政権交代/そして、新内閣

 政権交代、新内閣、すべて人間のやることです。

 祈るような気持ち、そして、固唾をのんで見守っています。曲がり角をまがってしまう前の最後のチャンスかもしれない、と思ったりします。

 過去十年くらいの間に、個人的に話を聞いていただく機会があった人たちが5人内閣や役員に入っています。ですから、もう充分かもしれません。
 あとは、その人たちの判断と、選択と、意気込みに賭ける。そういうことなのでしょう。
 子育てが、人間社会に不可欠な「絆と信頼関係」の中心にあったこと。
 幼児と関わること、そして弱者と関わることが、社会に人間性を育んできたこと。優しさや責任感が幸福とつながることを教えてくれたこと。
 経済論ではなく、0才児との言葉の通じない不思議な会話が、何千年にも渡って人間の想像力と進む方向を決めてきたこと。その進む方向が土台の部分で実は経済そのものを支えてきたこと。
 自分のために頑張るよりも、誰かのために頑張る方が自然だということ。
 子育てに関わる施策がいま進んでゆく方向が、これから30年くらいの「日本の魂のインフラ」を左右する大事な要素、最重要問題です。その重要性がどれほど強く深く理解してもらえるか。いいところまで来ている、と思います。感謝です。
 社会(システム)が子育てを肩代わりすることの危険性、それによって保育も教育も成り立たなくなるということは、現場レベルではみな知っている。いくら引き締めを図っても、保育者、教師の「元気」「幸せ」がシステムの質なのです。そして、親との信頼関係、育てる者たち同士の信頼関係が、幼児の存在意義そのものなのです。
 どっちへ進んでも、それはこの国の運命でしょう。
 欧米諸国がみな進んで行った子育ての社会化と家庭崩壊への道。家庭崩壊というよりは、その定義の崩壊、という方が正しいかもしれませんが、日本が同じ道を選んだとしても、それほど不思議なことではありません。先進国社会の中で、これほどまだ子育てを実の親たちがやろうとしている国はないので、残念ではありますが、民主主義という仕組みの中で、日本人もそれを選択したのだとしたら仕方のないことだと思います。私の思考では及びもつかないところで、宇宙は動いているわけです。きっとこの選択にも意味があるはずです。
 民主主義は未完の実験ではありますが、私は好きです。この方法でなければ、究極の調和はないような気がします。
 私は仲間に勇気づけられながら、幼稚園・保育園を一つ一つ、園長・主任さんを一人一人、市長さん町長さん役人さんを説得し続ければいいのです。
 「人間を、ひとり一人幼児の集団に漬け込む場所」を増やしていけばいいのです。そして、祈り続ければいいのです。この国は、きっと大丈夫です。一歩、一歩。
IMG_0137.JPG
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です