帰って来れる場所

子どもにとって母親の仕事は母親の時間を争うライバルでしかありえません。それがどんなに素晴らしい、その母親にしかできない、社会的に意味のある仕事であっても関係ありません。そこで母親が輝けば輝くほどますます腹を立てるのが普通です。

母親が働くことが一家の生活に不可欠であることを繰り返し説明し理解させる。そして、働きながらも母親の心の中で優先順位はまぎれもなく子どもであることを感じさせるしか、子どもとの良い関係を保つ方法はありません。「あなたが優先なの」と子どもに感じさせようと思ったら、本気でそう思うしかありません。本気で悩む、本気で後ろめたさを噛みしめる、逃げずに本気で思えば結構通じるものです。

 時間がかかるかもしれません。伝わるのが、子どもが親になった時になるかもしれません。親が死んでしまってからかもしれません。しかし、通じるのです。親子関係というのはやり方でも成果でもなく、ましてやタイムリミットがあるものでもありません。心のあり方とコミュニケーションだということを忘れてはいけません。

(親として悩んだ時、いい親でいたいと思った時、子どもの幸せを願う時、優しい顔をしていない人のアドバイスや意見には絶対に耳を傾けないこと。強者の意見は子育てには向きません。)

(子どもに幸せになってほしければ野心を抱かせないことです。どうしても夢を追求する子に育てたいのなら、夢破れた時に帰って来れる場所、家庭という異なった幸福のものさしを用意しておいてやることが大切です。帰って来れる場所を作れる子どもに育てることです。)

 

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「夢」が奨励されればされるほど、不安やイライラが社会全体に蓄積し、子育てをしている母親たちに少しずつ伝染していく。

子育ては、まさに「現実」。

「自己表現」も「自己主張」も通用しない、思うようにならない「生活」そのものです。それを宇宙は私たちに与えたのです。そこから真の幸福論をつかみとれ、と。

 

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「一度しかない人生、自分らしい生き方」

「人生輝いていなくてはいけない」

「一人の女にかえれ」

こんな言葉が頭に浮かんでくると自分の人生が色褪せたものに見えてくる。

そして自分の「夢」(本当は「欲」の場合が多いのですが)をさまたげているのが子どものように思えてくる。

「欲」は持たないほうがいい、と言えばうなずく人が多いのに、「夢」は持たないようがいい、と言われれば納得できない。それで良いのですが、最近、「夢」のほとんどが社会的成功、経済的成功や有名になることになってきていることに気づきませんか?

「夢」は、もっと幸福論に近いものでなければいけないはず。

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