中学生に講演しました。
全校生徒500人が体育館に集まっています。
私は、五年に一度くらいの割合で中学生に講演する機会を与えられます。自分が試される日なのだ、と思って引き受けます。一番緊張する聴き手たちです。まだ神様のしっぽを引きずっている、感性が生きている、ごまかしは効かない、魂の次元で交流を求めている人たちです。
講演の一週間前から考え、想像し、ドキドキします。
まだ出会っていない彼らが、私を育てようとしているのがわかるのです。
5年前より一段と幼さを感じます。
先生が講演の前に、私たちは保育をしているようです、とおっしゃいます。中学生たちはいま、教師にも親を求めている。誰かを探している。
家庭と社会の区別がつかなくなっているのです。
1年生、2年生、3年生と成長するにつれ、何か、生きていることにがっかりしている感じがわかります。気持ちがバラバラになりそうなのが話をしていてわかります。3年生にもなると、いよいよどうしていいかわからないのでしょう。あっち向いたり、こっち向いたり。先生たちの大変さがわかります。
どんなことでも許してくれる人を造ろうとしているのでしょうか。生きてゆくために、安心の土台がほしいのでしょう。
話している途中で、難しすぎるのかもしれない、何を話したら良いのだろう、どうしたら魂に触れることができるのか、と私の中で不安がよぎります。10年前は、大人に話すのと同じ話で通じていたのに。
私は、正直にオロオロしようと思いました。そう決心した瞬間に、中学生が一つになって、私に集中したのです。私を助けようとして一体になった彼らを、そのとき確かに感じたました。彼らの優しさを感じ、彼らは悪くない、役割を果たしているだけ、とわかりました。
「あなたたちの親に、私は話したい」と彼らに言いました。
最後は拍手で見送ってくれました。
あの子たちが、私に伝えたかったのは何なのか、今日も考え続けています。
無償の愛を探している、絶対的な拠り所を求めている、大人たちが、親たちが、親と教師たちが、信頼関係で結ばれることを望んでいる。彼らはそれを求め、望むことによって社会の中で役割を果たしている。それが彼らの天命でしょう。その天命が空回りをしている。
そういうことなのでしょうね。
松居先生
今日は心のこもった講演をありがとうございました。
彼らから教えられてる、育てられているというものさしを持つことが自分自身のためにも必要だと改めて思いました。
魂の言葉や想いは通じるのですね。
そのことがわかってうれしかったです。
ありがとうございました。
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こちらこそありがとうございました。私を助けようとしてくれた彼らの優しさを、いつまでも憶えていようと思います。
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帰宅すると、新聞にラビ・シャンカルが亡くなったという記事が載っていました。インドのシタール奏者です。ビートルズのジョージ・ハリスンの師、歌手のノラ・ジョーンズの父、と書いてありました。 私は、コンサートで二度、彼のアルバムで一度共演したことがあります。懐かし時代が確実に終わってゆく感じです。
できるところまでやってみよう、と思います。ご冥福を祈ります。