は、普通の職業と異なり、ある日突然、子どもたちが、いままで抱っこしたり、話しかけたり、一緒に笑ったり、寝かしつけ、育ててくれていた人を失うことでもある。保育士と一緒に過ごした時間が「いい時間」であればあるほど、その悲しみや驚きは心の傷になって残る。その心の傷は誰にも正確には見えない。しかし、それはこの国の将来を傷つけ続けることにもなっている。

そうした致命的な負の連鎖が、政府の「新しい経済政策パッケージ」により始まっています。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=465

繰り返し報道されたこの事件を知りながら、政府は、「子育て安心プラン」を進めようとする。それを、学者たちも、経済界も、どの政党も一様に支持しているとしか思えない。マスコミも子どもたちの立場では、ほとんど報道しない。

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新しい経済政策パッケージを書いた学者たち(?)が大学で教えている。それが「高等教育」の実態だと思う。昔は誰でも知っていた、幼児という弱者の立場に立つことの意味、その気持ちを想像することの大切さがまったくわかっていない人たちが、「子育て安心プラン」(=経済政策)という名の施策をつくっている。「自立」とか「人材」という言葉を使い、ものごとを損得で考える人間をつくることが高等教育の役割のようになってきていて、それに誰も疑いを抱かないのです。

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「人づくり革命」を標榜するこの「新しい経済政策パッケージ」の中に、「子育て安心プラン」の当事者である幼児たちの願いを想像する視線が皆無であること。そこに「高等教育」の普及充実から起こる問題点が見えるのです。子育ての視点が「教育」に向かうことの致命的欠陥が見えるのです。「高等教育」の普及が進むにつれ、0、1歳児の「思い」や「願い」を想像する力が社会から消えてゆく。人間が本来持っているはずの感性が消えてゆく。これでは教育は本当の意味で「知の基盤」にはなり得ない。

義務教育が普及すると家庭崩壊が始まり、それが始まると義務教育が追い詰められ、社会全体が急速に変質してゆく、犯罪率が異常に増えるという欧米の通った道がそこに見えます。

(無償化が行われたイギリスで4割、フランスで6割の子どもが未婚の母から生まれ、犯罪率も日本よりはるかに高い。保育士による虐待を防ぐために監視カメラを保育所に設置する韓国における保育の質の低下については、すでに日本でも報道されています。政府の政策に、単純に諸外国においても、「例えば、イギリス、フランス、韓国においては、所得制限を設けずに無償化が行われて いる」と書いてしまう学者たちのいい加減さ。学問のご都合主義が見えます。

無償「だから、これらの国々はこのようにいい」という具体的な説明もなく、ただ日本はダメだ、遅れている、みたいな論法に外国の名前を入れて発言している人たちが、政府に選ばれ施策立案に関わっている。幼児教育の普及と「無償化」を混同し、それによって親たちの意識がどう変わってゆくかを考えていない。

この経済最優先のトリック、無責任さをなぜマスコミは指摘しないのか。見過ごすのか。現場を知らない「学者」を専門家と呼んではいけない。彼らに「子育て」や「人づくり」に関する政策立案をさせてはいけない。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=208

「米疾病対策センター(CDC)は27日までに、米国内における薬物の過剰摂取による死亡者数が昨年、計4万7055人の過去最高を記録したと報告した」社会で子育てという言葉で家庭崩壊の方向に向かった国で、絆を失った人たちが苦しんでいます。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1014

アメリカの小学生の1割が学校のカウンセラーに勧められて薬物(向精神薬)を飲んでいると言われます。そんな方法で、辛うじて教師の精神的健康を保とうとするしか道が残されていない。カウンセラーという名の「専門家」が児童に勧める「薬物」が、将来の麻薬中毒、アルコール中毒につながっているという研究さえとっくに終わっているのです。それでも、なぜ「専門家や薬物」に頼らざるをえないか。親が、「子育て」を仕組みに依存することによって、親らしさと絆、相談相手を失ってきているからです。

アメリカで以前、子どもを殺された母親がインタビューに答えて「1人の子どもを育てるには一つの村が必要だけど、1人の子どもを殺すには、たった1人の犯罪者しかいらない」とテレビのニュースで言っていました。「It takes whole village.」久しぶりに聴くフレーズでした。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1014

学問や教育ではなく、一つの村が子どもを育てるのです。

ーーーーーーーーー(続く)ーーーーーーーーー