「夢」と「欲」

「夢」と「欲」の区別はつきにくい。それはたぶん表裏一体のものでしょう。夢を持てば不安になって当然です。「夢を持って生きる」という言葉の響きは美しいけれど、「不安を手に入れよう」と言っていることと大差ない。その不安を克服しつつ、夢に向かって進み続ける強い人間もいるでしょう。しかし、よほどの強さか運を持ち合わせていないかぎり、現実はそんなに甘いものではない。

(アメリカでは5%の人が90%以上の富を握っている。競争社会で成功する、「勝つ」ことを目標にしてもその「夢」は、ほとんどかなわない。それが現実です。失敗する人が多いから、一部の人が儲かる。経済論というのはネズミ講のネズミをいかに増やすか、みたいなものなのです。)

学校教育は子どもたちに与える目標として、何かを達成する、成し遂げる幸福感ではなく、それに取り組む過程における「人間関係」に幸福感を見い出すように子どもたちを導かなければなりません。目標はあくまで目標であって懸命に努力さえすれば、たとえそこに到達しなくても、場合によっては共に失敗したからこそ、より一層親密な人間関係がまわりに生まれるのだということを体験させるべきなのです。(子育ての幸福感と重なります。)

学校を使って、親密な人間関係に幸福感の土台があるのだということを子どもたちに教えることが出来たらと思います。

夢破れた時に、帰るところがあればいいだけのことなのです。

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 夢を追いつつ人間関係を作ってゆけばいいのです。夢を追い競争する中で、逆に、競争に勝つことではない、人間どうしの助け合い、優しさに目覚めていけばいいのです。

 でも、それと同時に、わらしべ長者や三年寝太郎のような人たちの存在感、その意味、みたいなものを教えていく。それは、幼児と接するということでできます。誰が一番幸せそうか、と考えたときに、3、4歳児が一番幸せそう、幸せに簡単になれる人たち、ということを学校教育の中で、保育体験などをさせて、体験的に学ばせてゆくといい。