(私のメール)
お元気ですか?
いつも、突然ですみません。質問があります。
ブログ、http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2363 に「未就学児の施設入所を原則停止」を書きました。(児童養護施設、乳児院への施設入所原則停止です。)この原則停止を「家庭的養育」への一歩という、それは責任逃れで、実は人材的にも財政的にも一番の弱者、家庭を失った幼児たちを、多くの人たちが知らないうちに、切り捨てるということ。「家庭的養育」の第一歩は、11時間保育を「標準」と名づけた経済優先施策を変えることです、
という内容です。
元になっているのは、毎日新聞の報道です。
「厚生労働省は7月31日、虐待などのため親元で暮らせない子ども(18歳未満)のうち、未就学児の施設入所を原則停止する方針を明らかにした。施設以外の受け入れ先を増やすため、里親への委託率を現在の2割未満から7年以内に75%以上とするなどの目標を掲げた。家庭に近い環境で子どもが養育されるよう促すのが狙い。(中略)
『家庭的養育』へ一歩:
厚労省の「施設入所停止」の方針は、「家庭的な環境での養育」という理念と、大半が施設で暮らす現実の隔たりの解消に取り組む強い意志を示したものだ。
子どもの健全な成長には特定の大人との愛着関係が重要とされ、愛着形成が不十分だと将来的に人間関係を築くのが苦手になるケースもある。だが、現状では8割以上の子どもが乳児院や児童養護施設で職員と集団生活を送る。」
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こんなこと可能なのでしょうか。福祉の残酷さの象徴のような気がします。
もちろん、虐待された子どもたちのために、家庭的な居場所をしっかり、細心の注意を払って確保できるのなら、その方がいい。しかし、日本に福祉としての里親制度の土壌はまだ育っていない。たとえ育ったとしても、里親先進国のアメリカを見ているとその先にあるのは、ネットで子どもをやりとりする、子どもを商品やペットのようにあつかう身勝手な社会です。
(「捨てられる養子たち」https://www.facebook.com/watch/?v=1820006938239263 ぜひ見てください。)
ご意見を聞かせてください。
お願いします。
松居
(返事)
メールありがとうございます。
和さんの一語一語に、思わずウンうんと頷きながら、もうひとりのわたくしは、国の政策に加担している一人なのかと思うと愕然とした失望感を否めません。
先日も幹部の職員と新年度予算の子育て政策について話し合いの際、それは子育て支援ならぬ、子育て放棄支援策です、と発言してしまいました。(低年齢児の預りも、病児保育も)
(施設入所について)
虐待やネグレストによって保護された児童は、養護できる安全な環境と安心できる大人の環境において、慈しみ愛されることを享受できるようにしなくてはなりません。
「家庭的」とはなんでしょうか。
国の稚拙で短絡的な考えの中には、ただ建物が屋根がある家屋でみることが家庭的と思っているようにしか見えません。
このまま進めば、里親法の悪用も邁進するでしょう。
要保護児童の対応にあたる度に思うのは、悪知恵の働く大人は目に見える虐待はしません。アザもなく傷害を負わなければ、児相も警察も動きません。
大切なのは、心の中で出血し、傷付き、心が死んでしまうことです。
そこに気付くケースワーカーも保育士も保健師もそこにはいません。
「家庭的」という偽善なカーテンの向こうにあるものを政治家が、行政が、親たちが、心の眼を見開いて見なければなりません。
(どうか、傷付いたこども達よ、目に見えるアザがなくても、心から叫んでほしい。愛情がない生活をしていると…。ぼくは、わたしは、もっと愛されていい存在なのだ!と)
(次の厚労省のやり方について)
これまで病児保育について、推進してきた国の政策は、おそろしい一手に出ました。
医療的支援が必要な児童を預るモデル保育施設を募りはじめたのです。
県から通知がきました。
補助金は年間約700万円。現在の病児保育のうち体調不良型保育をやった場合の約2倍で手を打とうというもの。
そもそも人口呼吸器を必要とする児童を預かってはいけない。
命を預けるということ、命を預かるということを軽んじ過ぎています。
国がこどもの命を考えないで、なにが住みやすい国だと公言できるのでしょうか。
徒然なるままに、書いてしまいました。
この続きはまた
きょうも諦めずに、これから戦場へ行ってまいります。
こども達が笑顔になるために
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(私の返信)
ありがとうございます。