子どもが増えないと社会保障制度が安定しない?

 「子どもが増えないと、社会保障制度が安定しない」と政治家や経済学者が簡単に言うのです。「子ども」を「財源」と考えているのです。そして待機児童をなくし、保育園を増やし、「子育てしやすい」環境づくりをすれば子どもが増える、と言うのです。この安易な思考の飛躍が、子育てに関わる仕組み、保育、学校、学童、養護施設、の共倒れ現象を生み始めている。もう少し加えれば、保護司、民生委員、司法、警察、少年刑務所なども追い込まれているし、結果的には、すでに活路が見出せなくなっている老後の介護や、生活保護の維持といった問題も「子育ての社会化」に始まる家庭崩壊が明らかにその根底にある。「子育ての社会化」により、人間社会の「常識」が崩れ始める。
 子どもを「財源」と見て、「増やせばいい」と言う人たちは、子どもを育てるという幸福感が人類の進化を支えてきたことを忘れているのだと思う。「子育てが、育てる人たちを育て絆を生む」というその存在意義も、保育の質の重要性も、人間が働く動機や、生きようとする意味さえもわかっていない、考えていないと思う。
 社会保障制度を安定させるために子どもを産むなどという論法は、まさに動機の次元から本末転倒なのです。子どもを産み、育てることの幸福感が先にあって、「子育て」を中心に社会が形成されてゆく、と考えなければいけないのです。
 
 こういう経済論から生まれた意図と、やり方でたとえ子どもが増えても(増えるとは思わないのですが)、生き甲斐や、育てる喜び、親に感謝する心、家族の一体感がなければ、社会保障はますます安定しない。ただ人口が増えても、そこに育てる幸福感が同時に生まれなければ、その結果、将来の社会保障や治安維持の負担はますます増える。しばらく自転車操業が続いても、それを維持するための財源と人材は必ず枯渇してくる。もう、その兆候は充分すぎるほど出ている。
 
 一番問題なのは、「子どもが増えないと、社会保障制度が安定しない」という政治家や学者の言葉と、それが少子化対策の理由になっていることを、マスコミが疑問を挟まずに正論として報道していまうこと。
 子どもが増えても、子育てに喜びを見出せない親が増え、いい保育士が辞めていき、保育の質が落ちれば、その先にある学校教育はすぐに疲弊してくる。そして、学級崩壊はその学級にいたすべての子どもたち(親たち)の人生に影響する、ということなのです。誰が考えても当たり前のこのことが、真剣に語られていない。何もかもが、利権争いの中で動いている。競争原理、市場原理に巻き込まれようとしている。
 家族制度に勝る社会保障制度は存在しないし、社会保障制度が税収に頼っている限り、家族という動機が絶対に必要になってくる。
 そうした根源的な人間社会の成り立ちや仕組みの働きを考えないで、場当たり的に施策を進めるから、待機児童をなすそうとすれば増える、という、当たり前の流れが理解できずに、単純に「誤算」などと言うのです。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170411-00010004-nikkeisty-bus_all
 
 マスコミは、「学者」や「政治家」の考える保育施策や経済論の浅さ、危うさを指摘してほしい。ここまで状況が悪くなればわかるはず。保育現場の人に聞けば、数年前にわかったはず。
 
 乳幼児の気持ちや願いを想像しないと、人間社会をつくるどんな仕組みも成り立たないということなのです。
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http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=252
 
「閣議決定」と公正取引委員会の介入/広い園庭(園長は考える)/K市保育連盟からの手紙/」

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